VIRGIN HARLEY |  JIN(バイカーズカフェ ココペリ)インタビュー

JIN(バイカーズカフェ ココペリ)

  • 掲載日/ 2006年08月11日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

想い続けて念じている限り
いくつになっても人は前に進めます

今回ご紹介するのは、奈良県生駒市の「BIKERS Cafe KOKOPELLI(以下、ココペリ)」オーナーJINさんだ。ココペリの名を初めて聞いたときから不思議な縁を感じていた。『ココペリ』とは、豊穣や子宝などをもたらすと言われるアメリカ先住民の精霊の名前。以前から私のスポーツスターのタンクにはココペリのロゴが入っており、同じココペリ好きな人がやっているお店には興味津々だった。今、日本にはバイカーズカフェが増えつつあるけれど、どんなオーナーが、どんな夢を持ちお店をOPENするに至ったのか、そこには必ずストーリーがあるはず。バイカーズカフェは商売でやるにしては苦労が多く、儲からないと聞くからだ。今回お話をお聞きしたJINさんは、どんな夢を持ってココペリをOPENさせたのか、夢の実現に至った道のりをお聞きしてきた。

Interview

20年に渡るホテルマン生活
海外をあちこちと動き回りました

ーハーレーに乗り始めたのはいつ頃からでしょうか。

JIN●4年前、51歳のときにヘリテイジを手に入れたのが初めてでした。それから、2台のハーレーを乗り継ぎ、今はロードキングに乗っています。

ー遅咲きでハーレーに乗られたんですね。バイクに乗り始めたのもその頃でしょうか。

JIN●高校生のときに免許を取って、高校生ながら日本をあちこち走っていました。夏休みの宿題にはまったく手をつけず、休みの間ずっと北海道をツーリングして怒られたこともありましたね(笑)。高校を出たら、親の仕事の関係でアメリカのテキサス州に渡ることが決まっていたので「日本で走れるうちに」と思って、勉強はそっちのけであちこちまで走りに行きました。

ーアメリカに渡ってからもバイクには乗っていましたか?

JIN●もちろんです。ただ、お金がなかったので小排気量の中古バイクを買って乗り回していました。テキサスで通うことになっていた大学や、アルバイトをしていた牧場へ行くために移動手段は不可欠でしたしね。ホントは車を“足”として使うのが一般的なのですが、やっぱりバイク好きでしたから。非力なバイクでウロウロと走り回っていたんですよ。

ー牧場でアルバイト。今のJINさんのスタイルはそこから来ているんですね。

JIN●実家が牧場を経営している同級生がいてね。僕らの年代は小さい頃にTVで西部劇を見て育っているので、“カウボーイ”には憧れがあったんです。せっかくのチャンスですから、そこで無理やりアルバイトをさせてもらったというわけ。馬の乗り方は、その時に教えてもらいました。そこは見渡す限りが自分の牧場、というくらい広大な牧場で。時には放牧している牛集めるために、1週間くらい馬で旅をするんです。旅の間は草の上に毛布を1枚引いて寝たり、焚き火に当たりながらカウボーイ料理を味わったり、テレビで見たカウボーイ生活を楽しみました。僕が今、こういう格好をしたり、アウトドアが好きだったりするのは、この体験がルーツなのは間違いありません。

ーアメリカで大学を出てからは何をされていたのでしょうか。

JIN●現地で就職して、海外展開をしているホテルに勤めることになりました。私が勤め始めた頃はまだ日本がバブル景気の頃で。海外旅行をする日本人が増えはじめていた時期でした。でも、僕が働いていたホテルは日本人スタッフが少なくてね。日本の観光客が多い各国のホテルに、転勤の連続。「ヨーロッパのホテルに行け」、「アメリカのホテルに行け」と、世界各地をトランク1つで渡り歩く生活ですよ。おかげでいろんな国に滞在することができて、貴重な経験ができましたけれどね。

ーホテルマン時代に、何ヶ国くらいに住んでいたのでしょうか。

JIN●22歳~42歳までホテルの仕事を続けましたが、アメリカ、スイス、イタリア、フランス、ドイツ、オーストラリアには1年以上滞在し、少しはゆっくりと現地を楽しめました。ヘルプで呼ばれて短い滞在をした国もあるのですが、正確な数はちょっと覚えていませんね。どこかの国に腰を据えて落ち着くことはできませんでしたが、この仕事のおかげでいろんな国の方と知り合い、いろんな街を見て、いろんな遊びを覚えられました。私にとってホテルマンは天職だったと思います。世界のあちこちを動き回る日々で、好きなバイクに乗れないのが少し残念でしたけれど。

