田上 翔(2013 XL883N)
普段着のように乗りこなしたいよ
ハーレーの楽しみ方は人それぞれだ。多くの人は、週末や休日の趣味でハーレーに乗り、時にはツーリングに出かける。しかし、忙しい現代人は休日といってもそのすべてがハーレーに乗るための時間とはならないだろう。特に家族がある大黒柱のお父さんやお母さん。独身の身でも様々な用事……
ハーレーの楽しみ方は人それぞれだ。多くの人は、週末や休日の趣味でハーレーに乗り、時にはツーリングに出かける。しかし、忙しい現代人は休日といってもそのすべてがハーレーに乗るための時間とはならないだろう。特に家族がある大黒柱のお父さんやお母さん。独身の身でも様々な用事……
チョッパー乗りには「痩せ我慢が美学」という考え方がある。できるだけ、快適な装備を取りはらって、極端なほどシンプルなスタイルを求めるからだ。フロントフェンダーなんて無くてあたりまえだし、ガソリンタンクもごく小さい。とても長距離ランが快適な乗り物とは思えないバイクで……
18歳からグラビアアイドルという華やかな仕事に携わりながら、「自分に向いていない」と一転、なでしこジャパンなど女子サッカーにかかわる仕事を選んだ若きスポーツライター。「思い立ったらスグ行動」というアクティブな彼女は、相棒 FXDL ダイナ・ローライダーとともにツーリングを楽しむことも。そんな彼女が見据える自身の未来とはどんな世界なのか、話を伺った。
トラック整備士に鉄工所、そしてH-D正規ディーラーやカスタムショップと、ジャンルを問わずさまざまな世界を渡り歩いてきた新進気鋭のカスタムビルダー。常に「ハーレーのカスタムショップを立ち上げる」という目標を持ち続け、2009年についに独立。人気の高いカスタムショップが軒を連ねる神戸に居を構えつつも、着実に実績を積み重ねている注目の存在である。
関西のバイクTV番組『Like a wind』にレギュラー出演しているロックアーティスト。“スポーツスターに乗るロックシンガー”として知られる存在であり、また CCM!神戸缶コーヒーミーティングのスタッフとしての側面も持つ。その愛嬌はもちろん、仕事の枠にとらわれずバイクミーティングに出没することから、関西を中心とするライダーのあいだでは愛されている彼女。そんなトモチンの“これまで”と“これから”について話を聞いた。
外語系専門学校を卒業後、アメリカ村(大阪・心斎橋)の古着の総本山たるショウザンビル内のショップで1年半ほど修行を積み、その後インポート専門の新興セレクトショップ「JONNY ANGEL COLLECTION」の門を叩く。10代からバイクには触れていたが、30歳を迎え、再びライダーとなる。車両は TRAMP CYCLE がカスタマイズした ハーレーダビッドソン 2004年式 スポーツスター XL883。
生まれ故郷の兵庫・姫路の正規ディーラー 広畑日産自動車 ハーレーダビッドソン事業部でH-D専門のメカニックとしてキャリアをスタート。その後、25歳で渡米し、本場ディーラーを2件渡り歩くなど、約2年間アメリカで修行を積む。帰国後はハーレーダビッドソン昭和の森、そして現在ハーレーダビッドソン シティ中野店にて整備部門の責任者を任される。
イギリスのショックアブソーバーメーカー「ナイトロン」の日本総代理店「ナイトロン・ジャパン」代表取締役。16歳でバイクに乗り始めて以来、公私ともにバイク三昧の日々を過ごしてくる。2001年にサスペンションのセッティングサービスやモディファイを手がける「テクニクス」を立ち上げ、独立。2005年には縁あって「ナイトロン」と業務提携を結び、「ナイトロン・ジャパン」となる。
鎌倉・七里ヶ浜に居を構えるカスタムショップ「BLUE GROOVE」オーナー。音楽一家だという母や親族の影響から、若くしてジャズのミュージシャンを志す。17歳のときにはプロのミュージシャンの前座をつとめるまでに。1989年式 FXSTC ソフテイル・カスタム からハーレーライフが始まり、その後 1953年式 FL パンヘッドへ。23歳のときに「自分のショップを持とう」と一念発起、2002年に現在の BLUE GROOVE をオープン。
神奈川県鎌倉市にて育った彼女は幼い頃から「化粧をすること」と「タイヤが2つの乗り物」が好きで、18歳よりヘア&メイクの修行とライダーとしての人生をスタートさせる。前者は25歳でフリーとして独立、現在キャリア10年を超えるヘア&メイクアップアーティストとして活躍中。ライダー暦も筋金入りで、数々の国産アメリカンを経て 1980 FX SHOVELに出会う。以来、12年来相棒と全国を走り回るタフな女史ライダーだ。
