

|
カッコつけて音楽を続けるのは 今回ご紹介するのは広島県広島市のプロベーシスト 西本 圭介さんだ。海外ミュージシャンのツアーへの同行、オリジナルブランドの音楽機材の製作「名古屋コミュニケーションアート専門学校」の教育ディレクターを勤めるなど、その活躍の場は広い。詳しくは書ききれないけれど、西本さんがセッションしたことのあるミュージシャンの中には私がアルバムを持っている有名なミュージシャンがゴロゴロと…。音楽の世界では高名な西本さんとは同じスポーツスター乗りというつながりで偶然出会った。気取った雰囲気がなく、自然なスタイルでハーレーを楽しむ西本さんを見て、まさかこれほどスゴイ方だとは思わなかった。西本さんとハーレーとの馴れ初めだけでなく、せっかくの機会なので普段我々が垣間見ることのないプロミュージシャンの世界についても語っていただいた。ぜひお楽しみください。 ロックミュージシャンは派手でワガママで…
西本●バイクの免許を取ったのは22歳のときで遅咲きです。音楽に目覚めた方が早く、中学生の頃に洋楽のハードロックに夢中になったのがきっかけで、高校に入ってベースをはじめました。
西本●10代の頃は、ただ夢中になってベースを弾き、音楽を楽しんでいただけでした。まさか自分がプロになるなんて、想像したこともありませんでしたね。プロを目指そうと決めたのは、大学を中退し、サラリーマンをしていた22歳のときでした。
西本●当時、弟が大阪の音楽専門学校に通っていて、大阪での話を聞くうちに自分も「広島を出て、自分の力を試してみたい」思うようになりました。「本当に自分がプロになれるのか…」という不安はありましたが、仕事を辞め、生まれて初めて広島を出て、音楽漬けの生活を始めました。
西本●大阪で1年間みっちりとベースを学び、アメリカに留学したときですね。23歳のときに「ロックベーシストとしてプロを目指すならロックの本場『LA』を肌で感じたい」そう思って、LAにある「MI」という音楽学校に留学しました。そこは3ヶ月ごとに厳しい試験があるところで、試験をパスしないと学校には残れない非常に厳しい環境でした。本場のプロミュージシャンから基本を叩き込まれ、鍛えられたことは大きな自信になっています。メディアを通してしか見たことがなかったプロから直接指導を受け、話すことできたのは大いに刺激になりました。
西本●LAに住んでいたときに街でハーレーを見かけた記憶はほとんどないんですよ。ハーレーに限らず、街中でバイクを見かけることも少なかった気がします。アメリカでは二十歳そこそこの若者がハーレーに乗るなんてまずあり得ませんし、周りのミュージシャン仲間にもハーレー乗りはいませんでしたね。留学前は250ccのバイクに乗っていて「いつかはハーレー」という思いはあったのですが、アメリカでバイクを見かけなかったせいか、ハーレーのことはすっかり忘れベースに夢中になっていました。留学を終え、大阪に戻ってからですね、バイク熱が再燃したのは。 知らない曲でもうまく弾きこなす
西本●メジャーを目指すのなら東京に行くべきなのでしょう。当時の大阪は音楽ビジネスが盛んな場所ではなかったですしね。でも、アメリカに留学中に、LA、シアトル、ニューヨーク…など地域ごとにカラーの違うミュージシャンが育っているのを目にし「日本人である自分はどんなロックをやるべきなのか。アメリカの物真似ではダメだ」と感じる機会があって。日本に戻ったら「物真似ではない、他にない個性のある街で音楽を続けたい」と思ったんですよ。そんな街は…と考えてみたら大阪でした。大阪はブルースの雰囲気が漂う、人間臭い街で、個性豊かなトコロですからね。
西本●仕事が終わるのはいつも終電後でしたから、バイクは欠かせない乗り物だったんです。ヤマハの「Virago」に乗り、毎日ベースをかついで仕事場まで走り回っていました。あれこれと自分でカスタムもしましたよ。仕事は夜からなので日中はいくらでも時間がありましたからね。でも貧乏ミュージシャンですからお金はありません(笑)。家のベランダで缶スプレー塗装をしたり、サンダーでフェンダーをカットしたり…お金はありませんでしたが、自分でカスタムをする楽しさを知ったのは大阪ですね。
