2010年式 スポーツスター XL883N
ハーレーダビッドソンの「2010年式スポーツスターXL883N」のカスタム車両を紹介。カスタムハーレーを見たいなら、400台以上の車両が掲載されているバージンハーレーのハーレーカスタム紹介を見るべし! 愛車カスタムの参考になるとっておきのアイデアが満載です!

ノーマルフェンダーをボブカットした1939年型のELナックルヘッドTTレーサー。ピート・ヒル製作のナックルヘッドモーターにはストローカーが組み込まれ、1340ccにスープアップ。キャブレターにはファンネル付きのリンカートM44が装着されている。ハンドルは純正オプションのスポーツハンドルバーをチョイス。このナックルTTレーサーはアスコットTT、マジソンTT、フォンドラッグTT、シャワーノTTに出走していたレーサーをイメージして製作されている。
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2005年式 FXSTDに乗る春風さんの自慢のハーレーを紹介します。「自慢のマイハーレー」では、読者撮影会に参加してくれたユーザーの写真をコメント付きで紹介していきます。
ここに紹介する1903/04 SERIAL NUMBER ONEがハーレーダビッドソン社の記念すべき第一号機。この車両の美しさは、その簡潔さに尽きる。
カンパニーが1909年に発表した、こちらのMODEL 5-Dがハーレーダビッドソンのアイデンティティーと言えるVツインモーターを搭載した初めてのモデルである。
端正なスタイルのモデル8は、1903年の第一号機を発展させた純自転車スタイルから1909年の5-Dのロングタンクシャシーを経て、新型フレームにリファインされたものである。
ルノーグレーのペイントから「サイレントグレーフェロー」と呼ばれた車両、1913 年式のモデル9E。
第一次世界大戦で活躍した欧州産の小~中排気量モデルの性能に注目したハーレーは新たな市場を開拓すべく横置きフラットツインの名車、英国ダグラスのコピーとも言えるエンジンを開発。
フラットツインエンジンを搭載したWJ。この車両はハーレーの新しい試みであった。フレーム、タンク、フォークなど、すべてが刷新され異彩を放っている。
20年代初頭のハーレーのラインナップは、水平対向のW系モデルやフラットヘッドVツインを搭載するF系モデルなどが挙げられるが、ここに紹介するJDはその時代のフラッグシップモデル。
1927年式JDの貴重なサイドカーモデル。通称「船」は右側に付き、左ハンドルの外国車と同様にハンドル部は車体の左に位置する。前方から見ると船の先端は突起形状で、フレームは現行モデルと同じ三角形状が採用されている。
ハーレーのシングル、それは現代のマシンで言えばショートトラックで活躍するロータックスのシングルマシンであろう。1970年代までで言うなら、イタリアハーレー製の2サイクルやOHV水平シングルのアエルマッキである。
1917年、つまり大正6年に製作された、ボードトラックと呼ばれる板張りのオーバルコース用ファクトリーレーサーである。
ここに紹介する8バルブは、その希少性と美しさからコレクターの垂涎の的となっている。急な勾配のついた木製のボードトラックを駆け抜けた純レーサーだ。
21ciのOHV単気筒エンジンを搭載するピーシューターは、ダートトラックやシンダートラックなどのレースに使用されていた。
こちらの車両は「カスタムヒルクライマー」と呼ばれるセミレーシングモデルである。1927年のファクトリーBADの貴重なフューエルタンクが取り付けられたこのスタイルは、後のXLCRカフェレーサーに相通じるフォルムと言える。
ハーレーワークスレーサーは1916年に作られた1カム構造のモデル17にはじまり、19年の前後シリンダー別作動の2カムに発展し、ワークス用として確立した。
トレーリングリンク方式によるヒルクライマー専用のスプリングフォークが取り付けられた1930年式DAHヒルクライマー。
ノーマルフェンダーをボブカットした1939年型のELナックルヘッドTTレーサー。
サイドバルブの750cc4カムエンジンを搭載したWLが登場したのは1937年。その後アメリカは40年に第二次大戦に突入し、45年に終戦を迎えた。そして翌46年、純レーシングマシンであるWRが誕生。
スペシャル仕様であるリンカートのツインキャブレターを装備した1949年式のパンヘッドTTレーサー。このキャブレターはS&Sがデュアルスロートを生み出すきっかけともなったパーツである。
スポーツスターの原型となるKモデルは1952年にデビューしたが、それと同時に市販レーサーのKRも開発された。この時期のハーレーレーシング部門は覇気がなく、事実デイトナ200マイルでは1勝もできずにいた。
1964年から一周6kmのバンクが付いたクローズドコースとなったデイトナ200マイルレース。最高速を求めたハーレーダビッドソンカンパニーは、レーシングエンジンXR750をオンロード専用設計の「ローボーイフレーム」に搭載した。
70年に登場した鋳鉄ヘッドの初期型XR750の発展型、アルミヘッドが採用された72年式のXR750。この車両はダートラシーンの中心となってきた伝説のレーサーだ。
吸排気ともにサイドバルブ方式を採用したフラットヘッドを搭載した初めてのモデルがこちらの1929年式のDLである。このエンジンの寿命は長く、実に 1973年までの44年間に渡って採用された名機と言える。