VIRGIN HARLEY | アメリカ生活の始まり 芦田 剛史のUSAディーラー・トレーニングダイアリー

アメリカ生活の始まり

  • 掲載日/2006年08月06日【芦田 剛史のUSAディーラー・トレーニングダイアリー】
  • 執筆/芦田 剛史
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本場ディーラーでハーレーを学ぶ USA Training Diarys 第3回

ついにやってきたアメリカ
冒険の日々がスタートです

こんにちは、ハーレーメカニックの芦田です。無事3回目を迎えた今回は、いよいよ住み慣れた母国を離れ、舞台はアメリカへと移ります。異国の地で緊張、緊張の日々を過ごしていた頃(今もですが)の話を紹介します。

さて、修行の舞台、アメリカはカルフォルニアに来た私。まだ空港に着いたばかりなのに、これから始まろうとする未知の世界に対して、かなりの緊張を覚えてしまいます(またかよ!)。そしてまた下痢気味に…。空港には英語学校の職員の方が迎えに来てくれて、まずは英語学校に手続きをするために訪れます。26歳という年齢ですから「友達は、たくさん出来るかなぁ…」という不安を思わず抱いてしまう私(笑)。知り合いが誰もいない異国ですからね。しかし、後にこの学校でかけがいのない仲間と出会うことになるんです。

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英語学校を訪れた後は、いよいよホームステイ先へ。結局、ここでは半年余りを過ごした訳ですが、ホームステイ先の家族とは今でも連絡を取っていて、生涯の思い出となる貴重な経験をさせていただきました。アメリカの一般家庭での生活を経験できることは、観光などでは決して経験できないことです。アメリカ人の習慣の一つ一つに直に触れるわけで、はじめはそのギャップに苦しんだこともあります。でも、それも今思えば楽しい思い出です。さて少し話がそれましたが、渡米したその晩、ステイ先の家族との初ディナーです。つたない英語での自己紹介を優しく聞いてくれて、ほっと一安心。晩御飯にありつきました。たったそれだけの1日でしたが、ベッドに入ってしばらくは、頭はまだパニック状態でした。しかし、不安なアメリカ生活がスタートしてしまっているのです。

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翌日から早速、大冒険の始まりです。アメリカは乗り物が無いとどこへも行けない国ですので、まずはバイクを購入し(スズキのナナハンです。ハーレーじゃなくてすいません…)、毎日あちこちを走り回ります。海へ、山へ、H-Dショップへ土地勘を掴むためにもとにかく動き回ります。でも、よく考えると海とH-Dショップばかり行っていた気もします(笑)。当時、僕がステイしていた街は西海岸が近く、どこかに行くとなると思わず海へ出かけてしまうんですよね。「アメリカ」、「海」と言えば水着の金髪美女を連想してしまいますが、職業病なのか、やはり目に付くのは地元のハーレーとハーレー乗り。乗り慣れた感じで颯爽と海岸へ乗り付け、たそがれる姿は“バイクを愉しむ”という行為の見本のようにも見えてきます。西海岸の夕日、風、潮の香り、全てがイメージ通り。「ああ、これがアメリカなんだな!」と渡米した実感が改めて沸いてくるんです。ちなみに、日本ではあまり見かけませんが、アメリカの海岸にはバイク専用の駐車スペースが用意されていて、誰でもそこへ停めることができます。そこで他のバイク乗りから「お前のバイクか? 何ていうバイクだい?」と気さくに話しかけられることは珍しくありません。渡米してすぐに気づいたのですが、アメリカ人はみんな明るいんですよ。根暗のアメリカ人には未だに出会ったことがありませんね(笑)。

英語学校での運命的な出会い
大志を抱く日本人と出会えました

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カルフォルニアで最も思い出深い、貴重な経験ができたのが、この英語学校です。入学当初はなかなか友達も出来ませんでしたが、時間を重ねるに連れ、いろいろな国の友達が大勢できました。すべての人をここで紹介したいくらいですが、今回は際立って僕の印象に残ったある青年の話をしたいと思います。その青年は僕より少し年下で、とても大きな夢を持っている少し変わった青年でした。その夢は『プロバスケットボーラーになること』。かっこいいですね! 僕は大好きです、こういう若者が(僕もまだ若者のつもりですが)。

