VIRGIN HARLEY |  山﨑 健太郎(ハーレー乗りの川漁師)インタビュー

山﨑 健太郎(ハーレー乗りの川漁師)

  • 掲載日/ 2008年03月12日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

誇り高き江戸川の漁師
それを受け継ぐハーレー乗り

関東地方を流れる一級河川「江戸川」。利根川水系の分流で、流域は東京都、千葉県、埼玉県、茨城県の1都3県にも及ぶ。かつては川漁師たちの漁場であったが、流域の都市化に伴い漁師も減少。現在は僅か1人か2人だけとなってしまった。幼い頃から鰻や海老を獲るのを楽しんでいた山﨑 さんは、危機的状況にあったの江戸川漁師のことを知り、自分が受け継ごうと志願。実家である寿司屋で修業をしながら、という条件付きで、先代に弟子入りさせてもらった。家業で見習いとして働き、空いた時間は川で魚を獲る。休日には愛車のスプリンガーで走り、1歳になる愛娘を抱きしめる。そんな、充実した毎日を過ごす山﨑 さんに、ハーレーや江戸川漁師についての話を伺ってみた。

Interview

排気の風圧がダイレクトに身体にかかる
ハーレーの迫力に圧倒されました

ー子供の頃から川で遊ぶのが好きだったのですか?

山﨑 ●父が釣り好きで、物心ついた時から川や海で遊んでいました。家業の寿司屋は月曜日が休みだから、月に1度は小学校を休んで父と釣り三昧。普段も放課後になると地元を流れる江戸川へ魚釣りに行って、危ない遊びばっかりしていました。友達を連れて自転車で遠くまで行ったら、夜中になっちゃってみんなは泣き出しちゃう。そんな感じだったから「あの子とは遊んじゃダメ」って、友達のお母さんたちは口を揃えて言っていましたよ(笑)。ボクだけ、なぜか怖いもの知らずだったような気がしますね。

ー「江戸川の川漁師になろう」って決めたのはいつですか?

山﨑 ●高校1年生の時に小型船舶2級の免許をとり、江戸川で釣りをしたり鰻獲りに挑戦したりしていたんです。高校を卒業する時には自分用に小さな船も買ってしまうほど。そんなボクを見た母が地元に住む川漁師さんを紹介してくれました。話をお聞きすると、もう後継者がいないということだったので、それだったらボクが教わりたいって思ったんです。“寿司屋を続けながら”という条件はありましたが、それ以来、その方から川漁師の仕事を教えてもらうようになりました。いまでは4月から10月頃まで漁に出て、鰻や蟹、川海老なんかを獲っています。獲ったモノは売ることもありますが、ウチの寿司屋でつまみに出すなど、楽しみながらやっています。鰻釣りは特に難しくて、仕掛け、ポイント、船の操縦、すべてを完璧にこなさなくちゃダメなんですよ。年間100本近く獲れるんですが、そのうち7、8本は極上のものが獲れるんです。産卵にのぼるメス鰻で、台風明けの増水時なんかが狙い目。増水してカエルやミミズが流れるから、それを食べて太るんですね。頭より胴体が太くなるほど肥えて、缶コーヒーよりも体が太くなる。その旨さったらありませんよ(笑)。

ーオートバイにはいつ頃から乗りはじめたのですか?

山﨑 ●父の後ろでしたが、最初に乗ったのは小学生の頃でした。ウチは父がハーレー好きで、たしかボクが小学3年生の頃にエボのヘリテイジを買ってきたんですよ。父は若い頃にカワサキの「W1」なんかを乗り回していて、バイク好きだったらしいんです。でも、寿司屋になってからは忙しくて、20年以上のブランクを経てのリターンライダーでした。昔は父と母はW1で2人乗りして走っていたそうです。2人ともオートバイは昔から大好きだったんでしょうね。

ーお父さんは20年のブランクからいきなりハーレーを買ってきたんですか?