西本●そうです。でも、当時はハーレーを買う余裕はありませんでした。「職業:ミュージシャン」だとローンも組めません。どれだけがんばっても、新しいバイクすら買えない…「ミュージシャンは社会的に認められていないんだなぁ」としみじみと実感しましたよ。ちょうどそんな時期に、ベースの講師をしていた学校から「福岡に新しく学校を創るから、立ち上げスタッフをやらないか」という話をいただいて。「安定した収入をもらい、気候のいい福岡でハーレーに乗る…いい話だな」とスタッフになることを決めました。
西本●福岡に移って3,4年は学校運営に追われっ放しで。でも、定職についたので結婚ができ、念願だったハーレーを買うことができました。「スポーツスター→ヘリテイジ」と乗り換え、存分にカスタムして毎日ハーレーで通勤していましたね。雨の日も雪の日も、365日ハーレーに乗る生活です。しかも、仕事は好きな音楽に関わること。学校でベースを教えたり、たまには息抜きでBarで演奏したり、と余裕を持って音楽もハーレーも楽しめる生活を手に入れました。けれど、そんな生活も、次第に息がつまるようになってきたんです。
西本●好きな音楽を仕事にして、好きなハーレーも手に入れ、結婚もしました。でも、22歳で広島を出たときに考えていた「自分はどこまでできるのかを試したい」その想いをいつの間にか忘れて、ぬるま湯に浸かっていたんですね。かなり悩みましたが「一度人生をリセットして、ゼロから音楽と向き合ってみよう」とハーレーも売り、家族を連れて自分のルーツである広島に戻ることにしました。それが2002年のことです。
西本●今の環境がベストなので東京に出てメジャーになりたいとは思いません。メジャーデビューをして人気者になるのもミュージシャンのゴールなのは間違いありませんが、僕には今の生活が理想です。僕を認めて声をかけてくれるミュージシャンがいて、学校ではこれからの若い子を教えることができる。しかも、一番僕が大好きな広島でプライベートの時間も過ごせるし、広島お好み焼きも食べられるし(笑)。海外に出て活動するなら、東京も広島も関係ありません。どちらも同じ「Japan」ですからね(笑)。
西本●僕は普通でいたいんです。好きな街に住み、近所を普通に歩きたい。ファンの子とも普通に会話したい。結婚していることも子供がいることも隠したくない。ミュージシャンにとってタブーなことをだらけですね(笑)。カッコつけて音楽を続けるのは僕のスタイルではありませんから。
西本●広島に戻ってきているときは「家族と過ごす」か「ハーレーと過ごす」かの毎日です。広島を離れているときも「次はどんなカスタムをしようか」とあれこれ想像してしまいます。僕の生活に、もしハーレーがなかったら…音楽を続けていて息が詰まってしまうかもしれませんね。音楽もハーレーも、どちらも僕には欠かせない大事なモノなんです。 ミュージシャンの“西本 圭介”を知りたい方はこちら
スポーツスター乗りの“西本 圭介”を知りたい方はこちら INTERVIEWER COLUMN はじめて西本さんのことを知ったのは、2年ほど前のこと。自分でスポーツスターの「ハンドシフト・フットクラッチ」のカスタムをしている人がいると誰かから教えてもらい、西本さんのサイトを覗いてみたのがきっかけだった。「ハーレーのクラッチを握りすぎると、ベースを弾くときに左手の感覚が鈍るんですよ」とミュージシャンの仕事のためにスポーツスターのカスタムをしたという。普通は自分でそこまでしないだろう、と驚いたのが懐かしい…。その後も西本さんとは一緒にキャンプをしたり、スポーツスターミーティングで再会したりと「ハーレー乗りの友人」としてお付き合いをさせていただいている。本当に自然体で、気取ることなく話をしてくれるので、ミュージシャンということを忘れてしまいそうになる。「第一線で活躍し続けているミュージシャンはみんな常識を持った大人ですよ」西本さんにそう言われ、「ミュージシャン」という職業のことを間違ったイメージで見ていたのを反省した私だった…(ターミー)。 |
西本 圭介 36歳。98年式XL883所有。ハイテクベーシストとして国内外にその名を知られ、海外ツアーやレコーディングに精力的な毎日を送る。後進育成のため、専門学校の音楽部門の責任者を務めるなど、その活躍の場は広い。 |