VIRGIN HARLEY | 松本 雄二(ハーレー屋まつもと) インタビュー

松本 雄二(ハーレー屋まつもと)

  • 掲載日/2005年11月24日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

勘違いして欲しくないのですが
ウチはカスタム屋じゃなくて『修理屋』です

今回ご紹介するのは大阪府門真市の「ハーレー屋まつもと」オーナー 松本雄二さんだ。ショベルヘッドからツインカムエンジンまで、信頼して任せられる名メカニックで『超』マスターオブテクノロジーと呼んでいる人もいるほどだ。それもそのはず、松本さんがハーレーに関わり始めたのは1971年。もう34年もハーレーに関わってきている。新車でショベルヘッドが販売されていた頃からハーレーに関わってきたメカニックは数少ない。松本さんはその数少ない一人だ。我々が知らないかつてのハーレーシーンから現在まで、大いに語っていただいた。

Interview

67年式トライアンフ ボンネビル。
このバイクを買って人生が変わりました

ー松本さんは34年もハーレーに関わってきたわけですが、ハーレーのメカニックになろう、とは小さな頃から考えていたのでしょうか?

松本●高校生の頃「ホンダドリーム CB72」というバイクを仲間から買ってきて、見よう見まねでエンジンをバラして遊んでいたことはありました。でも、バイク屋になりたいなんて思ったことはありませんでした。まさかこんなに長くオートバイに関わるなんて昔の自分が聞いたら驚くでしょうね。

ー学校を出て働き始めたのはオートバイには関係のないところだったのでしょうか?

松本●とあるメーカーに就職したんですけれど「何か違うな」と思ってすぐに辞めてしまってね。僕は図面が読めたので、特許事務所で特許図面のチェックをする仕事をしたり、建築事務所に勤めて建築図面を持って建築現場で監督の仕事をしたり。どちらも面白くて、しかも給料もよかった。そのおかげで、20歳前にトライアンフを買えたんです。

ー20歳前でトライアンフですか(笑)。当時は輸入バイクなんて高くて普通は手が出せるものじゃなかったでしょうに。

松本●当時、スティーブ・マックィーン主演の「大脱走」という映画が流行っていて、その映画に登場するトライアンフがカッコ良くてね。どうしてもトライアンフが欲しくなったんですよ。大阪の日本橋に「大西モータース」という西日本では有名なお店があったので、仲間に連れられてそこに遊びに行って、67年式の『ボンネビル』を買いました。それから「大西モータース」にしょっちゅう遊びに行くようになって、そこで知り合ったお客さんと時間があれば走りに行くようになりました。

ー仕事をしながらでよくそんなに余裕がありましたね(笑)

松本●ボンネビルを買った頃は建築現場の仕事をしていたんですが、朝起きて空が曇っていたら仕事は休みでしたからね。時間はたっぷりありました。でも、しばらくして建築事務所を辞めてしまって、毎日暇になってからは毎日弁当を持って「大西モータース」に入り浸っていましたね。さすがに毎日遊んでいるとお金が無くなってね、1971年に「大西モータース」にアルバイトで雇ってもらいました。それがオートバイ業界に入ってきたきっかけですね。

ーきっかけはムチャクチャですね(笑)。「大西モータース」では長く勤められたのでしょうか?

松本●オートバイをイジるのは性に合っていましたし、いい師匠にも恵まれたので充実していました。当時のバイク屋は今みたいに「ハーレーだけ」、「BMWだけ」という売り方ではなかったのでハーレーもBMWもトライアンフも何でも触ることができたんですよ。オートバイのイロハは「大西モータース」で学びました。それまでは稼いだお金で、好きなように遊び回っていましたが「大西モータース」で働き始めてからは、給料日に工具屋に行っては自分用の工具を買い揃えてね。職人が使ういい工具が欲しくて仕方がなかったのを覚えています。当時の「大西モータース」の社長、師匠の鶴田さんに出会わなかったら、今の自分はなかったかもしれません。

ー「大西モータース」から「服部モーターサイクル商会」に移られたとお聞きしましたが。

松本●「大西モータース」の社長が引退してお店をたたむことになったんです。それで新しい仕事を探すことになって「次は4輪の仕事をやろうか」と思っていたときに「服部」の先代の社長と出会う機会があって。「服部」の4輪部門に勤めることになったんです。

ーえ? 4輪部門に勤めたのですか?

