VIRGIN HARLEY |  ターミー(VIRGIN HARLEY初代編集長)インタビュー

ターミー(VIRGIN HARLEY初代編集長)

  • 掲載日/ 2009年03月04日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

VIRGIN HARLEY初代編集長が皆さんに伝えたい
サイト創設者としての想いとメッセージ

ハーレー専門の総合情報サイトとして6年目を迎えた「VIRGIN HARLEY.com」。まだ個人サイトだった時代から現在に至るまで、本サイトを力強く牽引してきたのが、VIRGIN HARLEY初代編集長のターミーだ。今回彼をご紹介するのはほかでもない、「バイクで世界を旅してきます」と言い、2009年2月をもってVIRGIN HARLEYから退くこととなったからだ。本サイトの創設メンバーにして、6年に渡り編集長を務めてきた彼にとって、VIRGIN HARLEYとはどんな存在だったのか。この機会に改めて話を聞いてみた。

Interview

今だから振り返ってみよう
VIRGIN HARLEY誕生の背景

ー今回はこういった機会なので、改めてターミーという人物に迫ってみたいと思います。まずは、自身のバイク遍歴を語っていただけますか。

ターミー●中学生の頃からバイクには興味があって、高校時代はホンダのNS-1というバイクに乗っていました。1年浪人したあと大学に進学、すぐに中型免許を取って、カワサキのバルカン・クラシック400を買いましたね。

ーもともとアメリカン志向だったんですか?

ターミー●そうですね。高校時代にアメリカンが流行っていたことや、バイト先の先輩が乗っていたスティードなんかに影響されたんですよ。それと、昔からインディアンジュエリーが大好きで、「それらが似合うバイクはアメリカンしかないから、乗るならアメリカンだ!」と思っていました。

ーハーレー乗りのベースは、そこでできていたんですね。

ターミー●昔からハーレーには憧れていて、古くから『VIBES』を購読して想いをめぐらせていました。でも学生だった当時の僕には、ハーレーは高価なものだったので、まず国産のアメリカンに乗ることにしたんです。予備校時代、服装はダブルのライダース・レザージャケットにウェスタンブーツで、髪型もオールバックでした。当時は今よりも体が引き締まっていて、鎖などをたくさんつけていましてね。歩くとガシャン、ガシャンって音が鳴って、その姿を見た友人が「お前、ターミネーターみたいやな」って言ったことから、今の「ターミー」という呼び名が生まれたんです。

ーそんな逸話があったんですね(笑)。予備校時代の話が出ましたが、ちょうどそのときに出会ったのが…。

ターミー●ええ、後に「VIRGIN HARLEY.com」を発案する佐藤です。彼とは大学が別々になったんだけど、意気投合したこともあって、ずっと一緒に遊んでいましたね。でも佐藤はバイクにまったく興味がなかったんです。それで何とか興味を持たせようと、僕のバルカンの後ろに乗せて、ツーリングやナイトランに連れて行っていました。ようやく彼に中型免許を取らせることができたんだけど、もう大学卒業間際だったんですよね(笑)。その頃、僕は大型免許を取得してバルカン800に乗り換えていました。それから僕は北海道に長期滞在するために大学を休学しまして、佐藤がひと足先に社会人になりました。

ー佐藤さんは東京の会社に就職。その翌年、ターミーと、同じくVIRGIN HARLEY創設メンバーである佐藤さんの学友・田中さんも、それぞれ東京の会社に就職されたんですね。

ターミー●僕はずっと関西にいたかったんですけどね(笑)。上京した頃に僕のバイク暦も10年ぐらいになり、ちょっとバイク熱が下がっていたんですよ。でも佐藤は免許を取ったばかりで、バイクが楽しくてしょうがない時期でした。それで、いつも彼にツーリングに誘われていました。今だから言えることだけど、もし佐藤に引っ張られていなかったら、僕はバイクに乗るのをやめていたかもしれません。

ー今のターミーからは想像もつきませんね(笑)。そのとき、佐藤さんはバルカンに乗っていたそうですね。

ターミー●佐藤がバイクを探していたときに「バルカンはいいぞ」って、僕が猛プッシュしましたからね(笑)。その後、大型二輪にステップアップした彼が突然「ハーレーを買う」と言い出して、本当に’02年式FXDLダイナ・ローライダーを買っちゃったんです。

ー佐藤さんが購入されたのを見て、ターミーも欲しくなったりしなかったんですか?

