VIRGIN HARLEY |  第2章 ナックルヘッドとパンヘッドの時代【1930年~1956年】ハーレー歴史年表

第2章 ナックルヘッドとパンヘッドの時代【1930年~1956年】

  • 掲載日/ 2009年03月13日【ハーレー歴史年表】

ハーレーダビッドソンの歴史の画像

1929年に起こった世界恐慌により、アメリカのモーターサイクル市場は大打撃を受けた。ハーレーも生産台数は大幅に激減したが、それでも新型エンジンの開発に注力し、1936年にナックルヘッドと呼ばれるエンジンを誕生させる。その後、ライバルであるインディアン社とのサーキット対決や第二次世界大戦、トライアンフなど英国車のアメリカ市場進出など、激動の時代を駆け抜けていく。そして1948年、さらなる進化を遂げた新エンジン・パンヘッドが登場。今も語り継がれる輝かしい歴史を紐解いていく。

【1930年】世界恐慌の影響がハーレーを直撃

この年、改良が加えられたフラットヘッドエンジン搭載の新型マシン「30VS」が登場。さらに翌年には、自動車ディーラーや修理工場のサービスマン用の3輪バイク「サービカー」の発売を開始、新たな市場を開拓していく。しかし新型導入の数ヶ月前に世界恐慌が起こり、あらゆる市場が大打撃を受けることに。この年代からハーレーは徐々に生産台数を減らしていく。

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【左】サイドバルブのフラットヘッドエンジン(ハーレーミュージアムに展示) 【右】実用車として親しまれたサービカー(ハーレーミュージアムに展示)

世界の出来事

  • ・冥王星が発見される
  • ・アメリカで世界初の冷凍食品が販売
  • ・銀座三越開店
  • ・アメリカで世界初のスチュワーデス就任
  • ・浅間山爆発
  • ・ウルグアイにて第1回FIFAワールドカップが開催
  • ・伊豆地方大地震

【1934年】和製ハーレー「陸王」誕生!

シングルシリンダーエンジンの販売を終了。Vツインエンジンに一本化されていく。またこの翌年、ハーレーダビッドソンの販売ライセンスを取得していた日本の製薬会社「三共」が「三共内燃機」と社名を変更し、日本版ハーレー「陸王」一号機を生産する。

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最後のシングルシリンダーエンジンモデル(ハーレーミュージアムに展示)
  • ・忠犬ハチ公銅像除幕式
  • ・東郷平八郎元帥死去
  • ・ベーブ・ルース含む大リーグ選抜チームが来日
  • ・桜島フェリー運航開始
  • ・大日本東京野球倶楽部(現読売巨人軍)結成

【1936年】ナックルヘッド誕生!

「ライバルのインディアン社に負けないエンジンを」という想いから、大不況の荒波を乗り越えて開発されたオーバーヘッドバルブエンジン。ヘッドの形状が握り拳のようなことから、「ナックルヘッド」と呼ばれるようになった。この後数年に渡り、技術的な変更は行われなかった。

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【左】ハーレー伝説の幕開けとも言えるナックルヘッドがついに生まれた 【右】ナックルヘッドを搭載した初のモデル(ハーレーミュージアムに展示)
  • ・アメリカで「野球の殿堂」開設
  • ・二・二六事件勃発
  • ・阿部定事件
  • ・スペイン内戦勃発
  • ・ベルリンオリンピック開催(初の聖火リレー実施、「前畑ガンバレ」の実況)
  • ・大阪市立美術館開館
  • ・国会議事堂落成

【1938年】ハイウェイ・パトロールにナックル採用

これまでインディアン社のエンジンに負けていたハーレーだったが、速さを増したナックルヘッドの登場により、カリフォルニア・ハイウェイ・パトロールに採用。

  • ・ナチス・ドイツ、オーストリアを併合
  • ・不二家設立
  • ・フォルクスワーゲン・ビートルが発表
  • ・SFドラマ「火星人来襲」放送開始

【1939年】第二次世界大戦が勃発

ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発。中立の立場を主張していたアメリカも時代の波に飲み込まれ、翌年の日本による真珠湾攻撃を機に参戦。ナックルヘッドとフラットヘッドの2本柱で着実に販売台数を伸ばしていたハーレーも、軍用バイクの生産に着手していくことになる。

