VIRGIN HARLEY |  塚本 正信(Cafe Bar M)インタビュー

塚本 正信(Cafe Bar M)

  • 掲載日/ 2006年07月16日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

自分が感じた感動を
それをただ味わって欲しいだけ

今回ご紹介するのは神奈川県横浜市の塚本 正信さんだ。都内は二子玉川にある“カフェバーM”のマスターというと、ご存知の方もいるだろう。ショベルヘッドが現役だった頃にハーレーに乗り始め、今でも3台のハーレーを所有している。塚本さんにハーレーのことを相談するため、日夜“カフェバーM”を訪れる人も多く、カフェバーというよりは“よろず相談室 M”と言ってもおかしくない。ここに私が出入りするようになって驚いたのは、毎年お店を訪れるお客さんとアメリカまでツーリングに出かけていることだった。出発日からコース選びまで、自分たちでセレクトしたアメリカツアー。旅行会社が企画した同様のツアーは多いが、個人が集まってツアーを行うのは非常に珍しい。忙しい合間を縫って塚本さんがツアーを続ける理由とは? それをお聞きするためにインタビューに伺った。

Interview

90年に手に入れたスポーツスター
それがきっかけでハーレーに夢中になりました

ーハーレーに憧れたきっかけは?

塚本●高校生の頃、友人の家に遊びに行く途中に輸入バイクを扱うディーラーさんがあって、よくその前を通っていたんです。そこに展示してあったショベルのFXがカッコよくてね。お店の前を通るときに、いつも横目でチラチラと見ていたんです。当時のディーラーは敷居が高かったので、とてもお店の中に入れる雰囲気じゃなかったんですよ。立ち止まってじっくり眺めることもできず、いつも横目(笑)。それでも伝わってくる雰囲気は他のバイクと違うものがあって「やっぱりこのバイクは違うなぁ」と。ハーレーは僕の憧れの乗り物だったんです。

ーでも初めて手に入れたハーレーには長く乗っていなかったとか。

塚本●ショベルヘッドのFXSというモデルでしたが、中古車を買ったこともあって、とても手に負えるものじゃありませんでした。ディーラーに修理をお願いしようにも「いつ修理できるのか、いくらかかるのか」がわからないので怖くて出せない。かといって、カスタムショップなんて当時はない。自分で見よう見まねで修理しようにも工具は売っていないし情報もない。当時28、9歳の僕に維持できるバイクではなかったんでしょうね。1年ほどで降りてしまいました。

ー次にハーレーに戻ってくるまで時間は空いたのでしょうか?

塚本●アイアンスポーツを買った親戚がいて、それを借りて乗りまわした時期もありました。再び自分のハーレーを手に入れたのは30歳を過ぎてからですね。ショベルヘッドのワイドグライドを買って、それには何年か乗っていました。ワイドグライドはなかなか面白いバイクでしたよ。バイクに乗ってキャンプやツーリングに初めて出かけたバイクでしたから。でも、仕事が忙し過ぎて乗る時間がなくなり、結局ワイドグライドも手放してしまいました。僕が本格的にハーレーを楽しみだしたのは、それから10年ほどたって4速のエボ・スポーツスターを手に入れた頃からですね。

ー10年近くのブランクを経て、ハーレーに戻ってきたのには、何かきっかけが?

塚本●当時はちょうどハーレーブームがはじまった頃で、バイク雑誌でハーレーを目にする機会が増えてきたんですよ。それで「今のうちにハーレーに乗っておかないと、歳を取ったらもう乗れないかも」と思いはじめて。昔乗っていたFXやワイドグライドのことを思い出してしまったんです。「乗りにくいバイクだったけど…面白かったな」とね。

ー10年振りのスポーツスター、いかがでしたか?

塚本●10年前に感じたモノと、何か違う感動がありましたね。ショベルヘッドに乗っていた頃のハーレーのフィーリングは体が覚えているんですけれど、10年も車ばかり乗っていたので、スポーツスターに乗って感じるエンジンフィーリングはとても新鮮で心地いいものでした。それに手に入れたのはスポーツスターでしたから、小回りは利く、そこそこ速い。素直に「面白い!」と思える1台でした。

ーかつてのようにトラブルに悩まされることはなかったのでしょうか?