松本●勤めはじめて一月くらいで2輪部門に移ることになりましたけどね。4輪の工場に勤め始めたら「大西モータース」の頃のお客さんが修理の依頼にくるようになってしまって(笑)。「大西モータース」は西日本では有名なお店だったので、地方のお客さんがハーレーやらBMWで修理にやってくるわけです。でも「大西モータース」はもうなくなっている。そりゃ困ってしまいますよね。「『大西』にいた松本は今、『服部』に勤めているらしいぞ」と噂を聞いて、お客さんが4輪の工場にやってくるようになってしまって。

ー「服部」さんは当時から2輪は販売していたんですよね、なぜそこに行かずに4輪部門の松本さんのところに来るのでしょうか?

松本●当時は2輪の販売はしていましたが、修理工場は持っていなかったんです。でも4輪の工場にハーレーやBMWが来るようになったので「ぼちぼち2輪の工場も開けよか」と先代の社長が決めて。急遽、僕が2輪の工場をやることになったわけです。

ーお一人でやることになったのですか?

松本●最初は一人でしたね。修理も部品の注文も一人でやらなければいけなくて、頼れる人がいなくて最初は苦労しました。何かわからないことがあったら自分で考えなければいけなくて、その経験があったからこそ「なぜここが壊れたのか?」、「どう工夫したら壊れなくなるのか」を常に考えるいい癖がついたんだと思います。当時は今のように詳細なマニュアルもなく、技術研修もない頃でしたから勉強のために海外から洋書を取っては勉強していました。洋書を読み込んで工業英語ができるようになったのは後々に役立ちましたよ。ハーレーやBMWの日本総代理店の『バルコム交易』が80年代に入ると海外から講師を招いて技術研修を始めたのですが、工業英語がわかるので講師の人に細かく聞きたいことを聞くことができたんです。

ーBMWもバルコム交易が扱っていたのですか。バルコム交易とはどんな会社だったのでしょう?

松本●昔は、輸入車はバイクも車もバルコム交易を通じて日本に入ってきていたんですよ。バルコム交易は戦後に米軍の退役将校が始めた貿易会社で、化粧品から輸入車まで、海外製の贅沢品を取り扱っていた会社でした。今でこそハーレーやBMWは日本法人がありますが、昔はバルコム交易の2輪部門がすべて取り扱っていました。

ハーレーはすぐに壊れるなんて嘘
経験のないショップが多すぎただけ

ー信頼性の高いエボリューション、ツインカムエンジンが登場して「ハーレーはすぐ壊れる」といわれることは少なくなってきましたが、ショベルヘッドの時代はそう思われていましたよね。当時、現場にいた松本さんは、それについてどう思われますか?

松本●確かな技術と経験で組み上げられたショベルヘッドはそうそう壊れるものではありませんでした。ハーレーの整備技術、組立ノウハウがないお店が当時は多すぎて、整備不良の車両が多すぎたんですよ。

ー販売店はなぜ正しく整備できなかったのでしょうか?

松本●70年代の終わり頃、バルコム交易と正規販売契約をしていたお店は10店舗くらいしかありませんでした。そういう老舗のお店は「ハーレーはどんなオートバイなのか」を正しく理解していましたが、他のお店はそうではありませんでした。正規販売店以外のお店は正規販売店から車両を仕入れるか、並行輸入で車両を引っ張ってくるか、どちらかの方法でハーレーを販売していたのですが、日本車の販売感覚で車両を整備していたんです。当時の国産オートバイはメーカーの工場を出荷された時点でほぼ完成されていて販売店では簡単なチェックを行うだけで納車することができました。しかし、当時のハーレーは納車整備にかなり手間をかけないといけないオートバイだったんですよ。

ー品質がよくなかったということなのでしょうか?

