VIRGIN HARLEY |  高木 昭仁(フォトグラファー)インタビュー

高木 昭仁(フォトグラファー)

  • 掲載日/ 2006年03月08日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

人との出会いに助けられ
今、僕はここにいるんです

今回ご紹介するのは東京都世田谷区のカメラマン 高木昭仁さんだ。雑誌の表紙や街で目にする広告など、高木さんの活躍の場は広い。そんな高木さんと「VIRGIN HARLEY」の間には実は不思議な縁がある。「VIRGIN HARLEY」が立ち上がる前、まだスタッフ全員が国産車に乗っていた頃、当時XLH883に乗っていた高木さんとツーリングに行ったことがある。その時にXLH883をお借りして、スタッフ一同「ハーレーが欲しい」となった。もう懐かしい思い出だ。高木さんを含めたいくつかの出会いを経て「VIRGIN HARLEY」は立ち上がったわけだが、高木さんも出会いに導かれ、カメラマンの夢が叶ったと聞く。人生は人との出会いで回っていく、そんなことを改めて実感したインタビューをぜひ楽しんでいただきたい。

Interview

たまたま写した1枚の写真
それが人生を切り拓いてくれました

ー高木さんが、真剣にカメラに触れはじめたのは中学生の頃だとか。

高木●小学生の頃に叔父にカメラをもらって触ってはいましたけれど、決定的だったのは中学生の頃ですね。同級生に、親から最新型のカメラを買ってもらい、現像設備まで揃えてもらった金持ちの息子がいたんです。それが羨ましくて。ゴルフ場でキャディのアルバイトをしながらお金を貯め、カメラを買い、家の押入れを改造して暗室を作ったんです。それからですね、写真を撮ってはせっせと現像するようになったのは。

ー友達への対抗心だけでは熱中も長続きしませんよね。写真の何が魅力的だったのでしょう?

高木●時間を切り取って残せる、そこに惹かれたんでしょう。記憶は次第に薄れていきますが、時間がたったとしても、写真を見れば記憶がパッと甦るでしょう。綺麗な風景やスポーツの試合の写真を、夢中になって撮っては焼いてました。高校に入っても写真に飽きることはなく、むしろもっと写真を学びたいと思うようになり、実家の四国から大阪の写真専門学校に進学したんですよ。

ー大阪に出てから変わったアルバイトをしていたようですね。

高木●新聞社でした。親からの仕送りだけではキツかったですし、高校卒業間際に飛込みでバイク免許を取っていたので、バイクを買うお金を貯めたくてね。専門学校の先生に紹介してもらったんですよ。でもその新聞社のバイトは、普通のバイトじゃありませんでした。なぜか2年契約で、学校が終わったら月曜~金曜まで新聞社に働きにいく…まるで社会人みたいな生活を送るハメになりました。せっかくの学生生活なのに、なんて仕事を選んだんだろう、最初はちょっと後悔しましたね(笑)。

ー最初のハーレーを手に入れたのはその頃だったとか。

高木●スポーツ部のカメラマンが撮影したフィルムを会社に持ち帰り、暗室で焼く仕事です。慣れてくると、カメラマンが忙しいときに撮影させてもらえることもあり、スポーツ新聞の一面を僕が撮った写真が飾ったこともありました。あれはとても嬉しかったですね。

ー羨ましい経験です。

高木●いえ、広告制作会社でした。新聞社の仕事も興味はありましたけれど、昔から雑誌の仕事に憧れを持っていたんですよ。華やかなモデル写真や広告写真の方に興味があったんですね。専門学校はサボりがちで、実はちゃんと就職できるか先生にも心配されていましたが、スポーツ新聞の一面をたまたま飾った写真が認められたんです。あのときは、新聞社で2年頑張ってよかった、と心底感謝しましたね(笑)。

ークリエイティブの世界は就職するにも競争が激しいようですね。

高木●一見華やかな世界に見えますから。でも、最初の給料は安いですよ~(笑)。新聞社のアルバイト時代の方が良かったくらいです。私はなんとか生活できるくらいの初任給でしたけれど、高名なカメラマンの弟子になった友人は月給3万円でしたよ。

ー3万円じゃ生活できないですよ…。見習いの内はどんな仕事をするのでしょうか。

高木●最初は地味な仕事からです。来る日も来る日も、先輩カメラマンが撮った写真を暗室で焼いていました。少し慣れてきて、最初に任された撮影は文房具会社のカタログ撮影。何百本もの鉛筆を綺麗にライティング(光量を調整すること)して何日も撮影していました。初仕事で嬉しかったけど、自分の撮りたい写真ではありませんでしたね。だから、デザイナーさんに写真を見てもらって、自分をPRしていました。そのおかげで、若いうちからチャンスを与えてもらいましたけれど、それでも撮りたい写真を撮れないジレンマはありましたね。