ー行く国々でしっかりと遊ぶことも忘れなかったのですね(笑)。

JIN●「仕事のために遊ぶ」という面もあるんです。お客さんから近隣でのレジャーについて聞かれることは珍しくありませんでしたから。そういうときに自分が経験してきた“引き出し”が役に立つんです。なので、遊びと名がつくものは一通りやりました。“ヨット”、“クルーザー”、“スカイダイビング”など、面白そうと思ったものには、とりあえず手を出してしまう性分というのもあって、何にでもチャレンジしましたね。

メーカーを超えてバイクが集まるカフェ
それが思い描いた夢でした

ー羨ましい生活ですね。バイクに乗れないなんて、些細なことのような気がします。実際、バイクに乗るようになったのはホテルマンを辞め、日本に帰ってきてからなんですよね。

JIN●日本に帰ってきてからバイクを何台か乗り継ぎ、初めてのハーレー「ヘリテイジ」を購入しました。アメリカに住んでいた頃、たまに街でハーレーを見かけることがあって、それからずっと頭の片隅にハーレーがあったんです。ホテルマン時代はいろんな国を転々としていましたから、乗ることを半ばあきらめていましたが…。日本に戻ってきてバイクに乗れる環境になると、またハーレーのことが気になりはじめまして。知り合いからも「欲しいんだったら、買っちゃいなよ」と煽られ、購入に至ったわけです。自分のハーレーに初めて乗ったときは、嬉しさなのか達成感なのかよくわからない感情が盛り上がってきて、胸がいっぱいになりましたね。近所の人には白い目で見られていたと思いますけれど(笑)。

ー白い目とは?

JIN●日本に帰ってきてから、しばらく無職の時期があって「胡散臭い人だ」と思われていたみたいなんです。一日中家にいるかと思えば、昼間からバイクでどこかに出かけて行ったり、テンガロンハットをかぶってカウボーイのような格好で外を散歩したりしていましたから(笑)。僕が住んでいる生駒市というところは、少し保守的な街なので、なおさら胡散臭く見えたのでしょう。

ーハーレー乗りは目立ちますからね(笑)。でも、そんな目で見られる以上に、新しい出会いも多かったのでは?

JIN●うーん、そうでもないですね。どこかのクラブに入っているわけじゃありませんでしたから。ソロで走ることが多かったんですよ。生駒周辺はバイクで走って気持ちがいいところはたくさんありましたから、時間があればふらっと出かけていく気楽なスタイルでした。ただ、バイクで遊びに行って歓迎してもらえるカフェはほとんどなくて、それには困りましたね。近場を流して走るときはカフェに寄りたいじゃないですか。ツーリング先で知り合った方に聞いても「ないですねぇ」と。そんなことが続いて、ずっと頭の中に「行きたいカフェがないなら、自分でやってやろうかな」という思いを持ちはじめたんです。そうしたら、何かの縁でしょうか、たまたま今の場所が見つかって念願のお店をOPENさせたわけです。

ー「バイク乗りが気兼ねなく、くつろげる場所」ですね。

JIN●本当はダイナーをやりたかったんです。ビリヤードやダーツがあって、店内でウェスタンが流れるようなお店をね。でも、ダイナーだとかなり広いスペースが必要ですし、「日本じゃまだ早いかなぁ」と思い、誰でも気軽に遊びに来れるカフェにしたんです。

ーアルコールはわざと置いていない、とお聞きしましたが。

JIN●「アルコールは置かないの?」とお客さんにもよく聞かれますが、それだけはやめておこうと思っています。アルコールを置いた方がお客さんが増えるのはわかっていて、商売的を考えると置くべきなんでしょう。でも、バイク乗りがお酒を飲んで、事故でもされたら後悔するでしょうから、置かないと決めています。儲けだけで始めた商売じゃないですからね。儲けも大事ですが、同じ趣味を持った人がやってきてくれる、それが重要なんです。コーヒー1杯で何時間もいる人もいます(笑)。でも、居心地がよくていてくれるのでしょうから、気になりません。逆にこちらから、何時間も話し込んでしまうことがあるくらいです。

ー「ハーレー乗りが集うお店」ではなく、「メーカーを問わないバイク乗りが集うお店」を目指してらっしゃるのでしょうか。

JIN●店の前に僕と妻のハーレーが停まっているので、ウチを「ハーレーのお店」と見る人もいますけれど、僕らは「たまたまハーレーを選んだだけ」です。峠を走りたくなったら、他のバイクに変わるかもしれません。昔からバイクは「自由の象徴」のように例えられますが、意外に変な“壁”を作ってメーカーや車種にこだわっている人が多い気がします。もちろん自分の生き方として“ハーレー命”、“カワサキ命”などはいいと思いますよ。でも、それは自分の中だけのこだわりでいいはずで、他のバイクに乗っている人に対して“壁”を作ってしまうのは、勿体無いと思うんですよね。海外に住んでいたときは、どんなバイクに乗っていようが、ドライブインで他のバイク乗りから話しかけられました。バイク乗りなんて日本人の一部、マイノリティなんですから“同じバイク好き”であれば気楽に話せるフランクな関係が築ければいいですよね。僕は日々、そう考えているので、いろんなバイク乗りが訪れて、コミュニケーションできるお店になるよう心がけています。

