VIRGIN HARLEY | 大平 芳弘(Little Wing Engineering) インタビュー

大平 芳弘(Little Wing Engineering)

  • 掲載日/2007年12月15日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

すべてをこなす師匠と
出会ったからこそ今の自分がある

ハーレーダビッドソンとインディアンモーターサイクルのことなら、どんなモデルでも修理・メンテナンス、チューンナップ、すべてお任せという頼もしいショップがある。東京都大田区北千束、環七沿いにある「リトルウイングエンジニアリング」だ。オーナー兼チーフメカニックの大平芳弘氏は、ヘッドワーク、ボーリング/ホーニング加工、アルゴン溶接等、ハーレー&インディアンに関することなら自社ですべてを引き受ける。熱烈なフリークたちはもとより、専門の内燃機外注屋さんとしても業者から信頼が厚く、そのメカニック力と豊富なノウハウで、数多くのヴィンテージハーレーのコンディションを上質に保っている。もちろん、ヴィンテージだけでなく現行車のメンテナンスやカスタムにも造詣が深く、ヴィンテージフリークだけでなく、初心者にも親身になった対応をしてもらえるということで、その評判は高まる一方だ。

注:インディアン
?1901年に設立されたアメリカで最も旧いオートバイメーカー。ハーレーダビッドソンとともに、アメリカの2大メーカーとして君臨してきたが1953年に経営不振により製造を中止。それから半世紀以上が経つが、いまなお世界中にフリークたちが存在する。

Interview

将来は整備士になる
小さい頃からそう思っていました

ーバージンハーレーの読者には、ヴィンテージハーレーは遠い存在と感じる人もいるかもしれません。それでも今回、大平さんにインタビューを申し込んだのは、ヴィンテージだけでなく現行車に対しても同じように熱意を持って接し、ビギナーにも親切で丁寧な対応をしていただける。そういうリトルウイングの門戸の広さを感じたからなんです。

大平●そう思っていただいたのなら嬉しいですね。ボクもいまではハーレーのことに詳しくなりましたが、最初は何も知りませんでしたから。それは誰でも一緒で、せっかくハーレーに興味を持ってくれた人が、もしウチのドアを開こうとしていたら、温かく迎えなければと思います。これはリトルウイング設立の時から思っていたことで、いまでも店の前でハーレーやインディアンを眺めている人がいたら、おせっかいにならないよう注意を払いながら、一声かけるようにしてます。鬱陶しいような過剰な接客は禁物ですからね(笑)。

ー“ヴィンテージに強い”っていうお店のイメージからすると、その姿勢は意外でした。大平さんの評判がいろいろなところで良い理由が、会って話すとすぐに分かりますね。例えばハーレーの修理の時でも、高い目線からではなく、その人の目線に合わせて、1から丁寧に説明していただけますものね。

大平●電気製品など生活必需品みたいなものだったら、「壊れたから修理しました」って渡してあげれば良いのでしょうけど、趣味性の強いバイクならメカに詳しくない人でも自分の愛車がどんな状態で、どんなふうに直したのか知りたいはずです。悪い部分があったら、「ここに傷があって、ここがガタガタだから」って良い部品と比べて説明するとか、誰にでも解っていただけるよう説明するよう心がけています。「自分でやりたい」って人には、ボクがやっているところをいちど見てもらって、それから挑戦してもらうようにしています。いちど見ておいてもらえれば、ご自分が困った時にも「大平はこうやっていたな」って思い出してもらえるかもしれませんからね。何かあって、お電話で相談されても、説明しやすいはずです。

ー内燃機屋さんなどに頼む範囲の仕事も、自分ですべてやってしまおうという姿勢は、どうしてなのでしょうか?

大平●ボクが影響を受けた人が、エンジンのオーバーホールすべてを丸ごと受けるような職人さんでね。ボクもそういうメカニックになりたいと思ったからです。自分が引き受けたバイクだから、すべてを自分でやりきりたいという想いもあります。料理人が野菜やお米も作りたくなって、畑や田んぼも持っちゃうって話を聞いたことありますが、ボクもそういう心境なのかもしれませんね。ただし仕事として考えると、時間もかかるし、葛藤はあります。“こだわり”だけでは決してダメで、そういうところもお客さんと話し合ってから作業に取りかかるようにしています。他にもなぜオーバーサイズピストンが必要なのか、純正パーツにこだわるか社外品を使うかなど、お客さんとじっくり話し合って納得してもらうよう努めています。また、仕事を内燃機屋さんに出す場合も、自分でやっているからこそ、その内燃機屋さんの凄さが解ったりして、お互いに信頼も生まれてくるんですよ。バイク屋さんをやっていく上では、そういう信頼関係がものすごく大事なんだと思います。

