ショベル後期にデビューしたFXRは、走行性能が抜群なビッグツインとして今でもマニアが存在するモデルだ。その後エボリューション時代になっても後継機が登場し、現代のダイナ系モデルへと発展していった元祖と言うことができる。
河野さんが乗る1982年モデルは、その中でも初期に位置する貴重なもので、ストックのままの個体だけでなくカスタムなどにも愛用される、息の長い車種であるとも言えるだろう。
「大学時代に横浜にいて、行きつけのバーのマスターがハーレー乗りでした。僕は国産のアメリカンに乗っていましたが、やっぱりハーレーはカッコ良かったですからね。社会人になったら乗ろうと決めていたんです」
山梨県の出身。大学時代にバイクに乗り始め、横浜は第二のふるさとだという。多感な青春時代を過ごした土地は、一生忘れられない思い出が一杯だ。そんな時代、自分の横を勢い良く抜いていったフリスコスタイルのハーレーがいた。
「誰だか知らないけど、その後ろ姿がかっこ良くて、頭に焼き付き離れなくなりました。僕のハーレーは、その時の記憶から作り上げたカスタムなんです」
昨年、時々遊びに行っていた横浜のマイパフォーマンスでこのFXRを見つけた。大学を卒業して就職。住まいは横浜から東京都内に移り、いよいよハーレーに乗ろうと決意していた時期に巡りあったバイクには、運命的なものを感じたという。カスタムのプランは、ストックのイメージをあまり壊さない軽快なシルエット。その出来上がりは、河野さんのイメージどおりに仕上がった。
「納車は昨年の9月だから、まだ乗り出したばかりです。すぐに季節が冬になっっちゃったけど、楽しいですよ。まだあまり遠くには行けませんが、春になったら実家の山梨まで走ろうかな。全部一般道がいいですね。空いてる時間帯を探して淡々と走りたい。大勢よりも、ソロか数人で走るのが好きなんです」
河野さんはアンティーク家具を輸入販売する会社に勤めている。大学時代の就活で、ホテルへの就職がほぼ内定していたが、「本当にやりたい仕事なのか?」と疑問になり保留していた。そんな時、偶然出会った現在の仕事。「好きなことをやるのが一番だ」と決心して、今はヨーロッパから取り寄せるアンティーク家具に囲まれて生活している。
何でもデジタル化している現代、アナログに触れていたいという気持ちは誰でも少しは持っているはずだ。だからこそ河野さんは少し古いFXRを選んだ。
乗り続けるうちに、きっとトラブルも起こすだろうが、家具と同じで「直せばいい」だけだ。気軽に付き合える相棒は、今日も絶好調なのである。