塚本●昔と違って少しは雑誌からハーレーの情報が入ってくるようになっていましたし、たまたま知り合った人がハーレーに詳しく、自宅にどんな工具でも持っている人で。メンテナンスのことやトラブル時の対処方法を学ぶ機会もありました。自分のハーレーを自分で触る、その面白さを知り始めた時期ですよ。

ーそれから92年式のヘリテイジに乗り換えられたんですよね。

塚本●スポーツスターは今も持っていますよ。妻が乗っています。ハーレーに夢中になり始めると、スポーツスターでタンデムをして、あちこち出かけるようになっていたんですが、さすがにスポーツスターだと少し小さいな、と思いまして。今もお世話になっている陸友モータースでヘリテイジを購入したんです。さすがにFL系だけあって、どれだけ走っても苦にならない。しかも、ヘリテイジは僕にカスタムの面白さも教えてくれました。

ー当時はまだまだカスタムパーツもショップも少なかったでしょう?

塚本●どんなパーツがあって、どんなカスタムができて、どこにお願いすればいいのか…まったくわかりませんでした。でも、アメリカの雑誌を手に入れて隅から隅まで読み、アメリカのカスタムバイクをじっくり見て「こんなハーレーがあるの?」と勉強していました。『バイブズ』や『ホットバイク』なんかもその当時に創刊され、それ以降は日本でも情報が手に入りやすくなってきましたね。雑誌でカスタムバイクを見ては上野にパーツをオーダーしたり、個人輸入で入れてもらったり…。自宅に工具もどんどん増えていきました。でも、この時期に嫌になるほど雑誌を読み、人に相談したおかげで、各モデルの違いなどは自然に覚えられましたし、ハーレーでできること、できないこと、やっちゃいけないことも学べました。

アメリカツーリングは遠い夢じゃない
手を伸ばせば掴める夢です

ーミーティングなどのイベントには行っていたのでしょうか?

塚本●当時はミーティングなんてまだまだ少なくて、そんなものがあることすら知りませんでした。でも、ショップで知り合った方に第0回の“バイブズミーティング”に誘われて、はじめてハーレーのイベントに顔を出してみたんです。カルチャーショックでしたね。自分と歳の近いバイカーもたくさんいて、初対面の者同士が同じ時間を楽しく過ごせる…「こんな世界があったんだ!」と驚きでしたよ。ミーティング中にバイカーの結婚式なんかも行われてね、みんなで祝福してあげたんです。あれには感動しましたね。

ー塚本さんのハーレー観を変えるほどの出来事だったんですね。

塚本●バイブズミーティングがきっかけで、イベントには顔を出すようになりましたし、チャプターツーリングのお手伝いまでするようになりましたから。自分が味わったあの感動を、他の人にもぜひ味わって欲しい。もともと、あれこれ準備をするような裏方作業は嫌いではありませんから、ツーリングコース選びから下見まで楽しみながらお手伝いをしていました。

ー今では単なるツーリングを超えて、アメリカツーリングを個人で企画するほどになっていますね(笑)。

塚本●4年前にホットバイクで「激走2500km」というアメリカツーリング企画があり、それに参加したのがきっかけです。4日で2500kmを走破する、かなりハードな企画でしたけれど“カフェバーM”のお客さんを誘い参加してみたんですよ。1日700km近い距離を走ったり、仲間が途中ではぐれて行方不明になったり、とハードな旅でしたが、モニュメントバレーやグランドキャニオンなど“壮大”という言葉では片付けられないような景色を見ることができました。「この景色、仲間にも見せてやりたいな」心底そう思える体験でしたね。そんなとき、コーディネーターの方と親しくなり、翌年からは「アメリカを走りたい!」という人を集めて自分たちでアメリカツアーをやるようになったんです。ホットバイクのツアーから今までで、もう6回ほどアメリカを走りましたね。

ー何度も行っても飽きないものなのでしょうか?