ーところで、バイカーズカフェとなるとよくあるのが、「初めて来る人が入りづらい」というイメージがなんとなくあるように思うのですが。

JIN●「常連ばかりが集まるお店」ですね。僕もそんな雰囲気のお店で入りづらい経験をしたことがありますので、そんな気持ちをお客さんに味わって欲しくはありません。いろんな人に訪れてもらって、お店で知り合ったお客さん同士が知り合い、ツーリングに行ったり、カップルが生まれたり、そういう嬉しい出会いがこれから増えていって欲しいですね。ホテルマンをやっていたときにも思っていましたが、ホテルも今のお店も「人と人との出会いの場」なんですね。せっかく来ていただくわけですから、僕が提供する空間の中でいろいろな方と“いい出会い”があって欲しい。僕もこのお店をはじめていい出会いがたくさんありましたから。ここに来る方みんなが、そういう経験をして欲しいです。チームの人とまとまって一緒に走るのもいいですけれど、そうじゃなくて個人と個人が、ウチのようなお店を核にして繋がっていけたらいいなあ、そんな風に思っています。

ー年齢も職業もバラバラ、そんな人が「バイク」というキーワードを通じて知り合うと仲良くなれますからね。

JIN●バイク好きがメーカーや年齢の区別なく交流できる、そんな場所って貴重ですよね。地元周辺のバイク乗りが集まり、情報交換ができる社交場へと育てていきたいんです。また、自分たちが経験してきたことを同じ「バイク好き」で繋がる若い人たちに繋いでいきたい、とも考えています。何のつながりもない年齢の離れた者同士だと、何かを伝えようと思ってもうまく会話できないこともあります。でも、何かの趣味で繋がっていると、お互いに無理せず自然と話すことができるんです。最近の日本はだんだんと“後進にモノを伝える文化”がなくなってきている気がしますから、世代を超えた交流の中で、10話をしたことの1でも2でもいいので、これからの人たちに何かを伝えらえればいいな、と思います。

ーバイク乗りの中で「いずれはバイク乗りが集まるお店を」と考えている人は多くいます。でも、なかなか実行に移すことはできないものです。JINさんがそれを実現できたのはなぜなのでしょうか。

JIN●借金だらけですし、想像するほど楽じゃないですよ、バイカーズカフェって(笑)。ただ、僕がこのお店をOPENすることができたのは「こんなお店を作りたい」と想い続けてきたからなのでしょう。日本語に「想念」という言葉があるのはご存知ですか? 何かを想い続けて念じている限り、いくつになっても人は前に進めます。想い続けて努力していれば、その想いはいずれ形になるんです。今までそうやって、自分のやりたいことを実現してきました。将来どうなるかはわかりませんが、実現したいことがあればとにかく1歩前に出るべきなんです。前に進んでいると、嫌な思いや苦労もするでしょうけれど、それは過程としては仕方がないこと。気にせず前へ進み続けてください。そうやって前に出続けていればきっと想いは適います。とにかく「やってみること」です。

ー今後はどんなお店にしていきたいですか。

JIN●お客さんがちょっとした整備ができるように、ジャッキや工具も揃えてガレージも開放したいですね。そうなると、もっと広い場所に引越しをする必要も出てきますけれど(笑)。前に進めば進むほどやりたいことが増えてきて困ってしまいます。バイクで乗り付けてきて、整備をして、コーヒーを飲んで飯を食べ、そんなことができる場所にするのが、これからの目標でしょうか。

プロフィール
JIN
55歳。10代でアメリカに渡り、20年間のホテルマン生活を経て、日本に帰国。帰国後にバイクに乗り始めたことがきっかけで「バイカーズカフェ ココペリ」をOPEN。奈良県生駒市周辺の多くのバイク乗りが集うカフェとして、その名は知られている。

Interviewer Column

初めて訪れる前から、いろんな人から「ココペリはいいよ。マスターは面白いよ」と噂はお聞きしていた。私の住む神戸から奈良は少し遠いけれど、そのお店の名前とマスターの噂を聞くと早く遊びに行ってみたい気持ちでいっぱいになっていた。実際に訪れると評判に違わず、気持ちよく時間が流れるカフェだった。いつも笑顔で穏やかに話すJINさんとスポーツスターに乗る奥さんとの掛け合いを見ながら、旨いコーヒーを頂く。ツーリングの目的地としてもよし、ツーリング中の休憩で行くもよし。奈良を訪れるならココペリに行かないなんて勿体ない話だ。これからもちょくちょく遊びに行きたいお店に出会うことができ、心が躍った私だった。(ターミー)

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