VIRGIN HARLEY |  小関 彰仁(STER MOTORCYCLE)インタビュー

小関 彰仁(STER MOTORCYCLE)

  • 掲載日/ 2008年09月25日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

ハーレーはせっかちな乗り物ではない
ゆっくりと焦らずに長く楽しむもの

北の大地・北海道のヘソにある旭川で、販売から修理、カスタムとハーレーをトータルコーディネートするSTER MOTORCYCLE(以下、STER MC)。代表の小関さんが、道内はおろか内地からも多くの支持を受ける理由は、ショーコンディションのチョッパーを製作するセンスや技術だけにはとどまらない。愉快な会話と、人を引き寄せる笑顔。20年のキャリアを持つハーレーショップとは思えない、馴染みやすい人柄がまた人を呼び、STER MCサークルが自然発生、拡大させてきた。10代からの長い下積み期間と、まわりの良きサポートがあったからこそできあがったこの環境。欧米にも多くのネットワークを持つ小関さんの、多彩な人生を語ってもらった。

Interview

近所にあったチョッパー屋
そしてアメリカと東京での生活

ーバイクに興味を持ちだしたのは、いつですか?

小関●中学生くらいの時ですね。バリバリ伝説(※)…完全にその世代です。それでロードタイプにあこがれて、買ったのがRZ125。チャンバーなどを入れて峠を攻めていました。でも、その後にXJ400Dを買って…もちろん族車(笑)。その後にGPZ400、そしてその次にハーレーです。
※バリバリ伝説:1983~91年まで週刊少年マガジンで連載されたバイク漫画。通称“バリ伝”。’80年代のレプリカブームを盛り上げた。

ーハーレーに乗り換えたきっかけは?

小関●家から100メートルくらいのところにハーレーショップがあったんです。今考えると、当時では珍しいチョッパー屋。ちょうど自分のバイクでネジが取れないのがあって、それをちょっと外してもらおうと。バイクはバラバラだから、パーツだけ持っていったのがハーレーに触れるきっかけでした。ハーレーショップはちょっとおっさん臭いなって思っていたんですが、中に入ってみるとチョッパーだらけだったので「あぁイイな」と。バイクもそうだけど、雰囲気的にも良くて…。それから入り浸りました。それが高校2年生くらいの時の話。高校卒業して、18か19の時にショベルスポーツのリジッドをそこで買いました。もちろんチョッパーです。

ーいきなりリジッドのショベルスポーツで苦労はなかったんですか?

小関●買った時点ではバラバラのバスケット状態。自分で勉強したり、エンジンとか難しい部分はその店で教えてもらったりして、組上がるまで3年くらいかかりました。そのバイクを買ったのがきっかけで、結局そのお店に勤めることになったんです。

ー完成したバイクはどうでした?

小関●とりあえずカタチにはなりました。でも、まわりにショベルスポーツなんていませんし、参考にできるものもありませんでした。だから、今思うと走りの面とか機械的な面とか、いろいろ問題があった気がします(笑)。初めて乗った時の印象は「キックが硬いなぁ」という感じでしたね。当時はピストンとシリンダーのクリアランスをガチガチに組むっていうのが男っぽいっていうか。そういった世界なのかなって思っていたんですよ。だけど今思うと、ちょっと違ったかも(笑)。まだまだ未知な部分が多すぎたんです。

ーそのショップにはどれくらい勤めたんですか?

小関●通算して5年位いました。その後、友達とバックパックを持って、アメリカをぐるっと旅をしてきました。外の世界を見てみるのはいい経験かな、と思って。それまで毎日バイクばっかりだったから、バイク以外のことを見てみたかったんですよ。アメリカ西海岸を下から上までビューっと、最後は、アラスカの方まで、交通手段は飛行機やバスに乗ったり、ヒッチハイクをしたりしながら旅をしました。

ーその旅での何か心境の変化は?

