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ハーレー乗りが何を考えているのか、どんな人が日本にいるのか 今回ご紹介させていただくのはハーレーダビッドソンライフマガジン「VIBES」発行人の 只野 利浩さんだ。VIBES創刊号が発行されてからすでに14年になる。その間、多くのハーレー乗りやイベントを紹介し、今の日本のハーレーシーンに大きな影響を及ぼしてきた。ハーレーに憧れ、ハーレーに乗る人が増えたのも、日本各地でこれほどミーティングが盛んになったのもその多くがVIBESの功績だといえるだろう。実は私もVIBESと出会い、ハーレーにたどり着いた一人だ。只野さんはどんな想いでVIBESを創刊したのか、日本のバイカーに何を伝えたくてVIBESを発行し続けているのか、についてお聞きしてきた。 遠くまで旅がしたい
只野●私は昔から何がなんでもハーレーに乗ろうと思っていたわけではありません。子供の頃から徒歩や自転車で旅をしていましたが、遠くまで旅がしたくてバイクに乗りたくなり、いろんなバイクに乗ってみて旅に一番合ったバイクがハーレーだったんです。何かに憧れて乗り始めたわけではなく、バイクが好きで、その中でもハーレーが一番好き、それだけだったんですよ。学生の頃からアルバイトでお金を貯めては日本中を放浪するような人間で。そうやってバイクで旅を続けるうちに「将来もバイクに関わる仕事がしたい」と思い、バイク雑誌の仕事をするようになりました。
只野●そうですね。たまたま広告でお付き合いがあったショップから中古車の82年式のFXRS(スーパーグライド)を買いました。雑誌の取材でハーレーの広報車を運転したことがあり、その力強さと何とも言えない独特のフィーリングに惹かれ買おうという気持ちになりました。ハーレーだとたくさん荷物を積めますし、旅をするのにも一番楽しそうなバイクでしたから。ただ、大きな買い物だったので、悩みましたが。
只野●編集仲間からは「何であんな壊れるバイクを買うの? 馬鹿じゃないの」と言われましたよ。でも、レーサーレプリカだと荷物もあまり積めませんし、あの前傾姿勢は疲れますから。「旅をするならハーレー」と思っていましたので、周りの声は気になりませんでした。
只野●ハーレーに乗っている知り合いは一人もいませんでした。もともと誰かと一緒に走るのは好きではなかったですから。一人でハーレーに乗っているときにハーレー乗りの集団に出会うと「嫌だなぁ、早く通り過ぎて欲しいなぁ」と思っていたくらいです。
只野●昔から一人旅ばかりでしたね。旅先で仲間と一緒にワイワイやる、それが苦手で。道で会った人には積極的に話しかけていましたし、自分と同じように一人旅をしている人と出会い、仲良くなるのは楽しかったのですが、誰かと一緒に旅をするのは好きになれなくて。でも、長く一人で旅をしていると寂しくなるときもありました。たまにユースホステルに飛び込んで、そういう輪に入ることもありました。「ワイワイうるせぇなぁ」と思いながらも、たまにそういう雰囲気を味わうことはありましたよ。 ミーティングでのバイカーとの出会い
只野●私がハーレーに乗っていたので、ミーティングの取材を頼まれたことがありまして。それで生まれて初めてミーティングに行ったのがVIBES創刊のきっかけです。正直言って気乗りはしませんでしたが、仕事でしたから行くしかなくて。それが「ライジングサンズの多摩キャンプ」というミーティングでした。いざ、取材に行ったものの、なかなか参加者の輪の中に入れなくて。「遠くから写真を撮って、早く帰ろう」くらいの気持ちでいたんです。
