VIRGIN HARLEY |  阪本 久夫(メガディーラーハーレーダビッドソン松戸)インタビュー

阪本 久夫(メガディーラーハーレーダビッドソン松戸)

  • 掲載日/ 2008年01月11日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

ウルトラの走行距離は12万km
ハーレー歴も20周年を迎えます

国内の二輪車市場が縮小するなか、2001年には国内メーカーを抑え750cc超のシェア1位を獲得し、現在も好調なセールスを続けるハーレーダビッドソン。1996年に自動車教習所で大型二輪車免許の取得が可能になったことや、2005年の道交法改正によるオートバイ高速道路二人乗り解禁などが後押ししたことがその要因に挙げられるが、ハーレーダビッドソンジャパンによる国内販売網の整備・充実を図ってきたことも忘れてはならない。これまでのオートバイ販売店では成し得なかったサービスの向上を確立させ、顧客へのサービスをグレードアップしてきたハーレーダビッドソン正規販売網の中、象徴的とも言える店舗が全国屈指の大規模販売店「メガディーラー」である。そんなメガディーラーを統括するコントロールタワー、それがメガディーラーH-D松戸の店長、阪本久夫さんだ。今回は阪本店長が歩んできた道を振り返りつつ、店長としての役割をどのようなスタンスで全うしてきたのか、お話を伺ってみた。

Interview

音楽に夢中になった学生時代
大掛かりなイベントを手がけていました

ーメガディーラーの登場はユーザーたちに大きなインパクトを与えてきたと同時に、全国の販売店はもちろん異業種の方面からも注目され、センセーショナルなことだったと思います。そんなメガディーラーの店長を務められてきて、たいへんなことも多々あったかと思いますが、2004年9月のオープン以降を振り返るとどんな3年間だったのでしょうか。

阪本●予想していたとおり大変で、特にオープンの前後は凄まじく忙しかったですね。そんな状況で、社員全員が一致団結してオープンできた喜びは大きかった気がします。そういえばちょうどあの年、僕の父親が亡くなりましてね。8月の帰省中に身体の具合が悪くて入院したのは知っていたのですが、家に帰る時間もなくてそのまま疎かにしていました。9月にメガディーラーとしてH-D松戸が無事にオープンしてから、10月になって実家に電話すると「もう危篤の状態」だって言うんです。父親はそのまま11月に亡くなっちゃいましてね。1回ぐらいは会っておけば良かったなぁって思いました。話が逸れてしまいましたけど、思い出すのはそんな個人的な想いですね。

ーそれほどオープンに魂を賭けていたのですね。ご実家はどちらなのでしょうか?

阪本●岩手県釜石市の出身です。釜石と言えばラグビーが有名ですが、僕もラグビーにハマったことがあります。名門“新日鉄釜石”が練習するグランドでやれるというんで、高校時代はラグビー部にいました。副キャプテンを務めるなど、その時は一生懸命やっていたんですが、高校を卒業すると“遊びたい”と思い東京へ出てきました。

ーラグビーは辞めてしまったんですか?

阪本●“青春を謳歌したい”としか思ってなかったので、大学に入るとすぐにラグビーも辞めてしまいフォーグソング三昧でした。大学生時代は“駒沢フォーク村”っていう団体をつくりましてコンサートを企画していたんです。いちばんヒットしたのが、今となっては当たり前の企画なんですが、そっくりさんをステージに出した「ニセモノコンサート」ってやつです。さだまさしや吉田拓郎、松山千春のニセモノが歌ってるっていうのが評判になって、雑誌やテレビでも取り上げられたんですよ。寝ても覚めてもそんなことに夢中になっていたから、ボクも親も友達もみんなが芸能関係の仕事に進むとその時は思っていたんですよ。