彼の行動力は際立っていて、すべての資金を自分で稼ぎ、自分の力だけで渡米しアメリカで自活しています。いずれはアメリカでプロテストを受けるということを目標に掲げ、昼間は英語の勉強、夜はストリートや地域団体でバスケット漬けの日々を送り、空いた時間は全て肉体トレーニングに費やしていました。「こんな熱い若者がまだまだ日本には居るんだなぁ」と感動を覚えましたね。彼とはお互いによき相談相手であり、“アメリカで自分を試す”という同じ目標を持つ同志でもありました。そういえば彼とも一緒にハーレーのイベントへ行ったこともありました。でも、彼はまったく興味がなかったのか、直ぐ帰ってしまいましたが(笑)。彼がその後どうしているかは、ここでは触れませんが、今も胸に秘めた輝ける目標を叶えるため、ボールを追いかけていることは言うまでありません。僕にとって、大切な弟のような存在の彼と、アメリカの異国で出会えたことは生涯に残る思い出になるでしょう。 

ゼロからの職場探し
なかなかOKがもらえません

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英語学校に通う期間は半年です。そこで様々な出会いがありましたが、出会いを楽しむだけでは当然先に進めません。学校を卒業する2、3ヶ月前から、メカニックとして働く研修先探しを始めました。このメカニックプログラムでは基本的に自分で研修先を探し、先方と交渉しなくてはいけません。自分から動かないと何もはじまらない国ですから、周りに頼ろうとする”甘え”は禁物です。厳しいですが、これも研修の醍醐味の1つとしてカリキュラムに組まれているのでしょう。僕の場合は、カルフォルニアで数件のディーラーを尋ね、研修の話をしました。結果は…門前払いでした。今思えば、きっと僕が怪しかったのでしょう。

日本で西洋人がいきなり店に現れて「オレ、シゴトデキマース! ガンバリマース!」と言っても雇ってくれないのと同じかと…。きつい所だと、「出て行け!」と言われました。けれど、めげずに次の日も「メカニックの空きは無いですか?」なんて、しつこく聞きに行きましたが(笑)。当時は、季節が冬で、ディーラーに入庫する車両も少なく、メカニックの手が余っている状況でしたから一層疎ましく思われたかもしれません。意味不明な拙い英語でしか話せず、アピールが上手く伝わりませんでした。この当時、実はちょっとヘコんでいましたね(笑)。その後、アメリカではそれ以上ヘコむことは幾らでもあると気付きましたけれど。

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それでも既に研修を終えられた先輩方に比べると、僕はかなりマシなんですよ。実はアメリカでは、外国人によるディーラーへの研修申し込みを受け入れる環境がもう出来ていて、チャンスがあったのです。この辺りも僕の情けない所ですが、結局自力では新規開拓することも出来ず、最終的には日本人メカニックが実績を残された、アリゾナのディーラーに就職することになりました。このディーラーは日本人メカニックに対して非常に理解があり、信頼もあります。ディーラーのサービスマネージャーにメールを送り、申込書を記入し、ついに「OK」の返事が返ってきた時には、ほっと胸を撫で下ろしました。大袈裟かも知れませんが、僕にとってはとても大きな安心でした(笑)。渡米から英会話学校まで、これまでのことはあくまで準備期間でした。「やっとスタートできる」そのチャンスをやっと掴めたわけですから。

こうやって振り返ってみると、何かのチャレンジにはやはり「壁」がつきものですね。本当のことを言いますと、当時より今の方がよっぽどきついです。それでも、少しだけど実感があるんです。壁を越える度に、自分が昨日より少し洗練されていることに。そうやって明日も昨日とは違う自分を探して歩いていくのかも知れません。ここへ来て気づいたことが1つあります。「若者はもっと旅(挑戦)をしてみるべき」だと。何も用意されていない環境で1つ1つ壁を乗り越えて、自分を成長させていく、こんなことができるのは若者の特権だと思うのです。

プロフィール
芦田 剛史

26歳。幼少からバイクと車に興味を持ち、メカニックになることを誓う。高校中退後、四輪メカニックとして4年の経験を積み、ハーレー界に飛び込む。「HD姫路」に6年間勤務、経験と技術を積み重ねたのち「思うところがあり」渡米を決意。現在はラスベガスHDに勤務。(※プロフィールは記事掲載時点の内容です)

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