VIRGIN HARLEY |  アメリカを締めくくる旅(前)芦田 剛史のUSAディーラー・トレーニングダイアリー

アメリカを締めくくる旅(前)

  • 掲載日/ 2008年01月14日【芦田 剛史のUSAディーラー・トレーニングダイアリー】
  • 執筆/芦田 剛史
芦田 剛史のUSAディーラー・トレーニングダイアリーの画像

本場ディーラーでハーレーを学ぶ USA Training Diarys 第20回

2年間のアメリカ生活の終わり
各地を旅して気持ちを切り替えます

皆さんこんにちは、メカニック芦田です。
いよいよこのコラムも最終回となりました。アメリカを疾風の如く駆け抜けたこの2年間は、あっという間でもあり、永遠とも感じた2年間でした。そして、沢山の人々との一期一会がありました。人生は想い出にふけってばかりでは駄目かとも思いますが、今回だけはどっぷりと2年分の思い出にふけってみたいと思います。前回お話した通り、今回はアメリカをレンタカーで旅しながら、想い出の地を訪ねたり、ずっと憧れていた場所へ行ったりしてきました。その旅の様子を交えながら、その途中で起こったハプニングや素敵な再会をご紹介したりもしたいと思います。文章量がちょっと多くなってしまったので、上下に分けてご紹介しますが、最後ですから我慢してお付き合いください(笑)。それではいってみましょう!

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最初に向かった場所は、私が最初にディーラー修行を行ったアリゾナ州フェニックスです。ラスベガス市内からの所要距離は300マイル、6時間の道のりです。出発の前の晩は久しぶりの旅行に緊張して一睡もできませんでした。眠れない時間を惜しく思い、出発時間を大幅に早めて、ラスベガスを出発したのは午前4時! 当然、日はまだ昇っていません。真っ暗なフリーウェイを一人快走することになりました。実はこの道のり、今回で5往復目くらいになります。この道はかつてラスベガスH-Dへの転職を果たすため、フェニックスから何度も何度も走った道なのです。当時は本当にナーバスな状態でした。「本当にラスベガスで働けるのだろうか? 断られるのでは?」そんな不安の中で走ったこの道の記憶は、どちらかというと重たいモノでした。しかし、この日走るこの道は暗い気持ちなど何もなかったため、その当時には見えなかった表情を見せてくれました。心に余裕があるときだと、見える景色が違ってくるものです…たとえ夜明け前であっても(笑)。途中、強烈な眠気に襲われて何度も仮眠をとりながら走ったのですが、徹夜で走るのはやっぱりちょっとまずかったかもしれません。そうこうするうちに真っ暗だった荒野の東の空に、薄い青とオレンジの朝日が昇り始めます。解放感とはまさにこの瞬間のためにある言葉だと思うほど、美しい日の出でした。こんな朝日を見るなんて、アメリカにやって来て初めてのことかも。

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時間を忘れ周囲の景色を眺めて走るうちに、無事フェニックスに到着。久しぶりの再会を多くの人と果たしました。特に勤めていたディーラー「アローヘッドH-D」のサービススタッフ達との再会は格別のものがありました。尊敬するメカニック、カート氏とも再会することができ、拙い英語ではありますが語り合いました。彼は相変わらずのクールな笑顔で何ともいい味を出しています。その後はこの研修プログラムをサポートしてくれているAZSS渡辺さんや同じ日本人のH-D関係者の方とお会いして食事を楽しみました。しかし、寝不足と車酔いのせいで道に迷い、この会食の席に1時間近くも遅刻してしまったのです…。この時点で40時間以上起き続けていたのですが…言い訳にはなりません…申し訳ありませんでした。ここでもお世話になった方々と再会し、思い出話に花を咲かせます。感謝し尽せないいろいろなことを経験したフェニックス、いつかまた、必ず戻ってきます!

アメリカで初めてできた仲間
久しぶりの再会に心が震える

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アリゾナで十分睡眠をとった私が、次に向かったのはカリフォルニア州です。カリフォルニアは私の英語修行が始まった場所であり、ホームステイ先のご家族、英語学校時代の友人たちとの再会を果たすために向かいます。フェニックス市内より、I-10という東西に長いフリーウェイを走り続けました。所要距離はおおよそ400マイル、所要時間7時間。実はこのI-10フリーウェイも既に5,6回は往復している道路でして、正直なところ道のりはあまりにも見慣れているから、若干苦痛でした。という訳で、この7時間の道のりは休憩無しで突破し、夕刻頃にカリフォルニア州のロングビーチに到着! 最初に会ったのはロングビーチに住む大事な私の友人でした。アメリカに来たばかりの頃、全く友達がいなかった私に最初にできた友達の一人で、彼は私にとって特別な存在でして。一緒に食事をして、海へ行き、大いに語り合い、夜が更けていきます。夢を語り合える彼との別れといつかの再会の誓いに思わず目頭が熱くってしまいました。彼に出会えたこと、それだけでもアメリカに来てよかった、そう思います。