神奈川県内3ヶ所でハーレー正規ディーラー3店舗を展開していたイーグルスター グループ。そのひとつ港南戸塚店で店長を勤めていた高橋奈津子さんは、2009年に生まれた女性のためのカスタムスタイル「レディースカスタム」の発案者。既成概念を打ち破るオリジナリティ溢れるアイディアによって多くの女性ライダーを生み出した高橋さんのキャラクターを紹介しよう。
ドイツ人の父親と日本人の母親を持つ。高校卒業まで神戸で育ち、大学進学から東京で暮らす。チアリーディングに打ち込むなど充実した3年を送ったのち、一時休学してドイツへ留学。復学後、「音楽に関わる道で生きていきたい」と、現在所属する事務所「FM BIRD」のラジオDJセミナーを受講、全過程終了後、プロのDJとしてスタートを切った。
旧車をメインに取り扱うショップ『鼓動館』代表の藤岡誉司さんは、かつて8耐レーサーとして鈴鹿を走り、寿司職人として単身渡米するという、その略歴だけで驚異の行動力と発想の持ち主であることが伺えるユニークな人物だ。「現行モデルにはない旧車の鼓動をみんなに知ってほしい」という彼の熱い胸のうちに迫ってみた。
日本とアメリカで数多くのユーザーに接してきたベテランメカニックの目を通して見るハーレーの世界は、あらゆる国のあらゆるユーザーを包み込み、懐は果てしなく広い。それはまるで、広大なアメリカ大陸そのもののような…。いや、汎世界的なブランドとなったハーレーを取り巻く状況を形容するには、すでにその言葉はふさわしくない。ハーレーダビッドソンは、オートバイメーカーの中では稀な、強力なコスモポリタニズムを持っているのだ。
神奈川県横須賀地区の海上自衛隊基地に勤務する自衛官。勤続3年目となる1994年、映画『ハーレーダビッドソン&マルボロマン』を観て虜になったハーレーを新車で購入し、現在は3台目のハーレーとなる愛車FXRスーパーグライドとの付き合いが5年目を迎える。過去には国産スポーツバイクを所有するなど、根っからの飛ばし屋。
横浜で歯科医を営む鈴木伸夫さんは、16歳で自動二輪免許を取得してからさまざまなバイクを乗り継いできた。ハーレーの鼓動を味わってからはすっかりハーレーに魅せられ、現在希少性の高い旧車との日々を楽しんでいる。「ハーレーの鼓動を本当に知るには、エボに乗らないと」と語る鈴木さんに、独自の哲学を伺った。
早い時代からビンテージパーツ&バイクの輸入を始めて、その道に長けた知識と能力を持つ。2005年、以前から抱いていたバイク製作の実行と同時に、それまでのブローカー業に終止符を打ち、「ホグホリック」(ハーレー中毒)をオープンさせる。
1973年1月23日生まれ、デンマーク出身の格闘家。少年時代より空手の稽古に勤しみ、当時16歳だった1991年に来日、極真会館総裁大山倍達(故人)の内弟子となる。1998年から「K-1グランプリ」に参戦、2001年「K-1 JAPANグランプリ」では見事王者に輝く。愛称は「青い目のサムライ」。
1966年生まれ、北海道旭川市出身在住。1995年のオープン以来、北海道の老舗として道内ローカルから深い信頼を持つ旭川のカスタムショップ「ノースブロス」オーナー。2008年、「自身に対する再チャレンジ」から札幌に姉妹店をオープン。「自分で作ったエンジンで走ると、一心同体になれるようだ」という根っからの走り好き。
兵庫県の「ハーレーダビッドソンプラザ伊丹」スタッフ。初めてのバイクでいきなりスポーツスターを選び、ハーレー歴はまだ5年と経っていないものの、すでに5台のハーレー歴を持つ。現在は1980年式ショベルヘッドローライダーと2009年式FLTRの2台を所有する。
1972年生まれ、ハマーサイクル代表。18歳からハーレー専門店で働き始める。東京都内にある2件のショップを経た後、27歳のときに単身渡米。カリフォルニア州南部のリペアショップで約6年修行し、2005年に地元の茨城県土浦市にハーレー専門のカスタムショップ「ハマーサイクル」をオープンさせる。
1953年生まれ、愛知県名古屋市出身。イラストレーターとして活動する傍らでアメリカのミリタリーウェアを手がけ、1999年にアメリカンアパレル&バイクギアショップ「トイズマッコイ」を設立。往年の名優スティーブ・マックイーンに憧れる本格派のハーレー乗り。
1977年生まれ、本サイト「VIRGIN HARLEY.com」創設メンバーのひとりにして初代編集長。’97年式XL1200C、’85年式BMW R80、’95年式YAMAHA SR400などを所有。6年に渡ってVIRGIN HARLEYを育んできた、シングルとツインのバイクをこよなく愛する男。2009年、バイクで世界をめぐる壮大な旅に出ることに。
35歳。今やハーレーミーティングの顔的存在である、愛知県名古屋市のレザークラフトショップ「ビーズ屋公ちゃん。」の女将。26歳の時に購入したFLSTSヘリテイジ・スプリンガーとの付き合いは今年で10年におよぶ。