VIRGIN HARLEY | 重松 健(ハーレーダビッドソンブルーパンサー) インタビュー

重松 健(ハーレーダビッドソンブルーパンサー)

  • 掲載日/2009年01月16日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

時速370kmで走る世界
そこにはどんな景色が広がっているのか

初めて重松さんにお会いしたのは4年ほど前のこと。V-RODについての取材で「ハーレーダビッドソンブルーパンサー(以下、ブルーパンサー)」を訪れたときにお会いした。当時からAHDRA(All Harley Drag Racing Association)で活躍するドラッグレーサーの顔を持っていたが、初対面での印象が強烈だった。V-RODについてどのような話を振っても、最終的にはスピードの話になる。日常からどれだけスピードを意識している人なのか、少し話すだけで十分に伝わってきた。重松さんは目ヂカラも非常に強い。時速300kmを超える世界で生きている人はこんな目になってしまうのか…。それ以来ずっと取材の機会をうかがってきていたが、やっとチャンスに恵まれた。トップクラスのドラッグレースの世界とはどのようなものなのか、それをご紹介しよう。

Interview

アメリカで見たドラッグレース
見るだけじゃ我慢できなかった

ー時速350kmを越えるスピードのレースを走るなんて、普通の人には怖くてできないと思います。小さい頃からスピードに対する憧れがあったのでしょうか?

重松 ●あったかもしれないですね。小さい頃から自転車で近所を全速力で走っていましたし、父親の勧めで小学生のときにはじめたモトクロスでも「こんなにスピードが出るんだ!」と感動していましたね。“速く走る”のは小学生のときに目覚めていたのかもしれません。

ー高校生のときにはオートレーサーを目指していたと聞きました。小学生のときに目覚めたスピードへの憧れは高校生のときも変わっていなかったようですね。

重松 ●中学生のときはモトクロスはやっていなくて、ブランクがありました。高校に入り「将来何をしよう」と考えたときに、バイクでご飯を食べたいと思い、オートレーサーを目指すことにしたんです。

ーモトクロスやGPライダーではなく、なぜオートレーサーだったのでしょう?

重松 ●オートレーサーの場合、試験を受け、養成所に入って訓練を受ければプロになれる道がある。他の世界ではプロになれる環境が揃っていない気がしたんです。それにオートレーサーでは50代になっても活躍しているプロがいて、他のバイク競技に比べると長く一線で戦えるのも魅力的でした。結局、1次試験はパスできたんですが、2次試験の精密検査で落ちちゃって(笑)。試験の年齢制限があって、卒業後も試験を受けていましたが、オートレーサーにはなれませんでした。

ー初めてハーレーに乗ったのはいつ頃のことでしょう。

重松 ●卒業後、勤めていたカーディーラーを辞め、ブルーパンサーにメカニック見習いとして入った23歳のときだったかな。ハーレーの本国がどんなところなのか見てみたくなり、現地で883を購入して、3ヶ月間かけてアメリカ全土をあちこち旅したんです。初めて訪れたアメリカでしたけれど、大陸横断も経験することができ、思い出深い旅になりました。

ーそんな年齢でアメリカ横断…羨ましい経験ですね。26歳でまた渡米されていますね。

重松 ●MMI(アメリカのバイクメカニック専門学校)で勉強するための渡米ですね。このときはアメリカを見て回るのが目的ではなく、ハーレーのメカニックとして必要な知識や技術を学ぶための留学でした。

ー英語は堪能だったんですか?

重松 ●最初の半年は苦労しました。渡米前に英語の勉強をしたつもりだったんですけれどね。日本で英語を学ぶときは、みんな綺麗な英語を話してくれますが、MMIには全米各地から、いろんな訛りの人が集まってくる。読み書きもしばらくは苦手で、質問の意味がわからなくて回答できない、なんてこともありました(笑)。半年ほど英語に囲まれて生活していて、突然はっきりと聞き取れるようになったんですけれど。

