VIRGIN HARLEY | 戎岡 彰(元ボクサーのハーレー乗り) インタビュー

戎岡 彰(元ボクサーのハーレー乗り)

  • 掲載日/2006年01月17日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

元フェザー級7位
プロボクサーのハーレー観

今回ご紹介するのは兵庫県明石市の戎岡 彰さんだ。12年間プロボクシングのリングに上がり、元日本フェザー級7位の成績を持つ。「ハーレーに乗る現役のボクサーがいるらしい」何年も前からその噂は耳にしていた。プロボクシングの世界は厳しい、尋常ではない練習量をこなす多くのプロの中で頭角を現すボクサーは一握り。そんな中で日本ランキングに名を連ねた戎岡さんにプロボクシングの世界について、彼にとってハーレーとはどんな存在だったのか、についてお聞きすべく、今回インタビューにお邪魔させていただいた。

Interview

ボクシングとハーレーを選べ
そう言われたらハーレーを取ったかも

ー戎岡さんは現役ボクサーの頃からハーレー乗りだったとお聞きしました。頭部にパンチを受けるボクサーがハーレーに乗るのは珍しいのでは?

戎岡●珍しいかもしれないですね。試合の直前と直後は「バイクには乗るな」と言われていました。でも、ボクシングを始める前からバイクにはずっと乗っていて、一番の趣味でしたから、ハーレーに乗れないなんて我慢できませんでした。

ーハーレーに乗り始めたのはプロデビューをしてからでしょうか?

戎岡●デビューしてすぐ、20歳のときにエボのソフテイルカスタムを買い、2年ほど乗って今のパンヘッドを手に入れました。パンヘッドにはもう10年乗り続けていますね。10代の頃から、バイクは自分の側にあって当たり前のモノで、中学校の頃はオフロードバイクで草レースに出ていましたし、16歳になるとすぐに免許をとってバイクを買ったので、自分にとってバイクはボクシングより長い付き合いですよ。

ーハーレーにこれほど長く乗られているのは何故でしょうか。

戎岡●エンジンが他のバイクとはまったく違いますから。アイドリングではエンジンはまるで踊っているように震えて、排気音は低く重みがあって…ハーレーはどれだけ乗っても飽きがきませんでした。現役の頃は毎日、ジムでボロボロになるまで練習をし、その後にアルバイトをしていたので、ハーレーに乗れるのは練習が始める前やたまの休みの日くらいでしたけれど、なんとか時間を都合してハーレーに乗っていましたね。

ー好きなだけハーレーを楽しめる時間はなかったのでしょうか。

戎岡●ボクシングの試合が終わった直後の数日が好きなだけハーレーに乗れるチャンスでした。試合直後は練習もアルバイトも入れず、完全休養を取る時間でしたから、好きなだけハーレーに乗れました。そうやって気分転換ができたから「試合が終わったらハーレーに乗れるんや」とつらい練習にも耐えられたのでしょう。試合翌日は少しくらい天気が悪くても、ハーレーを引っ張り出して乗っていましたね。

ー試合に向けてつらい練習を重ねて、そのストレスを解放するのがハーレーだったと。

戎岡●厳しい練習だけではなく、減量や禁酒など、強くなるために我慢しなければいけないことだらけなのがボクシングです。試合と試合の間に、どこへでも気持ちいい風を受けてハーレーで走り回る、そんな自分を解放できる時間が次の試合に向けてのモチベーションを高めてくれました。自分にとってハーレーはボクシングを続けていく「モチベーションの源」だったんですよ。

ーそれほど大変なボクシングでなぜ戎岡さんはプロを目指したのでしょうか。

戎岡●19歳の頃、当時世界チャンピオンだった辰吉丈一郎さんをテレビで見たのですが「不良出身のムチャクチャ強いボクサー」と紹介されていたんです。その番組を見て「コイツより俺の方が絶対強いわ。俺なら絶対倒せる」と思ったんです。よく考えると階級が違うんですけどね(笑)。今は辰吉さんとは家族ぐるみで一緒に遊ぶ仲になっていますが、最初は「倒すべき相手」でした。