ターミー●もちろんうらやましかったですけど、それでも「まだ自分には早いな」と思っていました。結構慎重な性格なんですよ(笑)。ところがその年の夏、彼と四国ツーリングに行ったときに、ローライダーに乗らせてもらったんです。クラクラっときましたね、ハーレーの中でもビッグツインが持つトルクフルな鼓動と重量感は。それからもうハーレーのことが頭から離れなくなって。そして東京へ戻る道中、あるサービスエリアで佐藤に言ったんです。「今度の週末、行きつけのバイク屋に行って、そこにハーレーがあれば迷わず買う」と。国産の中古バイクがメインで、ハーレーは置いていないお店だったんですが、行ってみたらスポーツスターが1台だけありました。それが、今の愛車XL1200Cです。「もうこれは運命だ」と思いました。この出会いが、冷めかけていた僕のバイク熱を一気にヒートアップさせてくれました。

大切な愛娘VIRGIN HARLEYを
これからも愛してやってほしい

ーそこからターミーのハーレー・ライフが始まったんですね。

ターミー●そうです。そして僕がハーレーに乗るようになってから数ヶ月後、佐藤が「実は、こういうウェブサイトを作ろうと考えているんだ」と言ってきました。それが、「VIRGIN HARLEY.com」でした。インプレッションや最新カタログ、掲示板ぐらいしかコンテンツがないトップページだったんですが、それを見た僕は「すごい! これは人気が出るぞ!」と可能性を感じ、即座に協力を申し出ました。後になって聞いたんですが、そのとき佐藤は「ターミーが協力してくれるとは思っていなかった」そうです(笑)。

ーついにVIRGIN HARLEYが立ち上がったわけですね。でも今のように、会社を興しての運営ではなく、まだ個人サイトの段階だったんですね。

ターミー●ええ、そのときは僕も佐藤も田中も会社員でしたから。ただ、僕が勤めていたのが情報系企業で、あとの2人も同じような会社に勤めていたから、ウェブサイトの作り方や運営方法など、ノウハウは持っていたんです。とはいえ、始めた当初はデザインや編集などの技術が低い素人同然のサイトでした。それでも、誰もが求めていた初のハーレー専門の総合情報サイトだったから、「絶対に面白い。絶対に人気が出るぞ」って3人とも信じていましたよ。妄信的な自信と制作活動が功を奏したのでしょう、それからアクセス数も着実に増えていきましたね。

ーコンテンツが少ないとはいえ、仕事をしながらの運営は大変だったでしょう。

ターミー●忙しいことで有名な会社に勤めていたから大変でした。休日返上で取材に行ったり、夜遅くに帰宅してから原稿を書いたりと、最初の1年はそんな毎日が続きました。それでも、辛いと思ったことはないし、むしろ楽しくて仕方がなかったですよ。雑誌のように豊富なコンテンツを揃えたいと思い、むしろどんどん記事を増やしていったくらいです。気がつけば、VIRGIN HARLEYがライフワークになっていました。

ーそして2005年3月に3人で独立、VIRGIN HARLEYは新たなスタートを切ったんですね。

ターミー●よりVIRGIN HARLEYに専念しようということになって、会社を辞め、3人で生まれ故郷の兵庫県に戻りました。起業してVIRGIN HARLEYは生まれ変わりましたね。一気にコンテンツが増えてアクセス数も飛躍的に伸びましたが、同時に自分たちの仕事量も増えました。特に法人化したばかりの頃は収益も少なかったですけれど(笑)。

ーそれでも、やめようとは思わなかった?

ターミー●お金にならないし、シンドいことだらけだったけど、楽しいことの方が2億倍もあったから、やめようと思ったことは一度もないです。当時は「俺がVIRGIN HARLEYや!」って思っていました。今はそうだな…創業メンバー3人で育ててきた大事な娘みたいなものかな。もちろん、ほかにもたくさんの方の手助けがあって、現在に至るんですけどね。自分がここ数年間で何をしていたかは、VIRGIN HARLEYを見れば一目瞭然。それぐらい、VIRGIN HARLEYに心血を注いできました。企業に勤めていた頃は何百人、何千人で商品を作っていたけど、VIRGIN HARLEYは3人。だから認めてもらえたときは何百倍も嬉しかったし、逆に馬鹿にされたら心底悔しかった。本当、娘の親のような気持ちで育んできたって思っています。

ーしかしターミーは今回、そのVIRGIN HARLEYから身を引くことを決めましたね。それほど思い入れのある場所から去ろうと思ったのはなぜですか?

ターミー●「辞める」っていう意識はないんですよね。なぜならVIRGIN HARLEYは僕らの娘だし、嫁に行っても親子の縁が切れるわけじゃないから。それに、今回退く最大の理由は、「バイクで世界を旅する」ためなんです。高校生のときから旅の紀行文が好きで、ずっと「バイクと旅」をワンセットで考えていました。そして大学生のとき、バイクに乗って世界を旅した人のホームページを見て、「30代前半までには自分もやってやる」と決意したんです。VIRGIN HARLEYを事業として立ち上げるときにも、佐藤に「4~5年後には旅に出るから」と伝えていました。

ーなぜ30代前半までに、と決められたんですか?