ーメカニックの仕事になるのは、小さい頃からの夢だったんですか。

大平●父親がクルマ好きで。ボクは父親がオイル交換なんかをやるのを見るのが好きだったんです。モーターショーやクルマの博物館に連れて行ってもらったり、子供の頃からクルマや工具が好きでしたね。「自動車の整備士になりたい」と、小学生の頃からなんとなく思っていました。だから高校は工業高校に行って、アルバイトはガソリンスタンド。昔はガソリンスタンドでもクルマの整備を結構やっていて、楽しいものでした。16歳でバイクの免許を取って、走ることも楽しかったんですが、いじるのも好きでした。エンジンを分解しては、直せなくなったりもしていましたよ。その度に「こういう特殊工具があれば直せるんだ」と知り、バイト代はすべて部品か工具に費やしていました。小さい頃から自分が持っているものは、どんな構造でどんなふうになっているのか知りたくなるんです。だからオモチャはいつもバラバラにして遊んでいましたね。

ーでは、ずっとこの道を歩んできたわけですね。

大平●いいえ。最初はなぜだか、コンピュータ業界に入ったんですよ。高校を卒業する時に「早く稼いで、好きなことをしたい」って思うようになったんです。“職につく”ってことしか頭になかったから、「これから伸びていく良い業界だろう」っていう思いだけで就職してしまったんですよ。いま思うと、自分を見失っていたんでしょうね。給料をもらえるようになってからは、クルマとバイク三昧でした。ボクの場合、ロングツーリングに出掛けたりするんじゃなくて、パーツや工具を買うのにお金を使っちゃうんです。でも、もともとバイクに乗り出したキッカケって「遠くに行ってみたい」とか「旅してみたい」っていう気持ちだったんですよ。で、よくよく考えたら「バイクも仕事も、自分がやりたいこととは違ってるな」って思って……。

ーそれでどうしたのですか?

大平●2年で会社を辞めて、アメリカに行きました。3ヶ月間有効のバスのオープンチケットっていうのがあって、あてもなくアメリカを旅しました。小さい頃からアメリカのファッションやライフスタイルに憧れみたいなものがあって、とりあえず行ってみたかったんです。ハーレーも好きでしたしね。あっ、ハーレーは19歳の時に’78ローライダーを買って、半年後にもっと旧いショベルのFLHと取り替え、ストリップにして乗っていました。知り合いが持っていたのを見て、憧れだけでハーレーを買ってみたんですが、その頃の自分にはまだ早かったんだと思います。ハーレーならではのノンビリ走るフィーリングは、なんだか物足りなかったんですよ。

ハーレーだけがバイクじゃない
いろんなジャンルから学ぶことも多い

ー当時はレーサーレプリカブーム真っ最中ですね。

大平●そう。旧いバイクで最新型のバイクをブチ抜くっていうのが痛感でした。そう考えると、ショベルのローライダーやFLHでは物足りなくて、21歳の時にツインキャブのXR1000に乗り換えたんです。斬新なアメリカ臭いスタイルで、ハーレーなのにスポーティで大満足でした。まだ会社に勤めていたので、有給休暇を使って北海道へ行ってね。それで人生観が変わって、仕事辞めてアメリカに行っちゃったんですよ。向こうで考え直してみると、やっぱりメカニックの仕事こそが、自分のしたい仕事だって思うようになり、日本で整備の専門学校に行き直したんです。整備士などの資格をひと通り取って、卒業後はその専門学校で講師を1年やりました。でも、自分の経験のなさを感じて、「やっぱり、クルマ屋さんの現場で働きたい」と思いました。で、クルマ屋さんに就職したのですが、「資格はたくさん持っているのに、自分には何もできない」と痛感しましたね。「このままじゃいけない」と思っていたところ、エンジンのオーバーホールなどヘビーな整備ばかりを受けている人に出会ったんです。