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この年からベストセラーモデルとなったELシリーズ(ハーレーミュージアムに展示)
  • ・スペイン内戦終結
  • ・ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリッグ選手が現役引退
  • ・東京芝浦電気(現東芝)設立
  • ・ドイツで世界初のジェット飛行成功

【1942年】数少ない軍用モデルのハーレー

第二次世界大戦の真っ只中、ハーレーはアメリカ政府の要求にこたえて開発された軍用モデル「XA」を発表。BMWの水平対向エンジンを模したタイプで、地面が荒れた戦場でも走れるようにと履かせられている大きなタイヤが特徴的。生産台数は1000台強とわずかだったため、現存するものは少ない。また同年、初代社長のウォルター・ダビッドソンが退任、2代目社長にウィリアム・H・ダビッドソンが就任した。

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【左】1011台しか製造されなかった軍用バイクXA(ハーレーミュージアムに展示) 【右】BMWの水平対向エンジンを模して作られたエンジン(ハーレーミュージアムに展示)
  • ・大日本映画(後の大映)設立
  • ・ベルリンで日独伊軍事協定調印
  • ・ミッドウェー海戦
  • ・井の頭自然文化園開園
  • ・米国でマンハッタン計画(原子爆弾の開発)開始
  • ・中部日本新聞(後の中日新聞)創刊
  • ・産業経済新聞(後の産経新聞)創刊

【1947年】戦火を乗り越え、新たな時代を迎える

1945年に第二次世界大戦が終結し、世界が落ち着きを取り戻しつつあった頃。一般ユーザー向けの生産ラインを取り戻したハーレーは、オプションパーツやグッズの販売に注力していく・またこの年をもって、ナックルヘッド搭載モデルの販売を終了する。

  • ・学校給食開始
  • ・日本国憲法施行
  • ・阿蘇山が爆発

【1948年】新型エンジン「パンヘッド」が登場!

ナックルヘッドを改良し、メンテナンス性の向上や放熱性の払拭などに成功した新型のVツインエンジンが登場。鍋のフタのようなシリンダーヘッドから「パンヘッド」と呼ばれた。これによりハーレーの評価は一気に高まった。

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【左】17年に及ぶベストセラーエンジン「パンヘッド」 【右】初のパンヘッド搭載モデルである1948年式EL
  • ・世界保健機関(WHO)設立
  • ・東京消防庁独立
  • ・海上保安庁設置
  • ・ロンドンオリンピック開幕
  • ・大韓民国建国
  • ・朝鮮民主主義人民共和国成立
  • ・本田技研工業設立
  • ・太宰治が自殺

【1949年】ビッグツインの黄金期到来

この年から油圧式フロントフォークが標準装備され、走行性能が飛躍的に向上したパンヘッドの最上級モデル「ハイドラグライド」が登場。ちょうどこの頃からアメリカ経済も右肩上がりとなり、それと歩調を合わせるようにハーレーもビッグツインを中心に、ますます販売台数を伸ばしていった。

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パンヘッド搭載モデルが出た当時のハーレーの広告
  • ・アイルランド共和国成立
  • ・シャム王国が国名をタイ王国に変更
  • ・日本初の旧石器発見
  • ・世界初のジェット旅客機が飛行
  • ・穴の開いた5円玉が発行
  • ・湯川秀樹が日本人初のノーベル賞受賞者に
  • ・中華人民共和国成立
  • ・インドネシア独立

【1952年】対英国車の急先鋒Kモデルが登場

1950年代初頭のアメリカでは、トライアンフやノートンなどイギリスからの輸入車が高い人気を誇った。これに対抗するため、現在のスポーツスター・ファミリーの前身となるスポーツバイク「Kモデル」を発表。1956年まで販売を続け、その後このスタイルはスポーツスターへと引き継がれていった。ロック歌手エルビス・プレスリーが1956年式KHKモデルのオーナーだった。

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1954年式のKモデル(ハーレーミュージアムに展示)
  • ・硬貨式の公衆電話が登場
  • ・日米安全保障条約発効
  • ・血のメーデー事件
  • ・白井義男が日本人初のボクシング世界チャンピオンに
  • ・ヘルシンキオリンピック開催
  • ・お多福造酢株式会社(現オタフクソース)設立
  • ・「鉄腕アトム」連載開始
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