VIRGIN HARLEY | 研修終了 芦田 剛史のUSAディーラー・トレーニングダイアリー

研修終了

  • 掲載日/ 2007年10月31日【芦田 剛史のUSAディーラー・トレーニングダイアリー】
  • 執筆/芦田 剛史
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本場ディーラーでハーレーを学ぶ USA Training Diarys 第19回

ラスベガス生活の振り返り
成功も失敗も赤裸々に

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こんにちは、メカニック芦田です。
今年も残すところあと2ヶ月足らずとなりました。最近、時間が過ぎていく感覚が歳と共に早くなってきています。どうにかして時間がゆっくりと流れるようにできないでしょうか。しかし“一生懸命”生きている限り、それは無理なのかもしれません。私の歳だと、こんなことを考えて生きるのではなく、もっと無我夢中で生きるべきなのでしょう。でも、なぜか先々のリスク回避ばかりを考えていまして…私は若返りが必要かもしれません(笑)。さて、とうとうラスベガスHDでの勤務が終了しましたから、今回はラスベガスでの生活を回想して書いてみたいと思います。おおよそ7ヶ月間のラスベガス生活、ラスベガスH-Dでの修行、人々との出会い、自分との葛藤・挑戦など、さまざまな出来事を思い返してみます。私のいろいろな経験の中から、これから何かに挑戦してみようとする若い世代の方々へ何かが伝われば本望です。よくやったと思うこと、恥ずかしいと感じること、情けないと感じたことも一切隠さずに書いてみます。それではいってみましょう!

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いきなりですが、まず私の駄目だったことから書いてみましょう。ラスベガスに着たばかりの頃、実はナーバスな毎日を過ごしていました。アリゾナやカリフォルニアで仲良くなった友人とも別れたばかりでしたし、仕事で結果を出さなければいけないプレッシャーも感じていました。こんな風にナーバスになってしまったのは私自身の性格のせいだったのかもしれません。すべての修行をやり遂げた今だからこそ、こんな言い訳も出来ますが、私の性格はアメリカにはまったく向いていなかったようです。こんなことはアメリカに来る前には予想だにしていませんでした。神経質、プライドが高い、負けず嫌い、それなのに周りに気を使いすぎ、仕事第一…などなど、日本人としてはそれ程珍しくはない性格ですが、アメリカではほとんど変人に近い性格だったのです。そんな性格のせいで、英語スキルの成長もある時期を境に止まってしまいました。いや、今思えば反骨精神から、止めたのかもしれません。ある日、コンビニで買い物をした時、英語が聞き取れずに戸惑っていると「英語が話せないぜ、コイツ。何でアメリカに居るんだよ。はは。」と小声で言われました。英語だけしか話せない人にバカにされたことで、私の反骨精神に火がついてしまったんです。それまで分厚い英語の本を毎日熱心に読んでいたのに、その出来事がきっかけで英語の勉強はやめてしまいました。それどころか、気が付けばできるだけ英語で話さなくて済むように周りの人と距離を置き、避けてしまうこともある始末。そんな状況ですから、ラスベガスではアメリカ人の友人はほとんど出来ませんでした。英語を覚えることを拒否したことを後悔はしていませんが、今となっては柔軟性に欠けていたと思います。

それでもラスベガスH-Dでは、私の愛想のない分かりにくい英語を一生懸命聞き取ろうとしてくれる人がいました。私の英語が聞き取れないと「ごめん、聞き取れなかった! もう一回。ごめんな…」とまで言ってくれる人もいたほどです。頑固な私に気を遣い、遊びに誘ってくれる人もいましたが、私は何度も断ってしまっていました。こんな状況では仕事以外では一人で家にいることが多くなり、アメリカではプライベートを満喫したとは言えませんね。ここで書いたことはアメリカ生活での失敗例です。もし皆さんが外国に行かれることがあれば、こういった悪循環にはまらないことを祈ります。

