VIRGIN HARLEY |  酒井 亜希(モデル)インタビュー

酒井 亜希(モデル)

  • 掲載日/ 2009年01月28日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

私はハーレーに乗っていたくて
タレント業を辞めちゃいました

スラリと伸びた手足と、凹凸のある引き締まった身体。誰が見てもナチュラルボディではないことが確認できる鍛えられた女体の持ち主は、若干23歳の元・芸能人。一度はタレント業で頂点を目指した身ながら、彼女が選んだのはハーレーと一緒の生活だった。幼少の頃から憧れていたハーレーを18歳で購入し、その後、彼女をこの世界に引き込んだ偉大なる大地・北海道ツーリングを実現。くつろぎの日課は、誰もいない夜の街道を走ること。これまでの人生で、ハーレー以外のバイクに乗ったことがないという純粋なハーレーフリークである。

Interview

毎年家族で旅した北海道と
小6で決めたハーレーの購入

ー昔からキャンプが好きだと聞きましたが?

酒井●母子家庭だったんです、ウチは。母がアウトドア派で、夏になると私と妹と弟を連れて4人でキャンプに行っていたんです。母は教師でしたので、私たちの学校の休みと母の休みが同じだったんですよ。

ーでは、長期のアウトドア旅行とかもしたのですか?

酒井●はい。小さい時は近場が多かったんですけど、私が小学5年生になってからは北海道に行くようになりました。短かくても2週間とか、長いと1ヶ月ぐらい滞在していましたね。

ーそれはすごいですね。では北海道には思い出がたくさんあるのでは?

酒井●すばり、そうなんです。私が小学5年生から高校3年生までの8年間、毎年夏には、家族で北海道を旅していました。思い出はいっぱいありますね。ハーレーに乗ろうと思ったのも、北海道での旅がきっかけなんです。

ーというと?

酒井●たしか私が小学6年生の時に訪れた2度目の北海道で、道東の鶴居村にあるキャンプ場に行ったんです。そこにハーレーに乗っている人達がいっぱい集まっていたんですよ。今思うと、ミーティングをやっていたのかなって。女性のライダーがいたり、髭モジャの人がいたりして、ジッと見ていた私たちのところに来て「お嬢ちゃん」って声をかけてくれて、いろんな話をしてくれたんです。

ーどんな話をしたか覚えていますか?

酒井●バイクで全国まわっているんだとか、ハーレーってバイクはねっていう話とか。小学生の時のことだからうろ覚えなんですけど、でもその全てに感動した記憶があるんです。その年は他の場所でもハーレーに乗っている人に会ったりして、幼いながらにもその人達がみんなキラキラ輝いて見えました。

ーそれで小さい女の子が、いきなりハーレー好きになってしまったんですね。

酒井●そうなんです。バイクもすごくカッコ良かったんですけど、その人達がとてもカッコ良くて惹かれちゃったんですよ。当時の私から見ればすごい大人なんですけどね。それで決心したんです、「私は大きくなったらハーレーに乗るんだ」って(笑)。

ーすごいですね、小学生にしてハーレー乗る宣言ですか。

酒井●はい(笑)。「将来絶対にハーレーで北海道を旅するんだ」ってそのときに決めました。これ、本当の話なんです。

ーもしかして亜希さんは、バイクはハーレーしか乗ったことないとか?

酒井●もちろんです(笑)。最初からハーレーしか頭にありませんでした。ハーレーを買う頭金を貯めるために、高校生の時はずっとバイトをしていました。他のバイクが嫌いとかではないんです。ずっと昔からハーレーが好きで、ハーレーに乗ることをずっと夢見てきたからなんです。

ーでも18歳の女の子がハーレーとは、お母さんは反対されなかったんですか?

酒井●ウチの母親は、18歳は大人だと考える人なんです。だから「何があっても自分で責任取れるならいいよ」って言ってくれました。それで高校を卒業してからすぐに免許を取って、2003年式のFXSTBソフテイル・ナイトトレインを新車で買ったんです。

華麗なる東京からの逃亡劇
私はバイクに乗れる生活が好きです

ー最近まで東京でモデルの仕事をしていたとか?

酒井●はい。ハーレーを買って少し経った頃から、タレントの仕事をしていました。もともと名古屋にいた時からやっていたことなんですけど、それが本格的になるということで東京に出たんです。

ーでは、そのときバイクは名古屋に置いていったのですか?

酒井●いいえ、持っていきました。東京に行く条件のひとつとして、ハーレーを持っていくことも事前に伝えていたんです。それがダメなら行かないって(笑)。

ーすごいですね、東京でモデルの仕事をして、ハーレーに乗ってって。

酒井●そんなことないです。実際フタを開けてみたらすごく厳しくて、なんだか全寮制の学校にいるみたいな感じでした。ただでさえバイクに乗って自由に生活してきた人間が、そんなところでやれるわけがなくて。1年半ぐらい続けたんですけど、精神的にも体力的にもボロボロになっちゃって、それで「もう無理」って思って東京から脱走しました(笑)。

ーあはははは、それ本当の話なんですか(笑)?