ー先ほど話してくれた、大平さんが影響を受けた人ですね。

大平●はい。その頃は、平日にクルマ屋さんで働いて、週末はその人のところでお手伝い。そんな生活が2年続いたのですが、ついにその人のところで働かせてもらえることになって、クルマ屋さんを辞めました。そこでサイドバルブやパンヘッドなど、ヴィンテージハーレーやインディアンの整備を徹底的に覚えたんです。その人は東京から離れたところで、看板も上げずにコツコツと業者からのオーダーを受けてやっていたんですが、マニアの間では有名な職人さんで、週末は一般のユーザーも集まっていました。その人の技術力も凄いのですが、人との関わり方なども勉強になり、さっきも言いましたが「こういうメカニックになりたい」と、そこで自分の目標みたいなものが固まったわけです。

ーリトルイングが始まったのは?

大平●ボクはそもそも独立するつもりはなかったんです。その人の傍で吸収したいことはいくらでもありましたからね。でも、いつまでもお世話になりっぱなしではダメだな、と。そんなときにお世話になっていた先輩から「お店を任せるから、やらないか」という誘いを受けたんです。それが1994年、26歳の終わり頃でした。都内にはヴィンテージハーレーのお店がまだ少なくて、ボクも技術的には自信が持てるようになっていたし、思いがけずにハーレーのお店ができるようになったんです。3年後には経営も独立し、それからヴィンテージレースに夢中になり、アメリカに通うようになりました。アメリカにはパーツやバイクを買い付けに行ったりしていたんですが、本場のヴィンテージレースを生で観て、レベルの高さに驚いたのです。どうして、そんなに速く走れるのか。自分もその世界に飛び込んで、もっとメカニックの勉強をしようと思ったのです。

ーアメリカでエントリーするのは大変だったのでは?

大平●たまたま、その時もアメリカでサポートしてくれる人が現れて、バイクを運ぶバンや倉庫を安く貸してもらったり、環境を整えてもらえたりできたんです。AHRMAという団体のヴィンテージレースで、ハンドシフトクラスと1940年以前のモデルで走るクラス、2つのクラスに何度か出場しました。ヴィンテージレースをやったことで、アメリカのメカニックたちとも親交を深めることができ、技術的にもたくさんのことを得ることができましたね。

ーそこまでディープな世界を知ると、「これから免許をとります」っていうビギナーを相手にするのは、面倒なことだったりはしないのですか?

大平●まったくそんなことはありません。ヴィンテージハーレーだけではなく、いろんなジャンルのことを続けていきたいって思っています。“ハーレーしかバイクじゃない”みたいなことを言って偏るのは面白くないです。最新式の国産車にだって良いところはありますし、ヴィンテージにしかない良さもあり、それぞれが魅力を持っています。ハーレーに乗り出したばかりというライダーも、ディープなマニアもボクにとっては同じ感覚です。これからもその姿勢は貫き通そうと思います。

プロフィール
大平 芳弘
39歳。クルマ好きの父親の影響で、小さい頃からクルマや工具が大好きに。クルマやバイクは新旧問わずに好きだが、自分が所有するのはなぜだかヴィンテージ。ハーレーとの出逢いもショベルヘッドが最初で、19歳の時に’78ローライダーを手にしている。

Interviewer Column

ボクはモトクロスが好きで、サンデーレースやファンライドを楽しむ、万年ビギナーのサンデーライダーなのだが、大平さんとの出逢いは意外にもモトクロス場だった。最初はヴィンテージモトクロスにボクが出場した時に、知り合いから紹介され軽く会釈した程度だった。その次は福島県のモトクロスコースに大勢で泊まりがけで走りに行こうという時に同部屋になり、コースで泥んこになって遊んだ。モトクロスに関しては少しだけボクの方が先輩だったので、大平さんはボクよりも年上なのにも関わらずボクのことを勝手に先生と呼び、ひたすら走り方を質問してくる。ずいぶん熱心な人だなぁと思っていたが、この姿勢こそが大平さんの魅力だ。絶えずアンテナを張り巡らせ、新しい情報や刺激を探し求めている。ヴィンテージハーレーのエンジニアさんが、最新式のモトクロッサーでライディングを本気で追求しようとする真剣さ。大平さんはすでに得ている地位や名誉にあぐらをかくことなく、いつも謙虚に学ぼうとする姿勢を持っている人である。“この人になら自分の愛車を任せてもいい”リトルイングに通うお客さんの気持ちは、皆こうであるはずだ。(青木タカオ)

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