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ついにやってきたアメリカ
さて、修行の舞台、アメリカはカルフォルニアに来た私。まだ空港に着いたばかりなのに、これから始まろうとする未知の世界に対して、かなりの緊張を覚えてしまいます(またかよ!)。そしてまた下痢気味に…。空港には英語学校の職員の方が迎えに来てくれて、まずは英語学校に手続きをするために訪れます。26歳という年齢ですから「友達は、たくさん出来るかなぁ…」という不安を思わず抱いてしまう私(笑)。知り合いが誰もいない異国ですからね。しかし、後にこの学校でかけがいのない仲間と出会うことになるんです。
英語学校を訪れた後は、いよいよホームステイ先へ。結局、ここでは半年余りを過ごした訳ですが、ホームステイ先の家族とは今でも連絡を取っていて、生涯の思い出となる貴重な経験をさせていただきました。アメリカの一般家庭での生活を経験できることは、観光などでは決して経験できないことです。アメリカ人の習慣の一つ一つに直に触れるわけで、はじめはそのギャップに苦しんだこともあります。でも、それも今思えば楽しい思い出です。さて少し話がそれましたが、渡米したその晩、ステイ先の家族との初ディナーです。つたない英語での自己紹介を優しく聞いてくれて、ほっと一安心。晩御飯にありつきました。たったそれだけの1日でしたが、ベッドに入ってしばらくは、頭はまだパニック状態でした。しかし、不安なアメリカ生活がスタートしてしまっているのです。
英語学校での運命的な出会い
彼の行動力は際立っていて、すべての資金を自分で稼ぎ、自分の力だけで渡米しアメリカで自活しています。いずれはアメリカでプロテストを受けるということを目標に掲げ、昼間は英語の勉強、夜はストリートや地域団体でバスケット漬けの日々を送り、空いた時間は全て肉体トレーニングに費やしていました。「こんな熱い若者がまだまだ日本には居るんだなぁ」と感動を覚えましたね。彼とはお互いによき相談相手であり、“アメリカで自分を試す”という同じ目標を持つ同志でもありました。そういえば彼とも一緒にハーレーのイベントへ行ったこともありました。でも、彼はまったく興味がなかったのか、直ぐ帰ってしまいましたが(笑)。彼がその後どうしているかは、ここでは触れませんが、今も胸に秘めた輝ける目標を叶えるため、ボールを追いかけていることは言うまでありません。僕にとって、大切な弟のような存在の彼と、アメリカの異国で出会えたことは生涯に残る思い出になるでしょう。 ゼロからの職場探し
日本で西洋人がいきなり店に現れて「オレ、シゴトデキマース! ガンバリマース!」と言っても雇ってくれないのと同じかと…。きつい所だと、「出て行け!」と言われました。けれど、めげずに次の日も「メカニックの空きは無いですか?」なんて、しつこく聞きに行きましたが(笑)。当時は、季節が冬で、ディーラーに入庫する車輌も少なく、メカニックの手が余っている状況でしたから一層疎ましく思われたかもしれません。意味不明な拙い英語でしか話せず、アピールが上手く伝わりませんでした。この当時、実はちょっとヘコんでいましたね(笑)。その後、アメリカではそれ以上ヘコむことは幾らでもあると気付きましたけれど。
こうやって振り返ってみると、何かのチャレンジにはやはり「壁」がつきものですね。本当のことを言いますと、当時より今の方がよっぽどきついです。それでも、少しだけど実感があるんです。壁を越える度に、自分が昨日より少し洗練されていることに。そうやって明日も昨日とは違う自分を探して歩いていくのかも知れません。ここへ来て気づいたことが1つあります。「若者はもっと旅(挑戦)をしてみるべき」だと。何も用意されていない環境で1つ1つ壁を乗り越えて、自分を成長させていく、こんなことができるのは若者の特権だと思うのです。 |
![]() 芦田 剛史 26歳。幼少からバイクと車に興味を持ち、メカニックになることを誓う。高校中退後、四輪メカニックとして4年の経験を積み、ハーレー界に飛び込む。「HD姫路」に6年間勤務、経験と技術を積み重ねたのち「思うところがあり」渡米を決意。現在はラスベガスHDに勤務。 |