VIRGIN HARLEY |  第7回 アメリカを走ってきた(後編)ツーリング・ゼミナール 青木 タカオ

第7回 アメリカを走ってきた(後編)

  • 掲載日/ 2011年11月15日【ツーリング・ゼミナール 青木 タカオ】
  • 執筆/フリーライター 青木 タカオ

全米に敷かれたインターステート・ハイウェイ(州間高速道路網)は1956年から整備がすすめられ、これは当時のアイゼンハワー大統領が推進したもの。当初の計画は、全長約6万5000kmの巨大な高速道路網を250億ドルの資金を投じて10年の期間を費やして整備するというもので、それまでのアメリカ合衆国の歴史の中で最も大規模な国家プロジェクトであった。

青木タカオさんの写真

結果的に予定は大幅にずれ込み、計画から35年後の1991年に完了し、整備費用は1140億ドルを費やすことに。総延長は6万8500kmにもおよび、その全線が片側2車線以上という大交通網が確立された。現在にいたっては8万9000kmにまで総延長が拡大されているから、まさに気の遠くなるほどの巨大なスケール。ちなみに青森から鹿児島までの距離が約2000kmであるから、島国に住むボクたち日本人からすれば大陸の広さは想像を絶するものであり、魅力的かつ、そして得体の知れぬものといえる。

ボクはそんなアメリカの道を、オートバイあるいはクルマを運転して走った経験が多少なりともあるが、その醍醐味はひたすら続く真っ直ぐなハイウエイにあると思う。もちろん、ルート66のようなオールドルートやウエストコーストのビーチ沿いをノンビリと走るのも最高であるが、どこまで走ろうとも、ちっとも景色の変わらない広大なデザートの中を真っ直ぐに突き抜けるハイウエイでこそ、アメリカを走っている実感のわくときである。

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圧倒的な広さと直線の長さに感動しない者はいないはずで、もちろんボクも行くたびに感激し、その思いは言葉にならないほどだ。しかしながら、それを嫌というほど味わい続けると、そのうちに慣れてしまい、昼食のあとには必ずといっていいほど眠気との闘いがはじまる。それでも道はあっけらかんと単調に続き、ライダーは眠さに我慢しながらアクセルを開け続ける。ブレーキをかけることもなければ、オートバイを豪快に寝かし込むこともできない。ライダーはひたすら前を見て、ただただ走り続ける。たまにやってくるインターチェンジでは、交差する道がどうなっているのか、ドライブインにはどんなファーストフード店が入っているのか、それを考えるのが唯一の楽しみ。単調な道に飽きた脳を刺激するものはないか、オーバーパスあるいはアンダーパスの交差点を通り過ぎる瞬間は目一杯あたりを見回し、退屈を少しでも紛らわそうとする。それでも見えるものはおおかた決まっていて、馬鹿でかいガスステーションにファーストフード店が隣接してあるだけ。

青木タカオさんの写真

自分が走っている道に交わる向こうの道もまた、うんざりするほど真っ直ぐとどこまでも続いている。景色はすぐさま乾ききったデザートに戻り、それを1日に何度も繰り返す。砂の浮いた路肩に転がるバーストしたタイヤの破片を見つけてはやり過ごす。ハーレーとすれ違えば手を振って応える。追い越すクルマにカワイイ女の子は乗っていないか覗き込む。オートバイのシートの上でライダーができることは、そのくらいのことでしかない。ただし、たったひとつだけ思い知ることがある。ハーレーダビッドソンでよかったということだ。長い距離を走る相棒として、これ以上のものはない。

プロフィール
フリーライター
青木 タカオ

バイク雑誌各誌で執筆活動を続けるフリーランス。車両インプレッションはもちろん、社会ネタ、ユーザー取材、旅モノ、用品……と、幅広いジャンルの記事を手がける。モトクロスレースに現役で参戦し続けるハードな一面を持ちつつも、40年前のOHV ツインや超ド級ビッグクルーザー、さらにはイタリアンスクーターも所有する。

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