ーそっくりさん&モノマネショーの元祖だったのですね。どうしてそのままプロデューサーのような仕事に就かなかったのですか。

阪本●駒沢フォーク村はどんどん大きくなりましてね。「青空公園音楽祭」っていうのを企画したんですよ。企業に協賛をもらって各レコード会社からも審査員を出してもらい、その当時人気だった音楽事務所からも飛ぶ鳥も落とす勢いのある若手大物シンガーも呼びました。でも、日比谷野音でやるって話だったんですが予算や日程が合わなくて、とある公会堂になってしまったんです。当然、大物シンガーは断られるし観客も入らない、スポンサーをはじめ各方面に大迷惑をかけてしまったんです。それまで楽しくやってきた駒沢フォーク村っていう活動だったんですが、仕事として考えた時に「所詮は学生の集まりだった」と落胆し、挫折してしまったんですよ。田舎者がノコノコと東京に出てきて大人たちに迷惑をかけてしまった。そんなことがあって、音楽業界に携わることはこの時以来辞めてしまいました。

ーそれでも、大規模なイベントの主催なんて、なかなかできることじゃないですよ。

阪本●好きなことには夢中になるのですが、若い頃は何でもすぐに飽きてしまい、違うことをやっていましたね。コンサートの企画に挫折した頃、片岡義男の小説「彼のオートバイ、彼女の島」を読んで、次はすっかりオートバイに憧れてしまいました。とにかく主人公と同じようにカワサキのオートバイに乗りたい、そんな想いだけで中型二輪免許を取って「Z250LTD」の単気筒を手に入れました。行動範囲が一気に広がって、実家のある釜石までオートバイで走っていましたね。大学4年生になるとみんな就職活動をやり出したのですが、僕にはやりたいことが見つからず、秋風が吹く頃にようやく就職課に顔を出しました。何かやりたいことはないかなぁと考えた時に、ジーンズが好きだからジーンズに関係する仕事をしようかな、と(笑)。長髪だった髪を切って面接を受け、関東圏に展開する「ジーンズショップチェーン店」に就職したんです。本部で出店の企画を立てたり、店長も経験したりできましたね。グッドウッド(メガディーラーH-D松戸を経営する企業)に入るまでの16年間、楽しくやらせてもらいましたよ。

ジーンズは使い込めば味が出る
ハーレーも同じような魅力があるんです

ーオートバイにはずっと乗ってきたのでしょうか。

阪本●カワサキZ400FXやホンダXL200R、ヤマハはRZ250Rに乗りました。24歳の時に限定解除してカワサキのZ750GPを買いました。限定解除したときは大学に受かったときよりも嬉しかったことを覚えています。なんたって当時は超難関な試験でしたからね。それからスズキのGR650やGSX750S刀に乗りました。まとまった休みが取れれば北海道などロングツーリングに出掛けていましたね。いつか長い休みをとって、また全国を走り回りたいと思います。

ーハーレーに乗るようになったのはいつ頃のことだったのでしょうか。

阪本●最初のハーレーは1988年式のFXR(スーパーグライド)です。当時、上野にあった正規販売店「小川屋」さんの雰囲気が好きで、そこで買ったんですよ。1988年の1月に納車でしたから29歳の時ですね。僕はその当時も今も、バイクはハーレーだけじゃないって思っていますから「どうしてもハーレーじゃなくちゃダメ!」という気持ちはありませんでした。ただ、いつかはハーレーに乗りたいって想いは20代の頃からありましたし、国産車でカッ飛ぶみたいな乗り方はもう卒業したいと思っていたんです。景色を見ながらもっとノンビリ走ろう、そう思った時にハーレーならイイかなって思えたんですよ。

ー阪本店長が思う、ハーレーの魅力ってなんでしょうか。

阪本●ハーレーはジーンズと同じで、使っているうちにその人の色や味が出ますよね。僕はクタクタになったジーンズが好きなんですが、その人の履き方で風合いが微妙に変わってくる。だからユーズドよりも真っ青なブルージーンズを新品で買って、ずっと履き続けるのが好きですね。そういう魅力はハーレーによく似ていると思いませんか?