山﨑 ●父はショベルヘッドが欲しかったみたいですが、バイクショップで「いまは何に乗ってるの?」って聞かれて「ハイエース」って答えたら「新しいヤツに乗りなよ」って断られたらしいんです(笑)。ボクはそのショップへ連れて行ってもらうのが楽しみでしたね。職人さんたちがバイクをいじる姿を眺めるのが好きだったんです。いまのショップにはない、昔ながらのオートバイ屋さんっていう感じが心地良かった。ウチが寿司屋だったからかもしれませんが、ボクは職人が仕事をしている姿が好きなんですよ。

ーお父さんのハーレーをはじめて見たときのことは覚えていますか?

山﨑 ●父がハーレーに乗って帰ってきた時は、フィッシュテールマフラーからものすごい排気音と風圧が出ていてビックリしました。ボクは背丈が小さかったから、排気が身体にダイレクトに当たるんです。その迫力には圧倒されましたが、父がハーレーに乗る時はいつも後ろに乗せてもらっていました。でも、しばらくしてから四輪車との軽い接触事故に遭ってしまい、全身打撲で痛い思いをしたんですよ。それ以来バイクが嫌いになって「もう二度と乗るものか」って思っていました。ですから、中学・高校時代は魚獲りとかバンド活動に夢中になり、バイクとは無縁の生活でしたね。

ー楽しそうな青春時代ですね。

山﨑 ●音楽はもともと大好きで、小学生の頃は音楽部に入ってトランペットやユーフォニウムなんかを吹いていたくらい。中学3年のときにはギブソンの「フライングV」を購入し、ジミ・ヘンとかを弾いていましたね。そういえば、ジミ・ヘンのアルバムジャケットにパンヘッドが写っているヤツがあり、あれはカッコイイと思いました。バイクにもホントはチョット興味あったのかもしれませんね。

納車の時はひとりでニヤけましたね
ボクもハーレー乗りになったんだって

ーそろそろハーレーの話をしましょうか(笑)。

山﨑 ●16歳のときに父に「バイクの免許を取れ」って言われたんですが嫌で、代わりに船の免許を取りました。それくらいバイクとは距離があったんです。でも、毎年家族で行く河口湖でのブラックバス釣りがきっかけでハーレーに興味を持つことになりました。河口湖に行くと必ず「MOTROCYCLES DEN」 に連れて行かれていたんですが、そこで見たサビだらけの1957年式パンヘッドがカッコ良くて、衝撃を受けたんです。それからMOTROCYCLES DENに連れて行ってもらうと、ナックルやパン、ショベルをじっくりと見るようになり、雑誌でもしっかり勉強しました。ナックルとパンはヘッドがかっこいいし、ショベルはアルミっぽい褪せた鉄の感じがたまらない(笑)。その頃から旧いモデルの方がカッコイイって思っていました。特に50年代のものに惹かれて。バイクだけじゃなくクルマやファッション、音楽も50年代のモノが好きです。特に50年代のキャデラックには、いつかは乗ってみたいですね~。

ー自分のハーレーを手に入れたのはいつでしょうか?

山﨑 ●高校を卒業して間もなくです。自分のバイクが無性に欲しくなっていたので、「才川モータース」で2001年式のFXSTSスプリンガー・ソフテイルを手に入れました。最初は400ccの国産車を買おうと思ったんですが、父が「どうせならハーレーを買え」って言うんで、思い切って購入したんです。本当はパンが欲しかったんですが、予算的に到底買えない。それに父や父のバイク仲間から「最初は新しいのにしときな」って忠告されたのでツインカムから選ぶことにしたんです。旧車テイストがあるモデルを探すとスプリンガー・ソフテイルがイチバンだった。スプリンガーフォークの古めかしい見た目に惹かれたんです。納車の時はひとりでニヤけましたね。「ホントにハーレーを買っちゃったんだ」と、嬉しかったことを覚えています。