ードラッグレースを初めて体験したのもその頃だとか。

重松 ●MMIがあったアリゾナ州フェニックスの町では、金曜日の夜に「フライデーナイトドラッグ」という草レースが毎週開催されていて、それを見にいったのがきっかけでした。草レースですから、どんなバイク・車でも出走できるんですよ。会場に行くと、ボロボロの車に乗っていても「走るの? 見るの?」と聞かれるような緩い雰囲気のレースでした。入場料も出走料も同じ7ドルだったので「どうせなら走っちゃおう」と、当時乗っていたエボリューションのソフテイルで走るようになったんです。

ーそのときのレースは「トップを目指す!」というよりは「楽しもう!」という感じだったのでしょうか。

重松 ●ストリートクラスでしたから、キャブレターやカムだけを交換して走っても十分楽しめるんです。でも、慣れてきて全開で走るようになると、バルブが曲がったり、ギアが割れたりと、トラブルだらけでした。その度にエンジンをバラしては修理していましたよ。おかげで、どれだけ回せばどこが壊れるのか、いい勉強になりました。

ー本気でドラッグレーサーを目指したいと思ったのはその頃?

重松 ●23歳のときにアメリカを旅したときにも4輪のドラッグレースは見に行って、そのときは「スゴイ!」と思っただけでした。でも、MMIに入って間もない頃に2輪のトップフューエルクラスのドラッグレーサーを見たときには、自分もあそこで走りたいと思ったんです。

まっすぐ走るだけのレースではない
バイクの基本動作が必要とされます

ー普通はスゴイと思うだけで、自分も走りたいとは思わないでしょう(笑)。

重松 ●さすがに、アメリカでドラッグレーサーを目指すなんて考えませんでしたよ。MMIを卒業し、日本に戻ってきてしばらくは国内のドラッグレースに参戦していました。日本でも各地でレースが行われているんですよ。ドラッグレースの全日本選手権を転戦するようなことはしませんでしたが、九州で行われていたレースを中心に、自分で組み上げたドラッグマシンで走っていました。どうしてもハーレーで4気筒のドラッグレーサーに勝ちたくてね。カリカリにチューニングしていましたよ。

ー一般のレースの世界では4気筒の方が高性能ですが、ドラッグレースの世界では4気筒とOHVのVツインは互角に戦えるのでしょうか?

重松 ●それほど差はないと思いますよ。車のドラッグレースの世界ではスーパーチャージャーこそついていますが、OHVのV8エンジンばかりですから。高回転まで回して「パァーン」と甲高い音を立てて走る4気筒の横を、「ボォー」と重低音で走るVツインで追い越していくのは気持ちいいですよ(笑)。

ーアメリカのドラッグレースを走るきっかけになったのは?

重松 ●日本に持ち帰って走るために、アメリカで中古のドラッグレーサーを手に入れたんです。で、日本に送る前に練習しておこうと思い、フェニックスで開催された公式レースに出てみたらプロフューエルクラス(※1)で優勝してしまったのがきっかけ。予選の成績は良くなかったのに、本選では結構いいタイムが出て「ひょっとして、俺、天才かも」って(笑)。

※ 1 トップフューエルクラスの1つ下のクラス。トランスミッションの無い、インジェクションエンジンで走る。排気量の制限もアリ。

ーそのとき優勝したタイムは400mを7.25秒で走ったとのことですが、時速で言うと最高でどのくらいの速さが出たのでしょう。

重松 ●時速280~290kmくらいですね。それまで日本で走っていたガソリンエンジンのレーサーでは最高時速220kmくらい。そのレーサーは200m地点で時速220kmくらい出ているんですよ。「どこまでスピードが乗るんだ?」と思いながら全開で駆け抜けました。でも、今の感覚だと、時速280~290kmくらいだと遅く感じるんですよ。最近のレースでは最高で時速370kmくらいは出ていますから。

ー時速370km! 普通の人だと怖くてスロットルを戻したくなるでしょうね。そのスピードで、恐怖感はないのでしょうか?