ー使い込んでいくうちに自分だけのモノになる、おっしゃる通りですね。それで、グッドウッドに入社するのは何歳のときだったのですか。

阪本●1997年8月の入社ですから39歳の時です。全国に展開するジーンズショップのスーパーバイザーとして地方を走り回っていて、いろいろと考えるようになったのがきっかけでした。何処へ行くのも一緒だった同僚が、突然心臓発作で亡くなってしまったんです。週末に「お疲れさま」っていつものように元気に別れた翌日のことでした。彼は生前「いつかはペンションをやりたい」と言っていたことを思い出すと、僕も生きているうちは悔いが残らぬよう好きなことを思いっきりやりたい、そう思うようになったのです。僕はジーンズも好きでしたけれど、もっと好きなことがあるのではないかって自分に問いかけてみたんです。その答えがオートバイであり、ハーレーダビッドソンでした。とはいうものの求人雑誌を見てみると、その頃はバイク関係の求人なんて全然ないんですよ。上野のバイク街の大手用品店とグッドウッド、2つだけしか募集情報がなくて、ずいぶん迷ってしまい時が過ぎてしまいました。どちらかに応募すべきだったかと思いながら悶々としていると半年が過ぎた頃に、グッドウッドの求人募集がまた載っていたんです。「これしかない!」って思い面接を受けにいくと、関口社長の話はなんと7時間(笑)。ずいぶん熱い人だなぁって思いました。

ージーンズ業界という異業種からの入社で、いきなり店長になったわけですね。苦労も多かったのではないでしょうか。

阪本●すでにグッドウッドは「メガディーラーハーレーダビッドソン松戸」(2004年9月オープン)の前身にあたる「ハーレーダビッドソン松戸」(1995年1月オープン)を、今の場所とは違うところでオープンさせていましたが、職人気質の世界を変えていくのがたいへんでした。。正直、お客様を第一に考えた対応ができていないと危機感を覚えました。社員たちとじっくり話しあってコミュニケーションを大事にしながら少しずつ改善できるよう、まずは自分の行動や言動に責任を持って理解してもらおうと思ったわけです。僕は店長だからといって誰かを叱ったりすることができないのです。そういう性格なんですかねぇ、怒れる人が羨ましいんですよ。

ーメガディーラーオープンの計画を知ったときはいかがでしたか。

阪本●まさか店長は僕じゃないでしょうね、関口社長にそう尋ねました。年齢を重ねると自分の能力とか器みたいなものが解ってきちゃうんですよ。メガディーラーの規模を知った時は、正直自分には無理だろうなって思いました。社長は誰か適任がいないか考えているとのことで、その時はホッとしたようなガッカリしたような複雑な心境でしたよ。でも、オープンが迫ってくると僕が店長をやることが決まって、期待も不安も大きくなりました。売り場面積などの規模は大きくなるし、当然スタッフも8人だったのが15、16人の大所帯になる。どうしたら良いのかいろいろと悩みましたが、結局行き着いた思いは、メガディーラーになってお店が大きくなっても今まで通り心のこもった接客をすること。メカニックにはお客様の信頼が得られる確実なサービスを提供し続けてもらう、という原点回帰の考えでした。これはこれからもずっと変わりませんね。

ー店長の仕事はやることがたくさんあって忙しいはずですが、阪本さんはブログまでやっています。このブログは営業的なニオイがあまりしません。どういう考えのもと、やっていることなのでしょうか。

阪本●まったくもって趣味の世界ですね。そもそも日記を書くことが好きで、12歳から毎日欠かさず日記をつけていました。今も日記を書いていますので、およそ38年間も書き続けていることになりますね。日記が大好きですからブログも楽しくて仕方ありません。身の回りで感じたことや思ったことを好きなように書いています。ハーレーのある生活を楽しんでいるオジサンの普段の生活を広く見せることで、共感していただける人がいるのではないかと願っています。

ーブログでは愛車のウルトラがよく登場していますが、FXRからいつ乗り換えられたのでしょう?

