VIRGIN HARLEY |  ショベルの日本製パーツ事情まつもと流ショベルヘッド入門

ショベルの日本製パーツ事情

  • 掲載日/ 2008年03月26日【まつもと流ショベルヘッド入門】
  • 執筆/ハーレー屋まつもと 松本 雄二
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まつもと流 ショベル入門コラム 第6回

ハーレーに日本製パーツ?
実はかなり採用されています

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スイッチはショベル後期から日本製です

今回は「ハーレーに採用されている日本製パーツ」についてお話しましょう。“Made In USA”のイメージが強いハーレーですが、実は多くの日本製パーツが採用されています。日本製パーツの採用がはじまったのは70年代に入ってから。ショベル時代に採用された日本製パーツを挙げると、ケーヒンのキャブレターと燃料コック、Fフォークにはカヤバが採用され後にショーワ製に、日本精機のメーター、ブレーキローターはサンスター技研、スイッチは東海理化、バルブも日本鍛造など、皆さんが思う以上に日本製パーツが採用されていました。当時の記憶をたどると、日本製パーツの採用は喜ばしいことでしたね。

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いかにもアメリカ製に思えるメーターも日本製

今のユーザーはもっと古い当時物のパーツにこだわっている方が多いですが、ショーワ製フロントフォークが採用されてからフォークのオイル漏れがグッと減ったことを覚えています。ショーワは日本のメーカーだったので、開発担当者と話す機会もありましたが「一般市販車に供給しているモノでは一番いいフォークです」と言っていました。ちゃんと整備さえしていれば、販売から30年以上たった今でもショーワのフォークはそのまま使えるほど丈夫です。コストをかけずに作られたモノだったなら、販売からこれほどの時間が経ったり、10万kmを超えるような走行距離に耐えたりすることはできないでしょう。体重が重く、車両操作も大雑把なアメリカ人に酷使されてもトラブルが起きないよう、ハーレーに部品を供給していたメーカーは高品質・高耐久なモノを納品していたようです。また、ハーレーは部品の軽量化などを求めず、オーバークオリティな部品を採用していました。このような理由からショベルヘッドは今でも現役で走ることができるのです。

ローターにサンスター?
アノ会社のグループ企業です

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サンスター製ローターは今も現役で使えます

ブレーキローターを供給しているサンスター金属は、歯磨き粉などでお馴染みのサンスターのグループ企業です。「なんでサンスターがブレーキローターを?」と思うかもしれませんが、もともとはサンスターの名前を冠した会社ではありませんでした。買収されてサンスターグループになっているのです。サンスターのローターは精度が高く、ショベルヘッドが現役の頃から一度も交換されていないのは珍しくないことです。ただ、これはローターの品質だけが理由ではありません。当時のブレーキパッドにはアスベストが使用されていました。アスベスト入りのブレーキパッドはローターを傷めることが少なく、そのためショベルヘッドのローターは、ダメージが少ないものが今でも見受けられるのです。ただ、環境問題への声が大きくなるにつれ、アスベスト入りのブレーキパッドはほとんどなくなりました。そのため、今のブレーキパッドをショベルヘッドに使うと、ローター表面が荒れ磨耗が早い様に思います。

ショベルヘッドのメーターは過去にベリアやスチュワートワーナーというメーカーのモノが採用されていました。日本精機のメーターに変わったのがいつだったのか…70年代半ばだったと思います。日本精機のメーターに変更されて面白かったのは、メーター裏の配線を見ると「アカ」、「キ」、「ダイダイ」と配線横にカタカナが書かれていたこと(笑)。ただし、今ショベルヘッドのメーターを純正で取ると、送られてくるのは台湾製のモノです(日本精機が台湾で作っているのかもしれませんが)。スイッチが日本製に変わったのは少し遅く82年から。今のモデルもスイッチは日本製のはずです。

AMF時代もハーレーは
品質改善にこだわっていたのです

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よく見れば日本製パーツが盛りだくさんでした

AMF時代については過去にこのコラムで言及したことはあります。実は品質のいい日本製パーツが採用されはじめたのはちょうどAMFの時代の話なのです。当時、研修などで本国の開発者と話したとき「なぜ日本製のパーツを?」と尋ねると「いい製品だからだ」と答えが返ってきました。ただし、この時代にハーレーが“Made In USA”でなくなったとは勘違いしないでください。日本製パーツが多く採用されたからと言って、ハーレーの姿勢はまったく変わっていません。徐々に存在感を増しつつあった日本車に対抗し、軽量化や高性能化に走ることもせず“ハーレーらしさ”には徹底的にこだわり、開発していました。世界中のユーザーがハーレーに求めるものを理解した上で、彼らが求める品質とコストのバランスに応えられるのがたまたま日本のメーカーだった、ということです。このように70年代からハーレーの品質改善の試みは徐々に始まっていました。労使紛争で工場スタッフの士気が下がっていた時代があったのは確かですが、1982年にハーレー経営陣がバイバック(AMF社からハーレーの株式を買戻したこと)し、AMF時代が終わりを告げた後、エボリューションエンジンの登場とともにハーレーは元気を取り戻していきます。しかし、品質改善への動きはそれ以前にあったのです。私がショベルヘッドを勧めるとき、70年代に入ってからの車両を勧めるのはそういった時代であったから。ショベルヘッドは年式を経るごとに完成に近づいていたのです。

プロフィール
松本 雄二

58歳。1971年よりハーレーに関わり“超マスターオブテクノロジー”と称されるほど、その技術力の評価は高い。複数のディーラーを経て「ハーレー屋まつもと」をオープンさせ、日々ハーレーの修理にいそしむ。なお不正改造車、マフラーのウルサイ車両は触ってくれないので注意!

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