小関●そうですね…その旅ではバイク以外の世界を見てみようと思ったんです。やっぱりバイクが好きみたいで、バイク雑誌を買ってみたり、友達になったヤツがアラスカのエンジェルズのチャプターに連れて行ってくれたりしたんです。「こんなところにもチャプターがあるんだなあ」と、ビックリしました。でも楽しかったですね。結局は、自分が好きなことはバイクなんだなぁって改めて思いました。半年くらいアメリカを旅して帰ってきてからは、東京にあるハーレー専門の大型店で働き始めました。アメリカから日本へ帰ってきて、北海道に帰らずにそのままに直行…。北海道に帰りたくなかったのと、お金がなかったので、結局そこで2年くらい働きましたね。

ーそこではどんな仕事をしていたのですか?

小関●毎日、工場で商品開発と塗装に明け暮れていました。仕事はバンバンやらせてもらえたので、すぐにプロのレベルに達することができましたよ。

ーすでに将来ショップをやっていく展望はあったんですか?

小関●北海道には帰らないで、お金を貯めてまたアメリカに戻ろうと思っていました。今、自分がこの商売をやっているのは、他に何もできないっていうのが正直なところ。ハーレーは好きなことですが、その時はお金を稼ぐ手段でした。まだ、ショップを持とうとも思っていませんでしたね。

ー旭川にはどういった理由で戻ったのですか?

小関●前に働いていたショップの移転がきっかけで「帰って来い」という話が来て、「じゃあ」ということで帰ったんです。それから、そこで3年間働きました。その頃からバイクを本格的に作り始めたんですよ。チョッパーを作る下準備は、もうある程度経験してできるようになっていましたから。最初にそのショップに入った時に下積みで基本を学び、東京でその技術を磨いて、旭川にまた戻ってきて本格的に、って感じです。

友人のサポートがあったからこそ
今のSTER MOTORCYCLEはある

ー独立の前に一度ブランクがあったそうですが?

小関●実はそのショップで3年間働いた後に、一度ハーレーから離れたんです。1年間ぐらい遊ぼうかな、って。そんな楽な仕事ではないですから。今考えるとハーレーから離れた理由は自分の甘さが大半だった気がします。でも、結局離れきれずに戻ってきちゃいました。辞めて1年後くらいから、昼間は別の仕事をしながら徐々にバイクを触り始め、2年目もそんなどっちつかずの状態。3年目に本格的にやろうと決心しました。それが2000年のことです。

ースタートの時はどうだったんですか?

小関●成り行きで始まったから、最初はショップの名前もついていませんでした。昔から付き合ってきた仲間には助けられましたね。ご飯を食べさせてくれたり、家がなかったから寝るところを与えてもらったり。2年くらいは先輩のガレージを借りて、いろんな人のバイクを触っていました。そこで徐々に軌道に乗り、ちゃんとお店も借りることがでるようになったんです。店作りでは、仲間のサポートがすごく大きかったですね。

ーSTER MCの名前の由来を教えて下さい。

小関●特別これという由来はないんですよ。STERという名前から、よく「スポーツスター専門店っていう意味?」などと聞かれることもあります。確かにスポーツスターは初めて乗ったバイクですが、そういうわけではありません。STERというのを辞書でひくと“何々を創る人”って意味があって、それっぽいかなと思ったのが由来でしょうか。今のショップのコンセプトはトータルコーディネイト。バイク販売からカスタムも修理もやりますよ、というスタイルです。小さなカスタム屋から大きな総合量販店まで働いてきましたから、それのイイとこ取りをしてみました。

ー北海道という土地柄、大変な面はありますか?

小関●やっぱり乗れるシーズンが限られているから、シーズン中は作業に追われますね。大変な修理じゃなくても、順番待ちで2、3ヶ月かかることがあって、でき上がった頃には雪が降っているとか…。申し訳ないなっていうこともありますね。新しいモデルばっかりじゃなくて、古いのもやっているから時間通りに行かない時もあるんです。だから夏場はカスタムよりは修理を優先して、大がかりなカスタムはなるべくオフシーズンに持ってくるようにしています。

ー北海道のシーズンはいつ頃からですか?

小関●何年か前まではゴールデンウィークだったけど、今は温暖化の影響からか、4月の頭くらいになったかな。ショップとしては3月頭から本格的に動き出しますけれどね。まだ寒いんですけど、シーズンに合わせてお客さんのカスタムや修理を終わらせるスケジュールで動いています。

ー土地柄、ツーリングのお客さんも多いのでは?

