VIRGIN HARLEY |  旭 章一(ホリデーデザイン)インタビュー

旭 章一(ホリデーデザイン)

  • 掲載日/ 2006年04月11日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

少し触れば体感できるほど変化する
それがハーレーの魅力なのでしょうね

今回ご紹介するのは神奈川県藤沢市の「Holiday-Design 藤沢」代表、旭 章一さんだ。2000~2002年まで「SSC(スポーツスターカップ)」にビューエルで参戦し、7戦で7優勝という偉業を成し遂げた実績を持つショップだ。現在は移転し、旭さんお一人でのんびりとお店を構えているものの、いざというときに非常に頼りになるメカニックで藤沢市周辺の方が少し羨ましい…。さて、今回は旭さんがSSCに情熱を燃やすきっかけ、SSCに参戦したことで学ぶことができた「ハーレーの魅力」などをお聞きし、他メーカーのバイクとハーレーの違いについて考えてみたいと思う。

Interview

バリー・シーンに憧れて
本気でレーサーを目指したこともありました

ー旭さんは小さい頃にレーサーを目指していたとお聞きしましたが。

旭●中学・高校の頃の話ですよ。家業がバイクと車の販売でしたから、身近なところにいつもバイクがありました。小学校低学年のときに父親からHONDAの「モンキー」を与えられてね、近くの空き地で、友達と一緒に毎日「モンキー」で遊んでいましたね。ちょっと真面目にバイクに乗り始めたのは中学生の頃です。当時、世界選手権で活躍していた英国人レーサー“バリー・シーン”という人に憧れてね。レースで追い抜きざまに相手のお尻を触るような、遊び心のあるレーサーでしたよ。

ーでも、中学生では免許は取れないでしょう(笑)。

旭●大丈夫ですって。中型免許が取れるまでは、近所の相模川の河川敷にあったモトクロスコースでひたすら練習をしていました。16歳になるとすぐに中型二輪免許を取り、大型二輪免許も16歳のうちに飛び込み試験で取ってしまいました。大手を振ってバイクに乗れるようになると、毎週末、夜明けから箱根峠に入り浸りです(笑)。いったい自分はどれくらい速いのか、仲間と競ったり、速そうな人に勝負を挑んだり、とバイク漬けの高校生活でしたねぇ。

ーサーキットで走っていたのも高校生の頃なんですよね。

旭●ただの練習走行ですよ。ライセンスを取って選手権を出る前に練習走行で自分の腕を磨こうとしていたんです。峠ではそこそこ速いつもりでいましたけれど、サーキットには化け物みたいに速い人がたくさんいて、周りの人の走りを盗みながら腕を磨く日々でした。

ーたとえば、どんなことが学べましたか?

旭●ブレーキの使い方を学べたのが大きかったですね。サーキットに通うようになって一番驚いたのは「上手い人はギリギリまでブレーキをかけない」ことでした。当時の僕はブレーキをかけるのが速すぎたんです。本当はもっとブレーキをかけるのを我慢して、強くブレーキをかければよかったのですが「そんなに強くブレーキをかけるとタイヤがロックしてしまうだろ?」とビビっていました(笑)。ブレーキの使い方がわかるようになると「ブレーキはここまで強く握っても大丈夫なの?」と驚きましたね。ブレーキに限らず、当時のバイクの性能はすでに人間の限界を超えるところにありました。ライダーが「このバイクはここまでしか走らない」と思っても、それは乗り手の技量の問題で、バイクの性能だけをみると一般の人では使いこなせない高レベルの走りができることに驚きました。

ーそれほどバイクにのめり込んでいて、なぜレーサーになるのを諦めたのでしょうか。

旭●選手権に参加するためにはライセンスが必要で、未成年の場合はライセンスの取得に親の許可が必要だったんです。でも、僕の両親は「サーキットで遊ぶまではいい。でもプロを目指して職業にするのは許さない」と猛反対されまして。何度もお願いしましたけれど、ライセンスを取るのは諦めてしまいました。今思うと、僕の意思が弱かったのが理由でしょうね。

ーそんな状況でバイクへの情熱は持ち続けられましたか?

旭●しばらくは箱根を走っていましたが、18歳になると車に夢中になってしまいました。「バイクでコケると怪我をするから、両親はレーサーになるのを反対したんだろう? なら車のレーサーならいいでしょ」と考え、車のレースの世界に走っちゃったんです(笑)。20歳を過ぎると、親の同意がなくてもライセンスが取れ、ジムカーナの選手権に出て腕を磨きました。最終的にタイヤメーカーからタイヤの供給を受ける、そこそこのレベルにまでは行くことができました。大学卒業後もしばらくはプロのレーサーを目指していましたが、また両親に反対されまして。家を飛び出して、レースを続けていた時期もありましたが、最終的には腹をくくり、心惜しかったですが家業を継ぐためにレースをやめることを決めました。

乗り手が操ることができる性能
そこにハーレーの楽しさがあります

ー家業を継ぎ、お店で他メーカーのバイクだけでなくビューエルやハーレーも扱うことになったわけですが、旭さんは「ハーレー」にはどんなイメージを持っていたのでしょうか?