自分に課した重いプレッシャー
「ミスはゼロ」が目標でした

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私がアメリカでの研修プログラムに参加した目的は、アメリカのH-Dディーラーをメカニックとして実体験し、技術を学ぶことでした。ですので、いかなる精神状態であろうとも、体調であろうとも、一度仕事モードに入れば結果を出してみせることを決めていました。それゆえに、自分に掛けたプレッシャーは凄まじいもので、研修を乗り切った今でこそ言えますが(2回目ですね。笑)、精神的に不安定な時期もありました。私が自身に課したプレッシャー、それは“修行を終えるまでミスをゼロにする”こと。ミスをした場合は“給与の交渉は一切しない”という2点でした。こんなことが可能かと言われれば、慣れない環境、扱う車両の台数、仕事の内容から考えるとまず無理でしょう。「それなのに何故そんなことを決めたのか?」と思われるかもしれません。それは私が人並みにやっているだけでは、周りの優秀な人たちに追いつけないことを知っていたからです。追いつくだけではなく、欲を言えば「周りをあっと驚かせたかった」というのが本音です。実際に何年間もミスをしない人はたくさんいますので、私もそれに挑戦してみたくなったんですね。私は昔から失敗の多い人間でしたから、人様に「スゴイ!」と言ってもいたかった。でも、そうなるには普通のことをやっていてはダメだと思い、自分を追い込むことにしたんです。

結果は満足のいくものになりました。ミスは2回も(!)してしまいましたが、周りからは充分すぎる評価をいただきました。最初は私に興味の無さそうだったサービスマネージャーも、研修終了直前には「あともう1週間ここに居てくれないか?」とまで言ってくれましたから。この時、自分の心の中に「やり遂げた」と勲章が付いたことを実感しました。しかしながら、自分にプレッシャーを掛けている期間は正直生きた心地はしませんでした(笑)。私のこんなやり方は極端な例であって、正しい方法だなんて少しも思いません。私はたまたまプレッシャーに押し潰されなかっただけなのでしょう。最近はプレッシャーから解放され、趣味に目を向ける余裕も出てきています。バイク以外の唯一の趣味、ドラムの練習も2年ぶりにやってみました(以前のように手足が動きませんが…)。仕事もプライベートもやっぱりリラックスして過ごすのが一番かもしれません。時に追い込むことも必要でしょうが、ずっとそれでは疲れてしまいますから。帰国したらある程度のゆとりを持って仕事をしようと思います。

支えてくれた周りの人たち
すべての人に感謝しています

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「人間は死ぬまでに一体どれくらいの人と出会い、別れるのか?」こんなことを考える人は、きっと暇人かロマンチストなのでしょう。私はこんなことをよく考えてしまう人間なんです(笑)。ここ、ラスベガスH-Dでも貴重な出会いを幾度も経験しました。以前もご紹介しました小磯 博久さんとの出会い、そして小磯氏の奥さん、さらにそのお二人のご家族。何度も自宅へ呼んでいただき、友達のいなかった私がラスベガスで唯一の心許せる人たちでした。私よりもずっと柔軟な性格の小磯さんは私にとって、尊敬する人であり、羨ましい人でした。『アメリカで楽しく暮らしていくにはこうでなくては』という生き方を地で行く人でしたね。奥さんも裏表のない純粋な方。お二人との時間はプライベート、仕事関係なく、本当に心に残る時間でした。次にいつお会いできるか分かりませんが、再会するときには笑顔でお二人にお会いしよう、そう心に誓っています。

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そして、一緒に働く事のできた同僚の皆さん。ラスベガスH-Dは敷地は広く、従業員の数も非常に多いお店です。7ヶ月働いて足を踏み入れたことがない場所もありました。そんなお店ですから、「こんな人いたんだ…」という人を今でも見かけます(笑)。お客さんにはショールームとサービスファクトリーしか見えませんが、2階や、1階奥のオフィスにもたくさんの方が働いているんです。お店を辞めるまでにまだ見ぬ2階へ行ってみたかったのですが、残念ながら機会はありませんでした。小磯さんのお話では職員室みたいな場所だそうですが、見てみたかったですね。ラスベガスH-Dでの7ヶ月は、そんな広すぎるお店では短すぎたのかもしれません。せめて、あと1年あれば私の英語恐怖症も治り、もっとたくさんの出会い、親しい友人を作れたような気がします。