重松 ●ドラッグレースは真っ直ぐ走るだけのレースだと思う人がいるかもしれませんが、体重移動でちゃんと車両を操らないけない。ほとんどフロントを浮かせたまま走っているんですが、走るうちにハンドルが切れてくる。無理に戻すとハイサイドを食らって、コケそうになるんです。初めてその状況になったときはさすがに恐怖を感じました。2度目にハイサイドを食らったときは、時速330kmで地面を蹴って体勢を立て直しましたよ。あのスピードで地面を蹴ると、信じられないくらい足が痛いんですよ(笑)。

ースロットルを戻して、スピードを落としたらいいじゃないですか。

重松 ●進行方向がズレたときにスロットルを戻すのは危ないんです。戻すと余計にコースから外れていくので、スロットルを開けたままで体勢を立て直さないとダメ。進行方向から目をそらしても同じことになります。時速300km台の世界でもバイクの基本的な操作は同じだと思ってください。スピードが速い分、その影響は一般道と比べものにならないくらい大きいので、かなりの反射神経が求められますが。

ー進行方向を真っ直ぐ見て走り続けないといけない世界だと、視界はどうなっているのでしょう。止まっているときと同じ景色とは思えませんが。

重松 ●最初は狭い世界、ゴール周辺しか見えていませんでしたが、慣れてくると普段と同じようにモノが見えますよ。集中力が途切れていると視界が狭くなったり、景色が流れるのが速く感じたりしますけれどね。集中しているときは時速360kmでも時速50km、60kmと同じような感覚で、6秒ほどの走行時間も実際より長く感じます。でも、ゴールを過ぎてブレーキをかけ始めると、スピード感覚は元に戻りますね。F1より速いスピードから減速するので、車両が全然停まらず、ちょっと怖いんですよ(笑)。

ーその速度での加速Gはスゴイのでは?

重松 ●200mくらいまで走る時点で4.5Gくらいが体にかかっているそうです。ドラッグレーサーの乗車姿勢は風の影響を受けづらくなっているんですが、首にも腰にも負担がかかります。ドラッグレースを始めて、首が2cmくらい太くなりましたし、腰は最初の頃は走る度に骨が少しずれていました。たった6秒ほどのレースですが、それだけGがかかるので、体力の消耗は激しく、走り終わったらみんな肩で息をするくらいです。

ー危ない目にあったことは?

重松 ●マックススピードのときに鳥が体に当たったことがあります。視界に何か見えたと思ったら、もう当たっている。時速360~370kmのスピードですから、わかっていても避けようがないんです。顔に当たっていたら気絶していたんじゃないかな。ドラッグレース会場は音がスゴイので、普通は鳥や動物は逃げていないはずなんですけれど…。あのときは誰かに銃で撃たれたのかと思いました(笑)。

ー危険なことも覚悟しないといけないレースで、縁起担ぎでやっていることは何かありますか?

重松 ●レース前にはピットクルーが吸っているいつものタバコを1本もらって吸い、グローブは左手からはめるのが習慣になっていますね。この習慣はなぜかいつも変わることはありません。

ーいつまでドラッグレースを続けたいと思いますか?

重松 ●体力とお金が続く限り、何歳になっても走り続けたいですね。「世界最速のインディアン」のバート・マンローのように、おじいちゃんになっても時速300km以上の世界の景色を眺めていたいです。

プロフィール
重松 健
43歳。愛媛県「ハーレーダビッドソンブルーパンサー」の責任者を務めながら、アメリカのAHDRAドラッグレースの最高峰「トップフューエルクラス」の第一線で活躍するドラッグレーサー。Crazy Takの愛称でアメリカでの人気も高い。

Interviewer Column

ドラッグレースのオフシーズンにブルーパンサーに足を運べば、重松さんはお店にいる。アメリカでの実績と人気を考えれば、気軽に話せることが不思議なのだが、重松さんはそんなことを気にするでもなく、誰でもごく普通に話をしてくれる。子供のような性格とつぶらな瞳をしているため、お店での重松さんを見ているとトップレーサーのようには見えないが、AHDRAの最高峰「トップフューエルクラス」の東部クラスでは1位、全米でも6位にランクインしている(2008年の成績)。そんな重松さんの話を聞くのは非常に面白かった。これまで誰からも聞いたことがない話ばかりだったので、取材時間が足りなくなったほど。1日じっくりと話を聞いたおかげで、重松さんの目がなぜあれほど危なそうなのか(笑)、少しだけ理解することができた(ターミー)。

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