ージムに入門してから3ヶ月でプロテスト合格、デビューから12連勝をしたとか。

戎岡●試合は喧嘩だと思って突っ走っていましたね。デビューして2年、全日本新人王決定戦で判定負けをするまで負け無しで勝ち進みました。

ー試合は喧嘩だと思って突っ走っていましたね。デビューして2年、全日本新人王決定戦で判定負けをするまで負け無しで勝ち進みました。

戎岡●誰よりも練習をして、誰よりも強いと信じて「俺は絶対世界を獲る」と思っていましたから、もっともっと上を目指していました。毎試合「この試合に勝てるなら死んでもいい」と思いながら戦っていましたね。

ー「試合は喧嘩」とおっしゃっていましたが、毎試合熱いアグレッシブなファイトスタイルだったのでしょうか。

戎岡●「頭の中は冷静に、ファイトスタイルは喧嘩のように」です。試合前に相手に睨まれ、思わず「この野郎!」と熱くなってしまった試合がありますが、その試合は生まれて初めて「KO負け」をした試合になりました。冷静さを欠いて、相手のスタイルに乗ってしまうと負けです。邪念は捨てて「無」になり、戦うよう心がけていました。

ー「集中力を高めて冷静に」ですね。

戎岡●集中力を高めて試合に臨むと面白いですよ。ざわついている会場の中で、自分への声援がハッキリと聞こえたり、なぜか特定のお客さんのボクシングと関係のない会話が聞こえたり、「おいおい、ちゃんと応援してくれや」と思うこともありましたね(笑)。

常に上を見て
目標をもって歳を重ねたい

ーボクシングだけで生活できる人は一握りと聞きます。そうまでして、戎岡さんや他のボクサーはなぜ、ボクシングに人生を賭けられるのでしょうか。

戎岡●意地でしょうね。「自分は誰よりも強いはず」、「俺は世界チャンピオンになれる」その意地を張るためにボクサーは頑張るんです。何ヶ月も練習して1試合戦ってもファイトマネーは10万円ほど。たとえ日本チャンピオンでもボクシング以外に仕事を持っています。「お金」ではなく「強さへのこだわり」がボクシングを続ける糧になるんです。

ーボクシングを続けていると怪我もしますし、試合で亡くなってしまう人もいらっしゃいます。死ぬことすら覚悟し、自分のプライドをかけて頑張り続けるのは…ちょっと真似はできません。

戎岡●手の骨を折ったこともあります。目を怪我して手術をしたこともあります。今も少し顔筋麻痺が残っています。それでも意地を張り続けられる人間がボクサーなんですよ。そこまで人生をかけているので現役中は24時間ボクシング漬けです。仲間と話しているときも無意識に「今こっちから殴ったらコイツをKOできるだろうな」と考えてしまったり、夜寝ていても無意識に手を動かしていたり、ボクシングのことが頭から消える時間はありませんでした。

ー2005年4月を最後に引退されましたが、人生を費やしたボクシングを辞めるのには何かきっかけがあったのでしょうか。

戎岡●12年間現役を続けましたが、最後は自分を完全に出し切れる試合がやりたかったんです。楽な相手と試合をし、ズルズルと現役を続けることもできましたけれど、それは自分のスタイルじゃない。必死に練習して、すべてをぶつけ、それで結果が出なければ引退を考えよう。そう考えていました。そんなときにオファーが来た試合の相手は12戦全勝12KOの日本1位の相手でした。普通だったら断っても仕方がない相手でしたけれど、これからのボクシング人生について考えていた時期でしたから、その試合で白黒ハッキリつけようと考えて試合を受けることにしたんです。