感謝すべきなのは、そんな私を信頼してくれたサービスライター(日本で言うフロントマン)たち。彼らとは本当にいい関係で仕事をすることができました。ラスベガスではスランプを喫することが無かったこともあり(アリゾナでは大スランプを経験!)、仕事をはじめてまもなく「君、結構いけるねぇ」と彼らから褒めてもらえたのが懐かしい…。信頼を得たその後は「これを交換したら直る」の一言でサービスライターは修理にGoサインを出してくれてましたね。それがどれほど希なトラブルの場合でも、私が言うことに疑いなく信頼を置いてくれたのです。もちろん、私もそれに応えなければなりません。お客さんからの全てのクレームはサービスライターに寄せられますし、再修理は彼らの給与にも大きく影響してきます。私は主に故障診断を主にやっていたので、再修理は私にとっても、サービスライターにとっても天敵でした。「この信頼関係を、ずっと守りたい」そんな思いで必死に期待に応え続けた7ヶ月が終わる頃、あるサービスライターが私にこう言いました。「本当にお前は俺達のためにもよくやってくれた。お前は俺の友達だ。サヨナラは言うなよ、去ってしまうのなら、サヨナラは言わないでおこう」。 思いも寄らなかった深い言葉に、ジーンとしてしまった私です。

終わりを迎えたメカニック研修
帰国までの時間はもう残りわずか

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いよいよファクトリーを去る時が訪れ、荷造りを始めました。スーツケースに工具を詰め込み、自分のハーレーも日本に送るため梱包します。すべての荷物を日本に送らなければなりませんが、どんな手続きを取ればいいのかイマイチよくわかりません。以前の私であれば「ああ、どうすりゃいいのさ?」と思ったに違いありませんが、修行を終えた今は落ち着いて1つ1つ片付けていく余裕を持てるようになっています。周りの人に助けてもらいながらも、何とか荷物の梱包は終わりました。ふと片付いた作業場に目をやると、私の作業場はガランとなっています。名残惜しい気持ちで作業場を見ると、木製の作業台に少し焦げた跡がありました。私が昼休みの溶接の練習中に焦がした場所です。それをふと見たとき「こんなに広い世界の中だけど、ここに自分の足跡がついてるんだなぁ」と思ってしまいました。歴史の古いラスベガスH-Dの片隅に、短い期間ですがある日本人が精一杯やっていた事実がそこにあるのです。誰にも気付かれないほどの、本当に小さな小さな痕跡ですが、確かにそこに残っています。私がラスベガスに行こうと思わなければ、その痕跡は残りませんでした。以前のアリゾナのディーラーに勤め続けても、きっと素晴らしい記憶が私の生涯には刻まれたのでしょう。けれど、ラスベガスH-Dに来る選択をしたことで、また違った記憶を刻むことができました。この文章を書いている最中、アパートの入り口にふと目をやると、アメリカでの仕事を始める前に奮発して買ったレッドウイングのワークブーツ、真新しかったあのブーツが目に入ります。ボロボロになったブーツが、私に「お疲れさん」と言っているような気がしてきました(笑)。

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「人生はいつでも旅の途中」だと言った歌手がいます。旅の途中ではいろいろなことが起こります。嫌な経験、いい経験、どちらか一方を選ぶことはできません。それを嫌がって歩みを止めることもできますが、私は経験するのを恐れることより、経験しないことを恐れたいと思います。嫌な経験ですら、私は今や恐れていません。これまで、私の傲慢から嫌な経験をたくさんの人にさせたこともありますから、そんなことを恐れる資格などないでしょう。傷付けてしまったこと、傷付けられたこと、成功したこと、失敗したこと。今まで経験したこと全てが今の私を支えています。そして今回の、良いことも辛いことも両方ぎっしり詰まったラスベガスでの経験。日本に持って帰るには、荷物重量オーバーなほど(うまいこと言ってどうする・笑)。

さて、いよいよ次回は最終回です。ラスベガスH-Dを後にした私が向かうのは、自分の気持ちを切り替える場所。日本に帰る前に、アメリカをレンタカーで旅し、新たなる気持ちを見つけてきます。一杯に溜まった心の中の写真を一枚一枚アルバムに整理しながら、1年ぶりに休暇を取ってアメリカを走りたいと思います。それでは最終回をお楽しみに。

プロフィール
芦田 剛史

26歳。幼少からバイクと車に興味を持ち、メカニックになることを誓う。高校中退後、四輪メカニックとして4年の経験を積み、ハーレー界に飛び込む。「HD姫路」に6年間勤務、経験と技術を積み重ねたのち「思うところがあり」渡米を決意。現在はラスベガスHDに勤務。(※プロフィールは記事掲載時点の内容です)

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