ーそこから親子でのハーレーライフがはじまったんですね。

山﨑 ●ボクの彼女も97年式のヘリテイジ・スプリンガーを買って、さらに母も94年式ソフテイル・カスタムを手に入れました。家族みんながハーレーに乗るようになってからは、毎月ツーリングに出掛けています。彼女と結婚して子供が生まれたときに最初のスプリンガーは手放し、いまはエボのFLスプリンガーに乗り替えました。ツインカムとエボ、2台のスプリンガーに乗りましたが、ボクはエボが好き。寒い日の朝はエンジンが掛かりにくかったりしますが、エボの方が力強い鼓動感を感じます。

ーツインカム、エボ以前に「どうしてハーレー」なんでしょうか?

山﨑 ●ボクは田舎道を走るのが好きなんです。本当は一昔前のアメリカ映画に出てくるようなカントリーの風景が一番なんでしょうが、ハーレーって日本の田舎道にも似合いますよね。ノンビリと走っていると、子供が手を振ってくれるような存在感。そういう部分が好きです。それから、他のオーナーとの触れ合いが楽しめるのもハーレーの良さかもしれません。ハーレー乗りどうしなら気軽に話しができますよね。ハーレーに乗るようになってからは、誰にでも話しかけられるようになりました。いまではハーレーに乗っていない時でも、知らない人とすぐに打ち解けられるようになり、人と話すのが好きになっちゃいました(笑)。特に50代以上の人と話すのが好き。江戸川漁の師匠もそうですが、年配の方は旧くて良いモノを知っていると思うと、興味が湧いてきちゃうんですよ。

ーこれからも家族でハーレーを楽しめそうですね。

山﨑 ●父は、最初に買ったヘリテイジを盗まれてしまい、いまはツインカムのソフテイル・デラックスとショベルのFLH、さらにエボのローライダーに乗っています。これほどハーレー好きな父がいたから、こうしてボクもハーレーに乗っているのでしょうね。ハーレーに乗る時は「ボクは乗らせてもらっている」と思い、いつもハーレーに敬意を持つようにしています。ハーレーを心のどこかで尊敬しているのは、パンやナックルに通ずる昔の味を守り続けているからなんでしょう。そうそう、これからはもっとビンテージテイストを取り入れたいので、バディーシートに交換しようと思っています。そうやってカスタムも楽しめるハーレーはやっぱり偉大ですよ(笑)。

プロフィール
山﨑 健太郎
千葉県流山市出身、23歳。創業30年の「いろは鮨」にて見習いとして働きながら、地元の江戸川で天然の鰻や川海老を獲る川漁師。父のハーレーでVツインサウンドを知り、高校生の時に見たパンヘッドでハーレーの素晴らしき伝統を知る。現在の愛車は1997年式FLSTS。

Interviewer Column

思い返せばケンちゃんとは、かれこれ4年のつき合いになる。最初はバイク雑誌でお母さんを取材させてもらったのがきっかけだった。50歳になる前にオートバイの免許を取るという女将さんの行動力と逞しさに圧倒され、職人気質で粋な大将に憧れ、ケンちゃんの無垢な素直さが気持ち良く、ぼくはすっかり山﨑家のファンになった。それ以来、取材といっては山﨑家に何度も押し掛け、プライベートでも仲良くさせてもらっている。忘れてならないのは、ケンちゃんの奥さんであるノンちゃん。ノンちゃんもまた山﨑家に影響され、大型二輪免許を取得。ケンちゃんと同じスプリンガーのハーレーを買い、一家4人でハーレーに乗るという近所でも評判のファミリーになった。そんな山﨑家だから、いつも楽しい仲間が自然に集まってくる。ケンちゃんを通じて、ボクはたくさんの人たちと知り合う機会に恵まれ、素晴らしい仲間に巡り会えた。この場を借りてケンちゃん、そして山﨑家のみなさんにお礼を言いたい。ありがとう、そして、これからも宜しく。(青木タカオ)

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