阪本●ウルトラは2001年に買いました。そろそろFXRの次を考えていた頃に、ウルトラを購入してくれたお客様がいたのです。その方にお話を伺うと「病気が治ったばかりで、再発すると死ぬかもしれない。だから一番好きなものに乗りたい」とおっしゃるのです。影響されやすい僕は「どうせ一度しかない人生、乗るなら最高のモデルに」と前から気になっていたウルトラに乗り換えました。

ーそれからウルトラ一筋というわけですね。

阪本●そうですね。自宅からの通勤に毎日乗り、休日はツーリング。走行距離はもう12万kmを超えています。来年になればハーレー歴20年、入社10周年となるので、記念に乗り換えることにしました。何にしようかなぁーって考えていると、まわりは皆「またウルトラしかないでしょ」って(笑)。僕もやっぱりウルトラだろうなって思ったので、105周年モデルの新車に乗ることにしました。もちろん、コイツでも10万km以上走るつもりです。

ーこれから先、阪本さんがしたいこと、目標にすること、かなえたい夢などはありますか。

阪本●ハーレーに乗り続けたいっていう以外は特に目標みたいなものはありませんね。僕は行き当たりばったりで、“こうなりたい”とか“ああしたい”っていうのがないんですよ。人生振り返っても、たまたまラグビー日本一のチームが近所にあったから高校でラグビーやって、大学で音楽が好きな仲間たちと出逢ったからコンサートの企画に夢中になり、片岡義男の小説でオートバイが好きになって、とあるお客さんに影響されてウルトラに乗る。現在、店長をやらせていただいているのも、たまたま関口社長が見込んでくれたから。運や巡り合わせが良くて今の自分があるので、これから先は恩返しのつもりでがんばりたいと思っています。お客さんへのサービスに現状での点数をつけるなら30点程度ですね。まだまだこれではイケナイと思っています。上に能力のある人間がいるならグイグイ引っ張っていけるのでしょうが、ウチは上にいる人間(自分)がそれほどの力を持っていません。若い人たちには自分の力で伸びてもらうしかないので信頼して任せています。店長としての僕の立場は、メカニック、アパレル、営業など各部門のモチベーションをお互いに高めあって、乗せていってあげることが役割だと考えているんです。今後は足りない70点を補えるようスタッフ全員の力を合わせて、どんどん進歩して行こうと思っています。

ー最後になりましたが、ハーレーに乗っていて良かったことは何でしょうか。

阪本●うーん、そうですね…。ハーレーという1台のバイクを買ったことにより、バイクに乗るという楽しみだけでなく、友達ができたり、自然と触れあえたり、美味しいモノを食べることに興味が持てるようになったりと、楽しみがどんどん広がっていきました。自分で言うのもなんですが、ハーレーに乗るようになってからの僕は、それまでの僕よりも心が豊かな人間になっているはずですよ。

プロフィール
阪本 久夫
岩手県釜石市出身、49歳。大学卒業後、アパレルメーカーへ就職し、38歳の時にグッドウッドに入社。まったくの異業種からの挑戦で戸惑うことも多い中、すぐさまハーレーダビッドソン松戸の店長に抜擢、現在に至る。精力的に更新されているブログを楽しみにみるファンは多い。

Interviewer Column

阪本店長はミーハーなオジサンである。こんな言い方をしたら無礼なのかもしれないが、筆者の勝手な言い分においては、この言葉を40代後半のおじさんに使う場合は最大の褒め言葉なのだ。「阪本店長のウルトラ日記ブログ」を見ればそれはすぐに解る。何にでも関心を持ち、自分で試してみる。その溢れんばかりのバイタリティは、柔軟な姿勢から生み出される。インタビューにもあるように阪本店長はいつも誰かに強い影響を受け、自分もその世界に容赦なく首を突っ込む。新日鉄釜石の松尾選手に憧れラグビーをはじめ、吉田拓郎に心を揺るがされフォークソングに、BIG JOHNのテレビコマーシャルを見てジーンズの虜になり、そして片岡義男の小説を読んで熱烈なオートバイフリークとなった。いつでも何かを吸収しようとしているその姿勢は、まるで10代の若者のようだ。そんな永遠の少年、阪本店長の家には、マーチンD35という吉田拓郎も愛用したアコースティックギターが宝物として大切に保管されている。(青木タカオ)

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