ー最後の試合が戎岡さんにとって一番思い出深い試合とお聞きしましたが。

戎岡●ボクシング人生の集大成の試合ですからね。試合では相手のパンチのラッシュを受けましたが「絶対倒れへんぞ」と耐え抜きました。最後まで倒れず、諦めない、気力を振り絞って戦っていました。最後はレフリーが割って入ってTKOを宣告されて。「まだやれる。こんなもんで終わってたまるか」とTKOの結果に納得がいきませんでしたが、レフリーに体を支えられて「戎岡、もうええ、もうええから。よう頑張ったぞ」と言われて。「ああ、俺はレフリーにまで体を心配されているんか…」と思ったら、ふと「これが最後の試合になったんやな」と自然に納得できました。レフリーも自分のそれまでの12年間、大きな怪我のことを知ってくれていて、心配してくれていたんです…引退の決心がつきました。

ー自分が納得の行く形で身を引くことができたんですね。

戎岡●今でもリングに上がりたい、とは思うことはあります。ただ「やり切った」と納得して新たな人生のスタートを切ることができたから、気持ちを新たに今、商売の世界で上を目指しながら頑張れているのでしょう。

ー今は「楽寿庵」の店長として、蕎麦の世界で新しい挑戦を始めたわけですが、それもボクシングが縁で始まったお仕事なんですよね。

戎岡●地元で有名な「永楽堂」というお菓子屋があるのですが、そこの社長がずっと自分の試合を見に来てくれていて。ボクシングに対する自分の姿勢を評価してくれていました。ちょうど自分が引退してすぐの頃、社長が「楽寿庵」という屋号で蕎麦屋を始めることになり「俺と商売の世界で上を目指さへんか?」って自分に声をかけてくれたんです。しばらく悩みましたが、今はボクサーとしてではなく、商売の世界で「楽寿庵」を盛り立てていくことに情熱を注いでいます。

ーボクシングを引退し、商売1本の生活になったわけですが、仕事が終われば今は心おきなくハーレーを楽しめるようになったのでは。

戎岡●忙しくてなかなかパンヘッドに乗る時間は取れないですが、ハーレーがあるから今も頑張って仕事ができます。現役の頃も引退した今も、ハーレーが頑張れるモチベーションなのは変わっていません。ボクシングを始めてから今まで、いつも側にハーレーがありましたからハーレーには自分の気持ちがたくさん籠められています。これから商売で頑張っていく思い出もどんどん詰まっていくでしょう。だから、この先たとえどれだけ成功したとしても、今のパンヘッドはずっと持ち続けているでしょうね。

ーこれから先に描いている目標は何かありますか?

戎岡●商売の世界で上を目指すのはもちろんですが、何歳になってもハーレーが似合う「シブイ親父」でありたいですね。「戎岡はボクシングを辞めてショボくなった」とは言われたくないですから、今でも毎朝走って筋トレもしています。今度ベンチプレスの大会にも出てみようかと思っています。実は50歳を過ぎたら今のパンヘッドをチョッパーにするつもりなんですけれど、そのとき造るチョッパーに負けないくらい外見も中身も「シブイ親父」になっていたい、それが今の目標ですね。

プロフィール
戎岡 彰
32歳。フルカスタムの53年式ELを所有。2005年4月までプロボクサーとしてSバンタム級、フェザー級のリングに上がり、日本ランキング入りをした経歴を持つ。引退後は蕎麦の専門店「楽寿庵」の店長として世界を目指している。

Interviewer Column

戎岡さんの地元は実は私の地元とかなり近く「ボクサー戎岡 彰」のポスターは学生の頃から目にしていた。TVに出演した映像も見たことがあり「かなり怖そうな人」というイメージを勝手に作り上げてしまっていた。インタビュー当日は実はかなりビビっていた私だけれど、初めてお会いする戎岡さんは想像以上に気さくな方で一安心(笑)。初めてお聞きするプロボクシングの世界の話は非常に興味深く、よくその世界で12年間も現役を続けられたと驚かされた。今、戎岡さんはプロを引退し、蕎麦の道で世界を目指し始めている。ボクサーとして培った向上心は今、商売の世界で花を開こうとしている。機会があれば是非、戎岡さんの作る蕎麦をぜひ食べに行って欲しい。手を抜かず、精魂込めて作られたお蕎麦は美味の一言に尽きる。(ターミー)

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