そうしたら「一人で何やっているんだよ。こっちに来いよ」、「これ食いなよ」と声をかけてもらえて。自然にその人たちの輪に溶け込むことができました。「日本の中にこんな人たちがいるんだ。ハーレーに乗っていて、こんなに楽しい顔をする人たちがいるんだ。」と、ハーレー乗りに抱いていたそれまでのイメージを崩してくれました。そこで出会ったバイカーの人たちとはそれ以降も交流するようになり、バイカー同士のつながりの素晴らしさを知ることもできました。それまで積極的に関わろうとしていませんでしたが、ハーレー乗りの本当の姿を知ることができましたし、ミーティングの楽しさ、ミーティングでの出会いや素晴らしさ、を「ライジングサンズの多摩キャンプ」に参加して教えてもらいました。
只野●その頃ハーレーに乗っていた人は「ツッパっていて怖いイメージ」の人が多くて。「笑顔を見せるハーレー乗り」より「怖い顔をしてハーレーに乗る人」が多かったんです。私は旅をするためにハーレーに乗る、ヒッピーのような楽しみ方をしていたので「ハーレー乗りの人たちと自分は考え方が違うんだ」と勘違いしていたんですね。でも、そのミーティングで私が憧れていた「自由・旅」を愛する人は、実はたくさんいたことに気づいたんです。「ライジングサンズの多摩キャンプ」は私に衝撃を与えてくれましたね。VIBES創刊の原点になった取材でした。
只野●情報がありませんでしたから。それまでのバイク雑誌はカスタムバイクの特集しかありませんでした。ハーレーに乗っている人が何を考えているのか、どんなハーレー乗りが日本にいるのか、がわかる雑誌がなかったんです。ですから「ライジングサンズの多摩キャンプ」で私が味わったような感動を伝えるため「バイカーの本を創りたい」、そう思うようになりました。カスタムだけではなく、どんな人がオーナーなのか、その人はどんなことを考えているのか、そこを伝えたいと。人嫌いの私が「人」をテーマにした本を創りたくなったんです。ハーレーにはこんなに素晴らしい世界があること、こんな楽しみ方もあるんだということを多くの人に伝えたい、そう思ったんです。そんな時、ある出版社から「只野君、ハーレーに乗っているよね。実はハーレーの本を創りたいんだけど…」と声をかけていただいて。コンセプトから企画まで全面的に任せてもらって手がけたのがVIBES創刊号でした。
只野●最初の頃のVIBESは不定期に発行していました。1号出して様子を見、次の号を出して…を繰り返し、4号を出すのに2年もかかりました。2号、3号と出すに連れ、売れ行きは悪くなり、4号目を最後に実はVIBESはなくなってしまいました。でも、手応えはあったんです。無理を聞いていただいて取材に協力してくれたショップや、車輌の撮影にわざわざ仕事を休んで来てくれるハーレーオーナーの方もいてくれて。「こんな雑誌が出るのを待っていたんだよ」そういう声も聞こえてきました。VIBESを楽しみにしてくれている読者は少なかったですが、確実にいたんですよ。確実に!
只野●「このまま続けていけば絶対に、絶対にカタチになるから」と発行元の出版社に何度も掛け合いましたがダメで。「じゃあ『VIBES』という名前だけは僕に使わせてください」とお願いをして、何とか名前を使う許可はもらえました。
只野●それは私もわかっていましたが、とにかく必死にお願いして、私の思いが伝わったんでしょうね。やっと育ち始めたばかりのVIBESを4号で終わらせるわけにはいきませんでしたから。VIBESという名前が使えなくなると、それまで協力してくれた方、楽しみに待ってくれている読者の方に申し訳がない、その思いで必死でした。
只野●ええ。もう一度VIBESを発行させてもらえる出版社を探し回りました。でも条件が合う出版社はなかなか見つかりませんでした。最初に勤めていた出版社が興味を持ってくれ、やっとVIBESは再出発できました。再出発してすぐの頃の売れ行きはよくありませんでしたが、やはり継続ですね、1年続き、2年続き…部数も増え、月刊化になり、もう14年目になります。 |
只野 利浩 44歳。幼少の頃から徒歩や自転車で旅を続け、もっと遠くまで、とバイクの旅に目覚める。旅に一番合うバイクということでハーレーに出会い、出会ったバイカーの魅力を伝えるためVIBESを創刊し、現在は発行人を務める。FXRS、FLT、FLHの3台のショヘルヘッドを所有。 |