
この初年度シーズンは、ロードグライドを使用したワンメイクレースながらも、単調さは一切なかった。元MotoGPライダーのアンドレア・イアンノーネ、MotoEの強豪エリック・グラナド、スペインの若き速男オスカル・グティエレス、そしてハーレー界のスペシャリストであるワイマン兄弟やジェームズ・リスポリ。異色のライダーたちが約280kgの巨体を操り、最終戦までもつれ込んだタイトル争いを繰り広げたのだ。
最終戦オーストリア大会を前に、ポイントリーダーはアーチー・マクドナルド。わずか7ポイント差でエリック・グラナドが追いかけ、さらにグティエレスとイアンノーネもタイトルの望みを繋いでいた。4人のライダーが最終ラウンドに臨む、近年のロードレース界においてまれに見る大接戦だった。

土曜日のレース1。グティエレスが圧勝し、マクドナルドは2位でフィニッシュ。これでマクドナルドはグティエレスに対して21ポイントのアドバンテージを築き、日曜日のレース2に臨んだ。しかし、グラナドとイアンノーネがともにレース1でリタイア。タイトル争いは事実上、マクドナルドとグティエレスの一騎打ちとなった。
日曜日のレース2。グラナドが今季2勝目を飾り、グティエレスが2位。マクドナルドは8位でゴールした。ポイントは202対193。わずか9ポイント差で、20歳のアーチー・マクドナルドが初代チャンピオンに輝いた。
このシーズン、5人のライダーが勝利を分け合い、全チームが表彰台に上がる激戦だった。ハーレーだけのレースだからこそ、ライダーの実力差やマシンの個性がより際立った。そんな中でマクドナルドが勝ち取った初代タイトルは、本物の実力と精神力の賜物だったのだ。

マクドナルドの戴冠が、単なるスポーツの勝利ではなかったことを、彼自身の言葉が物語っている。
シーズン中、マクドナルドは兄トビーを亡くした。若すぎる死だった。オーストラリアを離れ、ヨーロッパで戦い続ける彼の心に、どれほどの重みがあったか。それでも彼は走り続けた。アッセンでの大クラッシュからも這い上がり、ポイントリーダーの座を渡さなかった。「このタイトルをトビーに捧げる。愛してるし、会いたいよ。最後の数ラップ、勝利のために彼が後ろに乗ってくれているような気がしたんだ」
マクドナルドのこの言葉は、多くのファンの胸を打った。20歳の若さで、家族の喪失と世界の頂点という、相反する感情を同時に背負いながら、彼はマシンを走らせ続けた。レース2で8位に入り、タイトルが確定した瞬間、彼が流した涙は、勝利の喜びだけではなかった。兄への思い、遠い祖国を離れた孤独、そして夢を掴んだ安堵。すべてが混ざり合った、アーチー・マクドナルドの涙だった。
ハーレーダビッドソンのレーシングディレクター、ジェフリー・シュエスラーは「一年前、ここオーストリアでこのシリーズを発表したとき、チームもライダーもレースマシンさえ存在しなかった。今日、MotoGPとともにグローバルレースシリーズとしてここまで来たのは信じられない」と語る。確かに、この一年の歩みは驚異的だ。

バガーレースの魅力は、何と言ってもその「矛盾」にある。
本来、大陸をゆったりと流すために生まれたツーリングマシン。ノーマルでは重さ300kgを超える巨体に、大きなフェアリングとサドルバッグを備えたロードグライドが、世界最高峰のロードレースの舞台で、コンマ1秒を削り合う激闘を繰り広げる。初めてバガーレースを見る人は、誰もがその光景に目を疑う。
だが、見ているとわかる。これは遊びではない。200馬力を超える131ci(2152cc)Screamin’ Eagle 131Rエンジンが唸り、62度ものバンク角でコーナーを駆け抜ける。ハーレーのファクトリーレーシングが開発したシャシーと、世界最高峰のライダーたちの技が融合したとき、ロードグライドは「最速のツアラー」から「本物のレーサー」へと変貌する。
テクニカルディレクターのジェイソン・ケールは「ミルウォーキーの小さなガレージで始まったビジョンが、MotoGPという世界最高峰の舞台で現実になった。そして開発は止まらない。2027年に向けて、さらなるパフォーマンスを見せたい」と語る。ハーレーのバガーレーサーは、まだ進化の途中にある。

ハーレーのバガーが世界の舞台で輝いた今、日本のファンにも注目してほしいことがある。近年、日本国内でもバガーレースが静かに、しかし確実に盛り上がりを見せているのだ。
カスタムショーの世界だけでなく、サーキットでのバガーカルチャー。日本にも、ハーレーを愛し、走らせる文化は確実に根付いている。10月2日~4日まで開催されるMotoGP日本グランプリのもてぎでは、ハーレーのブースが出展され、バガーレースのシミュレーターが多くのファンを魅了する。世界シリーズの日本開催は、まだ実現していない。だが、波は確実に近づいている。

アーチー・マクドナルドは20歳で世界の頂点に立った。エリック・グラナド、オスカル・グティエレス、そしてMotoGP帰りのアンドレア・イアンノーネも参戦するこの世界。もし日本のサーキットで、日本人ライダーがロードグライドを駆って世界を挑む日が来たら。それは、日本のハーレーカルチャーが新しい段階に入った証しだ。
クルーザーは遅い、ハーレーはツーリングだけ。そんなイメージを、バガーワールドカップは完全に覆した。初代王者の涙と、ロードグライドの巨体が描いた軌跡は、ハーレーの新しい伝説の始まりにほかならない。次の章を書くのは、いつか日本のライダーかもしれない。そんな夢を抱きながら、我々はこの歴史的瞬間を祝おう。