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翌朝には、また別の再会を果たすため、車を走らせました。ロングビーチにお住まいのA.I.M社田村氏、サンタモニカにお住まいのBartels’H-D(ロサンゼルスのHDディーラー)星野氏との再会です。お二人とお話していると、勝手な見方ではありますが、どこか精神的な余裕を感じます。いつも切羽詰った気持ちだった私とは違う、ゆとりのようなモノを感じたのです。私はやっぱりアメリカで住むには四角四面過ぎだったのかもしれません。今回カリフォルニアで再会した方々は私よりずっと長いアメリカ生活を送っておられる方々。やはり、長く住んでいて疲れを出さないからにはアメリカへの適応能力というものをお持ちなんだなぁ、そう感じました。

さてここで、「ホームステイ先には行かなかったのか?」という所が気になるところですが、実は事前にアポを取らずに訪ねたため、なんとホストファミリーは留守でした! 実は私、仕事から一歩離れると結構いい加減なんです(笑)。仕方なく次の目的地へ進むため、更に翌朝から北へ車を順調に走らせました。しかし、その道中に一本の不吉な電話がかかってきたのです…。

トラブルに見舞われつつ
憧れの地へと向かいます

カリフォルニアからラスベガスまではI-15という南北に長いフリーウェイを使います、距離はおおよそ250マイル。今回の旅は、本来であればラスベガスを通り過ぎ、そのまま北上してザイオンナショナルパークに向かう予定でしたが、思わぬトラブルに見舞われました。カリフォルニアを出発し、ラスベガスを通り過ぎる直前に掛かってきたその電話は、私が住んでいるラスベガスのアパートのオフィスから。いやな予感がしましたが、まさにそれは的中でした。

(管理人)「悪いニュースがあるんだけど…。」
(私)   「え、なんかありましたか?」
(管理人)「君のアパートのドアから水が溢れてきているんだよね…」
(私)   「そうですか。はぁ…。」

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アメリカ生活でのこういったトラブルには数々遭遇し、もう慣れっこで驚きはありません(笑)。とりあえず予定を急遽変更して、部屋の被害の確認の為にラスベガスへ戻ることに。部屋に戻った私はその有様を見て愕然…。トイレの下水が吹き返して部屋を満たし、玄関まで溢れていたのです。水漏れのトラブルはフェニックスに居た当時から6回ほどありましたので平気でしたし、ゴキブリや蜂が部屋に大量発生するなどの苦難も経験していました。それでも今回の事件はなかなか強烈です。急にラスベガスへ戻ってきたので、ここ以外に泊まる場所はありません。床に置いていた寝具や書類を全て廃棄し、その晩はフロアーにタオルを敷き、本を枕にして眠りました。寝心地はご想像にお任せします(笑)。とまあ、そんなこんな事件がありながらも、気をすぐに取り直して翌朝に旅に戻ることにしましょう!

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下水の逆流で流石に気持ちが落ち込みましたが、いちいち気にしていても始まらないので旅を再開。次に向かったのはザイオンナショナルパークです、ラスベガスから約160マイルほど北にあるザイオン。国立公園としては非常に有名な場所で、巨大な渓谷があり谷底を歩いて上流まで上がることができるようです。私はハイキングの装備を持ち合わせていませんでしたので、とりあえずは車で見られる部分だけを見て回りました。それでも十分すぎる迫力の巨大な岩山の数々が眼前に広がっています。途中で車を停めると、小さな小川を見つけました。実は私、小川が大好物で、綺麗な小川を見るとワクワクしてたまらなくなるのです。あまりのんびりしていると、その日予定している目的地に到達できないので、小川で心を癒すのもそこそこに、次の場所へ向かうことにしましょう。

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この日の私の目的地はモニュメントバレー。ここはあまりにも有名な名所ですが、交通の便は悪く、観光ではレンタカーか、バイクを借りなければ行くことができません。ザイオンから約270マイル、5時間ほどの道のりです。道中はなんとも、のどかなアメリカらしい道が続き、眠くなること請け合いです。夕刻頃に現地へ到着してモーテルにチェックイン。そして、あえて日が沈む頃にモニュメントバレーへと向かったのです。夕日に照らされる巨大な岩のタワーとでも言いましょうか、なんとも幻想的な風景が私を包んでくれました。この場所はアメリカに来たばかりの当初から、いつか行ってみたいと思っていた場所であり、憧れの場所でした。色んな写真や雑誌で来る前から風景が想像できてしまったのは少し残念でしたが、それでもアメリカの日々の最後を飾るには十分すぎる場所でしたね。この旅のクライマックスの1つでした。

プロフィール
芦田 剛史

26歳。幼少からバイクと車に興味を持ち、メカニックになることを誓う。高校中退後、四輪メカニックとして4年の経験を積み、ハーレー界に飛び込む。「HD姫路」に6年間勤務、経験と技術を積み重ねたのち「思うところがあり」渡米を決意。現在はラスベガスHDに勤務。(※プロフィールは記事掲載時点の内容です)

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