酒井●本当です(笑)。だって自由にハーレーに乗れないんですよ。そんな束縛される仕事をしているより、私はハーレーに乗っていたかったんです。後悔なんてまったくしていません。だって、その頃の生活と比べたら、今の生活の方が全然幸せですから。

ーそれは失礼しました。それで、幼少の頃からの夢だった北海道ツーリングは果たせたんですか?

酒井●ええ。2年前にあるバイク雑誌から、取材を兼ねた北海道ツーリングに同行するオファーが来て、自分のハーレーで行ってきました。最高でしたね。その時の思い出は、ありすぎて話しきれないぐらいです。小さい頃に連れていってもらっていた、大好きな美瑛と富良野にも行きました。富良野には必ず2連泊していた大好きなキャンプ場があって、高校3年生のとき以来でした。初めてハーレー乗りの人達と出会った鶴居には行けなかったけれど、思い出の地や道を自分でハーレーに乗って走っていると、ホントに言葉にならないぐらいの感動がありました。

ーハーレーに乗るようになって3年目にして、やっと夢が実現したんですね。

酒井●はい、本当は買ってすぐに行こうかと思っていたんですけど、正直言って恐怖があったんです。乗って初めて思ったんですけど、ハーレーって本当に重いバイクで、押すのも大変ですし。運転に自信はあったけれど、もしも転倒して壊れたらどうしようとか。また子供の時から嵐とか洪水とか、自然の驚異を何度も体験してきたんで、ひとりでそれがクリアできるかという不安もあって。だから自分がもっとバイクに対しても自信が持てるようになってから行こうと考えていたんです。

ーでは、それから体力的にも知識的にも、スキルアップを計っているんですか?

酒井●トレーニングは今でも、毎日欠かさずやっていますよ。メカの方はまだまだ半人前ですけど、人並み(?)ぐらいは覚えているつもりです(笑)。

ーすごいですね。でもそのようなハーレー優先の生活でいいのですか?

酒井●すべてがハーレーのため、ということではないです、言い換えれば、「自分の人生のため」ですね。自分がこの先歩んでいく人生が、もっともっと良くなるように日々頑張っているんです。仕事とハーレーライフはなかなかうまく両立できないけど、やっぱりハーレーは私の人生には欠かせないものなんです。

ー最後に、亜希さんのハーレー感を教えてください。

酒井●買ってすぐの時は楽しくて楽しくて、毎日乗っていました。今では毎日ではないですけど、その気持ちは全然変わっていません。嫌なことがあった時はハーレーに乗るだけで、すべてが吹っ飛んでいくんです。「自分にはこんなに素晴らしいものがあるじゃん」って思うだけで、ホントに嫌やことが忘れられるぐらい、自分にとっては大きな存在です。よくハーレー乗りながら泣いていたりしていました。ひとりになりたくて、誰もいない夜の街をひたすら走るんです。そうすると心のもやもやがパッと晴れて、「また頑張ろう」って思えるんですよ(笑)。

ーそれは最近のハーレーの使い方ですか?

酒井●そうです、バレました(笑)? でも私は元気ですよ。たまにはロングツーリングに行きたいですね。私は走り出すと、最初から最後までずっと走っていたいタイプなんです。休憩が多いのは嫌いで、バーッとずっと走っていたいです。そして、またいつか北海道に行きたいです(笑)。

プロフィール
酒井 亜希
23歳、かつて大手芸能事務所にタレントとして所属するも、「自由にハーレーに乗れないから」と辞職。現在は地元・名古屋でモデル、アパレル、インテリアコーディネーターを担う。走り出したら数時間は止まらない、おてんばハーレー娘だ。

Interviewer Column

いつも元気で、笑顔がカワイイ亜希さん。若いながらもいろいろ経験を積み重ね、すでに先の人生を見つめているところに驚愕。でも感心する反面、もっと力を抜いてもイイんじゃないかなと思うところも。「ワガママ」なんて声も聞いたことはあるけれど、常にまわりの空気を見ていて、気持ちを殺している亜希さんを僕は何度も見てきています。さすが3姉弟の長女。でも最近、ハーレーの使い方が間違っているんじゃないですか。暑くても寒くても悲しくても、ハーレーは笑って乗るものですよ。室蘭の海辺で水浴びして、朝まで語ったことを昨日のように覚えています。またみんなで遊びましょう。あと、ピンヒールでハーレーはダメですよ。また転ぶよ~。(佐々木孔一朗)

文・写真/佐々木孔一朗
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