松本●いえ、そうではありません。「輸出先の国による仕様の違い」、「規制に対応させる作業」が正規販売店の仕事だったわけです。契約正規販売店は『工場の最終組み立てラインの役割』を担っていて、仮組み状態のハーレーを納車整備で正確に組みなおす必要がありました。今のハーレーはそこまで手間はかからないようになっていますが、当時の納車整備では入荷してから納車まで1週間以上の時間がかかることも珍しくなかった。

入荷した車両はフェンダーもタンクも、ヘッドライトも外してバラバラにして組み上げていましたよ。その作業がいかに正確に行われるのか、が納車後の車両のトラブルに関わってきたわけです。「老舗」と呼ばれていたお店は、この納車整備にプライドを持って手間をかけていたんです。僕も「やっぱり服部の車両は違うな」と言われるよう情熱を注いでいました。一般の販売店ではそこまでの手間をかけず、間違えた整備も行われていましたが。

ー技術がしっかりしていると、他店の車両の整備をお願いされることもあったのでは?

松本●知らないお店が触った車両は、どんな状態かわからないので整備を断ることはありました。それで「老舗は敷居が高い」と思われていたかもしれません。ただ他にも理由があって、値引きはできない代わりに一台の車両に時間と手間をかけるやり方をしていたので、一般販売店のお客さんの整備まで受けることはできなかったということもあります。

ー手間隙を惜しまない仕事だったが故の「敷居の高さ」だったわけですね。

松本●先代の社長もそんなやり方を応援してくれました。当時は新モデルが入荷しても、しばらくはサービスマニュアルやパーツリストが届きませんでした。ですから、新モデルが入荷すると自由にエンジンをバラバラにしてもいい、と言われていました。「どこがどう変わった?」や「去年と何が違うねん?」とじっくり調べ「ここは何でこんな仕組みになったんやろう?」と考えることができました。

中をじっくり見ることでトラブルを未然に防ぐことができます。私は、そこまでやってこそ正規販売店の務めだと思っていましたから。エボリューションエンジンが出てからは、信頼性が上がり、販売店に納車整備の負担がかからない仕様になってきましたが、ショベルヘッドの頃は、そういう意味で大変でした。

ー今でも「ショベルは手がかかって大変だよ」という声はよく聞きますが、ショベルヘッドの正しい整備技術は伝わっているのでしょうか?

松本●正しい技術で整備されたショベルヘッドは長く乗れるんです。今、僕が「ハーレー屋まつもと」をやっているのは少しでも多くのショベルヘッドを正しく整備して後々まで残したい、そう思うからです。勘違いして欲しくないのですが、ウチはカスタム屋じゃなくて『修理屋』です。「昔から大事にされてきたショベルヘッドが、わけのわからない作業で壊されていくのを防ぎたい」その想いからお店をやっています。「あそこに持っていけば直るぞ」という駆け込み寺みたいなお店になればいいと思っています。一人でやっているので大変ですけれど、一人だからこそ余計なお金はかかりませんし、お客さんにも無茶な代金を請求しなくても済みます。ま、ショベルヘッド好きの道楽みたいなお店ですわな。

プロフィール
松本 雄二
57歳。1971年よりハーレーに関わり、34年のメカニック経験を持ち、「超マスターオブテクノロジー」と称されるほど、その技術力の評判は高い。服部モーターサイクル商会など、複数のディーラーを経て「ハーレー屋まつもと」をオープンさせ、日々ハーレーの修理にいそしむ。

Interviewer Column

ショベルヘッド乗りのためのお店、とはいうもののエボリューション乗りもツインカム乗りも多くのハーレー乗りが松本さんを頼りにやってくる。34年の経験と技術が信頼されているのは当然だが、その人柄に惹かれている人も多い。取材中も話の脱線が多く、気が付けば数時間が過ぎてしまっていた。メカニックの方でこれほど話し好きの方は珍しい。ただ話をするためだけにお店にやってくる人もいるという。私も人のことは言えないが、松本さんは一人で仕事をしているわけだから、あまり長居して仕事の邪魔をしないようにしてくださいな。どうしても長居したいときは缶コーヒーの1本くらいは買って行ってみてください。そうすれば「おやぢさん」の機嫌はきっとよくなるでしょうから。(ターミー)

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