旭●ハーレーは嫌いでしたねぇ(笑)。乗ったことがないのに、「ハーレー=壊れる」というイメージを持っていましたから。僕にとってバイクは「遊園地のジェットコースター」のように乗って楽しい乗り物で、しょっちゅう壊れて乗れない乗り物なんてあり得ないと思っていました。

ー初めて乗ってみていかがでした?

旭●初めて乗ったのはビューエルでしたが「あれ? このバイク結構面白いぞ」と思っちゃいました。「バイクに乗せられている」のではなく「自分が操っている」感覚が持てるバイクで、それまで乗ってきたバイクとは違う、新鮮な楽しさがありました。なぜそう感じられるのか、それはバイクのポテンシャルが低いからなんですよ。僕がそれまで乗ってきたバイクは使いきれないほどの性能を秘めていましたが、ビューエルは少し頑張れば性能のかなりの部分を使い切ることができます。バイクの限界点が人間に近いから、自分で操ることができる。だから楽しいバイクなんです。ビューエルと出会ったことで「バイクの性能と楽しさは違う」ことを体感することができました。

ーレース熱が再燃したのはなぜでしょうか。

旭●昔は親に反対されてレーサーへの道は諦めましたけれど、SSCなら「お店の宣伝で」という大義名分もある、なら出ない手はないでしょう(笑)。あとは「ハーレーのエンジンはどこまでポテンシャルを秘めているの?」という疑問を自分の手で確かめてみたかったんです。国産バイクと違い、ハーレーは触れば触るほど性能が上がっていく、そんなバイクは初めてでしたから。自分が製作したマシンがどこまで速く走れるのかを見てみたかったんですよ。

ー国産バイクとハーレーで、なぜそんな違いがあるのでしょうか。

旭●国産バイクはメーカーが設計する時点で、徹底的に無駄を省き、エンジンから出来る限りのポテンシャルを引き出そうとしています。ですから、ノーマルのバイクの性能をカスタムして上げようとしても引き出すポテンシャルがあまり残されていません。けれど、ハーレーはいい意味で「大雑把な造り」をしていますから、バイクのポテンシャルを上げるのは他のバイクほど難しくありません。「効率重視」ではなく「フィーリング重視」のバイクですから、そういう設計になっているんでしょうね。

ー2000年~2002年までSSCでは7戦戦いすべて優勝されていますよね。

旭●ビューエルでSSCに出る前から国産バイクに混ざって耐久レースに出てみたり、バトルオブツインに出たりして、どうすれば速くなるのか、に試行錯誤していた時期はありましたよ。いきなり優勝できたわけじゃありませんから(笑)。7度も優勝できたのはいいライダーがいてくれた、というのも大きいですよ。自分で造りあげたマシンにも自信はありましたけど、浜口くんというレーサーがウチのチームにいてくれて、ライダーとマシンの両方が揃っていたからいい結果が出せました。

ー今はレースには出ていらっしゃらないですが。

旭●レースをやり続けるのは大変なんですよ。今は1人でお店をやっているので、もう卒業です(笑)。ただ「ハーレーのエンジンはどこまで速くなるのか」は充分試せました。どこまでやってもいいのか、どこまでやると壊れるのか、を学ぶことができ、いい勉強になりましたよ。でも、「速くすること」はハーレーの魅力の一部でしかないですよね。性能を上げる方法はもう学びましたから、「ハーレーをどうデザインすればカッコいいか」を楽しみながら考えるのに今は夢中です。僕が住んでいる「湘南に合うハーレーはどんなスタイルなのか?」みたいなことを日々考え、遊び心を持ちながら試しているところです。今はのんびりとお店をやっているので、考える時間はたくさんあります。どんなスタイルが一番自分らしいのか、これからじっくり考えて「自分が造りたいものを造る」お店にしていきたいですね。

プロフィール
旭 章一
42歳。小学校低学年よりバイクに触れ、バイク、車のレーサーを目指していた時期もあり、メカニックとしてだけではなく、ライダーとしての造詣は深い。SSCで7度の優勝した実績を持ち、彼が造るマシンへ信頼を置く近隣のハーレーオーナーは多い。

Interviewer Column

雑誌などで旭さんを見たことがある方は「豪快な人」だと思うかもしれない。けれど、実際の旭さんはシャイで、少しお茶目な人だったのは驚きだった。ハーレー業界の方にはいい意味で子供っぽい人は多いけれど「最近、また車で攻めることにハマッいて…」と話す旭さんは子供そのもの。あと14年たてば私も旭さんと同じ歳になるけれど、旭さんのような歳の取り方をしたいと思う。いくつになっても自分が熱中できるものを持つ、人生楽しまなければもったいないな、改めてそう感じたインタビューだった。(ターミー)

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