塚本●初めてアメリカを走ったときの感動は特別なものですが、行く度に発見がありますよ。州を越えると人や景色の雰囲気が微妙に変わったり、年々深まってくる現地の人との交流からイベントに招待してもらえたり、ね。今年のツアーからはアリゾナ州ウイリアムスという街で開催される「Hog Rally」で1泊することにしたんですが、それは昨年そこで出会ったハーレー乗りと親しくなったことがきっかけです。ただ決められたコースを走るだけじゃ、毎年行く僕も飽きるので、コースは少しずつ変えますし、現地でいい情報が手に入れば行程表にないコース変更もしちゃいます。僕らは商売ではなく、自分たちの遊びで企画しているだけなので、その辺は臨機応変に楽しんでいます。

ー商売じゃない、ということは、参加する方にも制限があるのでしょうか。

塚本●特にありません。あえて言うのなら出発前に参加者でミーティングをするので、それに参加できる人、くらいでしょうか。日本とは違う国への旅行なので、守るべきルールをあらかじめ知ってもらうんです。それに、いきなり現地で初対面の人同士が会うより、一度ミーティングで会っていれば親しみやすくなりますから。

ーツアーの時期が春過ぎや秋など、一般の人には少し参加しづらい気がするのですが。

塚本●航空チケットが安い時期を選んでいますからね。参加者の方はサラリーマンの人が多く、みんな休みを取るのに苦労しています。でも、お盆やGWに行きたいのであれば他のバイクツアーがありますし、僕らはお金持ちではないので、限られた予算でアメリカをめいいっぱい走ろうとしているだけなんです。本当にアメリカを走りたいと思えば、少し前から準備をすれば何とかなるものですよ。一歩踏み出す勇気があれば…何とかなります。

ーアメリカを走る…一般の方からすると夢のような話でしょうから、現実に考えられないのかもしれませんよ。

塚本●それほど大げさな“夢”じゃないですよ。手を伸ばせば掴める“夢”です。僕はもう歳を取ってしまったので、あと何回アメリカを走れるのか、と思うことがあります。走りたいと思うのでしたら、走れるうちに無理をしてでも行っておくべきでしょう。あとで後悔するかもしれませんから。それに、できるだけ若いうちにアメリカを走った方がたくさんの感銘を受けられるでしょうしね。日本とは違う、大きなアメリカを見て、走り、自分でガソリンを入れて、現地の人と交流する。僕らのアメリカツアーはたった1週間くらいの旅ですけれど、この旅を経験すると、きっと何かが変わるでしょう。僕が初めてアメリカを走ったときはそうでしたから。

ー塚本さんは自分で旅費を払ってまでして、なぜ毎年アメリカツアーを続けているのでしょうか。

塚本●行くたびに発見がある、という理由は大きいです。でも、一番の理由は、自分が過去に経験した感動を他の人にもして欲しい、自分が見て感動した景色を他の人にも見てもらいたい、それだけなんです。帰ってきたら周りの人にもその感動を伝えて欲しい。自分が感動したものが周りに広がるのは嬉しいことですからね。

ーアメリカを走る感動を伝えたい、と。

塚本●そう。だから別に僕たちのツアーに参加できない人から相談を受けてもいいんです。一人でアメリカを走ろうと思っている人だってOK。オススメルートから準備しておいた方がいいことまで、僕の知る限りのことは教えてあげますよ。ただアメリカを走り、感動して帰ってきてくれたらいいんですよ(笑)。

プロフィール
塚本 正信
59歳。92年式ヘリテイジ、94年式ウルトラ所有。多くのハーレー乗りが“よろず相談室”として出入りする「カフェバーM」を奥さんの美恵子さんとともに経営。国内から海外までツーリング経験が豊富で多くの人から頼りにされている。

Interviewer Column

「面倒見がいい人」。塚本さんを一言でいうならこの言葉がしっくりくる。奥さんの美恵子さんと経営している“カフェバーM”には毎日いろんな人がやってくる。ハーレーの購入相談からカスタム、はたまたアメリカを走ることを夢みる人まで多くの人が訪れる。そんな人たちに向けて、塚本さんはきっと何度も同じ話をしているはず。同じハーレーを愛する者同士、求められれば塚本さんはいつも初心者に胸を開いてくれる。同じことを私がやるとしたら…とてもそこまでたくさんの人の面倒は見られない。私は関西という“カフェバーM”から離れたところに住んでいるけれど、何か悩み事があればハーレー乗りの駆け込み寺“カフェバーM”にハーレーを走らせることだろう。塚本さん、これからもお世話になります(ターミー)。

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