北海道で過ごした3ヶ月が
人生の転機だった

ー4年働いて、旅に出たとお聞きしましたが。

高木●社会人2年目のとき『YAMAHA SR』を手に入れて、お盆休みに北海道まで撮影の旅に出かけたことがありました。自分の好きな写真を好きなだけ撮る時間が欲しくて、ね。今思うと、それが人生の分岐点でした。初めて渡った北海道で写真を撮ったり、同じバイク乗りと仲良くなったり、北海道の魅力に目覚めてしまったんです。翌年もお盆休みに北海道に旅に出まして。「もっとたっぷりと時間を取り、北海道を撮影して周りたいな」という気持ちが抑えられなくなって、勤めていた会社を辞めてしまったんです。撮りたい風景があると、絶好のシャッターチャンスが来るまで何日もねばり、時間を気にせず好きなように。結局3ヶ月ほどいたのかな。旅の軍資金が尽きて、大阪に戻ってきましたけれど、今でも懐かしい、思い出深い3ヶ月が過ごせました。

ー北海道の旅が終わってからも、貴重な経験ができたとか。

高木●帰ってきてから、実はハワイで写真スタジオのスタッフをさせてもらう機会がありました。僕に仕事がないのを心配した兄が誘ってくれたんです。空いた時間は自分の好きな写真を撮ってもいい、というすごい待遇で働かせてもらっていました。永住ビザも取ってくれるなんていう話もあったのですが「スタジオのスタッフじゃなく、カメラマンとしての仕事がしたいんだ」と若気の至りで(笑)考えてしまって、大阪に戻ることにしました。ハワイにはそれほど長くいたわけではありませんが、日本にはない景色を見て、日本人とは違う価値観に触れられたこと、海外生活を若いときに経験できたこと、それはとてもいい刺激になりました。

ー大阪に戻ってきてからフリーカメラマンとして働き始めたのですね。

高木●ハワイに行く前に、先輩からある出版社の紹介を受けて、フリーで撮影の仕事をさせてもらったことがあったんです。ハワイから帰ってきて「さて、どうしよう」という時期でしたから、ハワイ土産を持って挨拶にいくと、たまたまカメラマンを探していた時期で、定期的に仕事をもらえるようになりました。当時は大阪にはフリーカメラマンが少なかったせいか、実績を重ねていくに連れて他の仕事も順調に増えていきました。

ーなぜ、そんなにうまく行ったのでしょうか。

高木●制作会社で多くのカメラマンのアシスタントをしたからでしょうか。それぞれのカメラマンのスタイル、撮影のアングルや露出データを学べたのでフリーになってから、その経験を認めてもらえたのでしょう。

ー関西で地盤を築いて、5年前から東京で活動し始めたとか。

高木●大阪の仕事は弟子に譲り、東京に出てきたんです。東京で自分がどこまで認められるのか、それをつい試したくなったんですよ。出版社や大きな広告代理店の多くが東京に集中しているため、大きな仕事はやはり東京に多い。その環境で勝負してみたいな、と。最初は、何のコネもなく東京に出てきて「これから人生どうなるんだろう」なんて思いましたよ。けれど、関西時代の人のつながりに助けられて、雑誌の表紙を飾る仕事を任せてもらえるようになりました。新聞社、制作会社、フリー時代、大事な節目に周りの人に助けられ、今、東京で仕事ができています。ホント、不思議な縁に助けられていますよ。

ー東京に出てきたことが縁で、一時は離れていたバイクに乗り始めんですよね。

高木●東京に出てきてすぐの頃は、時間に余裕がありましたから。前々から大型二輪免許は欲しいと思っていたんです。それに知らない街で、道を覚えるときはバイクに乗ってウロウロするのが一番ですからね。生活にも少しですが、余裕もできていましたから、ハーレーを買ってもいいかな、と少し贅沢しちゃいました(笑)。昔から「いつかはハーレー」と思っていたんですよ。

ーハーレーの魅力は、堪能できましたか。

高木●あんまり大きすぎるハーレーだと都内は走りにくい、そう思って883を選びました。やはり、面白いエンジンですね。バイクらしいフィーリングがきっちり残っています。SRに乗っていたときに感じていたバイクの面白さを、改めて楽しんでいます。

ーしばらく離れていたバイクにまた乗り始め、懐かしい思い出が甦ったのでは?

高木●北海道を旅していた頃を思い出しましたね。暖かくなったら、また北海道に行ってみたい、懐かしい景色をもう一度辿ってみたい、そう思っています。一応、昔の旅で使ったテントやシェラフも持っていますが…、年齢的にも次は宿を取って旅をしたいかな(笑)。そうそう、最近は走っていると、北海道を旅していた頃に思い描いていたことをよく思い出すんです。若い頃の夢というやつですか。いつか、その頃に思い描いていたような仕事をやってみたい。ハーレーは私にそういう初心を思い出させてくれもするんですよ。

プロフィール
高木 昭仁
41歳。雑誌や広告の世界でベテランフォトグラファーとして活躍中。仕事の細かな条件よりも、面白さを追求するアーティストでもある。多忙のためにハーレーにあまり乗れないのが、悩みといえば悩み。

Interviewer Column

人との出会いが僕の人生を変えた、高木さんはそう話してくれた。でも、きっと高木さんは気づいていないけれど、周りの人の人生をいい方向に変えているんじゃないか、そう思う。一緒にツーリングにいったとき、高木さんが私たちVirgin Harleyスタッフに貸してくれた883が、私たちの人生を変えたのは間違いないことだから。きっと、どんな人もたくさんの出会いによって、人生はいい方向に変えられているはず。今までに出会った人の顔を思い浮かべると、何かしらその出会いに感謝することがあるはず(ターミー)。

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