小関●道外からのお客さんは多いですね。毎年来てくれる人もいます。今年の6月、東京の50歳くらいの人がオイル交換に来て、1ヶ月くらい北海道を走り回り、7月に「もう帰るよ」って言うために寄ってくれた人がいました。「もう会えないから」って握手して手を振って別れて。そしたら、また8月に店の外から恥ずかしそうにこっちを見ているんですよ、その人が。道の向こう側から「また来ちゃった」って(笑)。「帰りたくない~」って言いながら帰ったから、また来てくれたんでしょうか? ツーリングでやってくる人との触れ合いは面白いです。年に40~50人は来てくれますよ。「一度来てみたかったんです」って。凄く嬉しいです。そういう人が最近少しずつ増えてきてくれていますね。

ー当初にくらべてH-Dに対する気持ちの変化はありますか?

小関●ハーレーを触りはじめてもう20年になるから、大体のことは味わったんじゃないかなと思います。ひとつのことを長くやっていると、いろんなことが起きるじゃないですか。10年ひと昔としたら2周しているわけで、やっといろいろ免疫ができて楽しめるようになってきましたね。大変なこともあるけどイイこともいっぱいあるかな。長くやってみて嬉しいこと…やっぱり喜んでもらえることが一番ですかね。修理やカスタムができあがって、お客さんが喜んでくれる時、それが一番嬉しいです。人との触れ合いは得意な方じゃないけど、そういう時は「この仕事を続けてきてよかった」と思いますね。

ーこれからハーレーに乗る人に何かアドバイスは?

小関●ハーレーが欲しいなって思ったら、とりあえず思いきって乗ってみましょう。大人の乗り物なので、焦らず、ゆっくり、楽しんで欲しい。ハーレーはせっかちな乗り物じゃないんだな、と最近は感じているんですよ。

ーでも、スポーツスターのレースに参戦するなど、小関さんはせっかちに走りたいときもあったんでしょう(笑)。

小関●東京で働いている時の話ですよ。「スポーツスターカップが始まる」って聞いて、XLH1200を買ったんです。僕のバイクの始まりがバリ伝なので。だから、今度はハーレーでやってやる! みたいな。で、初戦に参加して、1周目の最終コーナーで見事転倒。そのまま救急車ですよ(笑)。予選でも同じところで転んでいたから、決勝はビリからのスタート。でも、後ろからだとラインがよく見えるんですよ。最終コーナーでもう第2集団に追いついたから、「おっ、これはいけるかな」と思ったんですが、またガシャン…って。その後に北海道に帰って来ちゃったんでレースはそれっきりです。

ーまたレースに出てみたいですか?

小関●うーん、レースより日本一周をしてみたいですね。走るのはやっぱりチョッパーがいいかな。荷物積みながら、ツーリングを味わってみたいです。今までほとんどしてなかったけど、ツーリングはやっぱりバイクの原点かなって思います。

ーその夢の先にアメリカは? また行ってみたいとか思いませんか?

小関●いやぁ、ないですね。日本かな、日本がイイですねっ(笑)。

プロフィール
小関 彰仁
38歳、STER MOTORCYCLE代表。10代で入門した地元・旭川のチョッパーショップを経て22歳で渡米、その後東京の大型H-Dショップで下積みを重ねて帰郷。2000年にSTER MOTORCYCLEをオープン、2004年にSTER MOTORCYCLE43(札幌店)をオープンさせる。

Interviewer Column

ツーリングエリアとして国内でダントツの人気を誇る北海道。そこで生まれ育った小関さんが、今望むのはチョッパーでの日本一周ツーリング。作る側の人間として20余年を費やしてきたゆえに、ツーリングに対する憧れがムクムクと湧いているのだろう。バイクの原点である“走り”を思う純粋な気持ちに共感を覚える。ならば“アメリカを”という欲望を抱かないところに小関さんの天然ワールドが感じられる。ハーレー=アメリカ。メディアがこぞって説いている定義は、小関さんには当てはまらないのだ。漫画の主人公にあこがれて入り込んだバイクの世界。時は流れ、バイクを作る側、まわりに見られる立場になった小関さん。漫画の主人公レベルでは終わりそうにない。(佐々木孔一朗)

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