ターミー●僕は37歳までに死ぬと勝手に思っていて、あと5年しか残されていないんですよ。残りわずかの人生で、やりたいことをやりきらないといけませんからね(笑)。それに、もうすぐ僕は世界へ旅立ちますが、旅をしている間も旅先からレポートを送ったりと、VIRGIN HARLEYにかかわっていきます。要するに、VIRGIN HARLEYの直接のスタッフでなくなるだけで、ちょっと後ろに立って温かく見守るって感じかな。

ー自分の生き方を貫く…実にターミーらしいですね。

ターミー●ここ半年は、VIRGIN HARLEYを譲り渡す人を見届けるための期間でした。そんな僕の勝手のために、いろんな人がいろんな形で助けてくれました。皆さんには本当に感謝しています。VIRGIN HARLEYを委ねられる人を、自分自身で選ぶこともできましたしね。

ーじゃあ、今は娘の手を取って、教会のバージンロードを歩いているお父さんの気分?

ターミー●そうそう、まさにそんな感じ(笑)。それと、「そろそろ子離れをする時期かな」っていうのもあって、その辺の理由も含めて、ですね。

ーVIRGIN HARLEYでの活動を通じて、いろんな出会いがあったことでしょう。

ターミー●そうですね、VIRGIN HARLEYを通じて出会えたすべてのことが、今の僕を生み出したんだと思っています。どんな人でも、人生を変える大きな出会いというのがありますよね。僕にとってのそれは、創業メンバーの2人と、愛車のスポーツスターXL1200Cでした。そこからVIRGIN HARLEYが生まれて、僕の人生は大きく変わりました。さまざまな出会いがありましたが、特に佐藤と田中には本当に感謝しているし、スポーツスターも12万キロ以上走っているけど、手放すつもりはまったくないです。あのスポーツスターもVIRGIN HARLEYですからね。

ー最後に、6年にわたってVIRGIN HARLEYを牽引し続けてきた初代編集長として、VIRGIN HARLEY愛読者に向けてのメッセージをください。

ターミー●初期の頃からの読者をはじめ、VIRGIN HARLEYを訪れてくれているユーザーの皆さんには心から感謝しています。また「若い人たちが新しいことを始めたみたいだよ」と、僕らのVIRGIN HARLEYを暖かく見守ってくれ、いろいろと助けてくれたディーラーやショップの方々にも、できることなら全員に直接お礼が言いたいです。本当に、いろんな出会いと多くの人に生かされているな、と改めて思っています。性格上、「ありがとう」とは口が裂けても言わないですけどね(笑)。

ー言えばいいのに(笑)。旅から帰ってきてからは、どうするんですか?

ターミー●何も考えていないです。ほら、後のことを考えて旅に出たりしないでしょう? ただ、VIRGIN HARLEYに携わってきたことで、自分がすごくバイクが好きだってことを思い知らされたから、逆に大好きなバイクを切り離した仕事を探しているかもしれないですね。

プロフィール
ターミー
1977年生まれ、本サイト「VIRGIN HARLEY.com」創設メンバーのひとりにして初代編集長。’97年式XL1200C、’85年式BMW R80、’95年式YAMAHA SR400などを所有。6年に渡ってVIRGIN HARLEYを育んできた、シングルとツインのバイクをこよなく愛する男。2009年、バイクで世界をめぐる壮大な旅に出ることに。現在は旅を終え、外国人向けの日本の観光情報サイト「Traverse Japan」と、ミニクーパー専門サイト「CLUB MINI」を運営。ブログはコチラ。

Interviewer Column

僕がターミーと初めて出会ったのは、今からちょうど2年前、場所は関西のライダーズ・カフェだった。お互い編集・執筆業を生業としていたこともあって意気投合し、それから一緒に走りに行ったり、何度か飲みに行ったりしたものだ。そのときは、まさか自分がVIRGIN HARLEYの編集部員になるとは思いもしなかったが…。今回のインタビューは、「VIRGIN HARLEYに関わってくれたすべての人にお礼が言いたい」というターミーの要望から実施されたのだが、さらに掘り下げた彼の内面やVIRGIN HARLEYにかける熱い想いを聞くことができ、忘れ難いインタビューとなった。さて、ターミーが旅から帰ってきたときにどんな話を聞かせてくれるのか、楽しみに待つこととしよう。

文・写真/VIRGIN HARLEY.com 編集部 田中宏亮
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