第二次世界大戦が終結し、冷戦時代へと突入していったアメリカ合衆国。ベトナム戦争など再び戦火に包まれていく時代の最中、ハーレーもトライアンフなど英国産バイクという新たなライバルを迎えることになる。現在も旧車ファンのあいだで親しまれるショベルヘッドエンジンの開発や、対英国車の急先鋒スポーツスターの誕生など、新たなモーターサイクルのスタイルを生み出していくハーレー。さらにAMFの傘下に加わった10数年など、現在のハーレーダビッドソンの礎となった時代へと目を向けていく。
わずか数年で販売を終えたKモデルに代わって登場したのが、現在も高い人気を誇るスポーツスター「XL」。アメリカ本土を席巻していたイギリス製バイクに対抗するために開発されたモデルで、高い走行性能を発揮した新型エンジンは「ショベルヘッド」と呼ばれた。
「2つ(デュオ)の油圧式サスペンション搭載で軽快に走れる」を意味する造語から名づけられた優雅な一台が生み出された。外装もツートンカラーで彩られるなど、豪華な仕上がりとなっている。これ以降、デュオグライドはロングセラーモデルとして、長く親しまれることになる。
ハーレーダビッドソン2代目社長ウィリアム・H・ダビッドソンの息子、ウィリアム・G・ダビッドソンが入社。後に大ヒットモデルとなるローライダーのデザインを手がけるなど、ハーレーの歴史を語るうえで欠かすことのできない「ウィリー・G」が加わった時代だ。
電気式(セル)スターターを搭載した最後のパンヘッド搭載モデル「エレクトラグライド」が発売。スイッチを押すだけでエンジンが始動できる利便性が一般ユーザーに喜ばれ、エレクトラグライドは生産台数を倍増させるとともに、性能の高い日本製バイクへ流れかけていたユーザーを引き止める要素となった。
1957年のXLモデルに搭載されていたエンジンをグレードアップさせた新型エンジンを開発。シリンダーヘッドの形状が採掘に使われるショベルに似ていたことから「ショベルヘッド」と呼ばれた。パンヘッドよりも馬力が10パーセントもアップしたエンジンと、セルスターターを搭載した最新モデル「エレクトラグライド」は人気を博した。
アメリカの大手機械メーカーAMF(アメリカンマシンファンダリー社)と業務提携を結び、AMFの一部門となることに。以降、「AMFハーレーダビッドソン」と名を改めたハーレーは、車両ロゴにも「AMF」の文字が付け加えられることになった。
今もハーレー乗りのバイブル的映画である、ピーター・フォンダ主演『イージー・ライダー』がこの年に登場。ハーレーに乗った自由な男たちがアメリカを横断していく姿は、多くの若者の心をつかんだ。これを機に、日本でもチョッパー・カスタムが広く知れていった。
ビッグツインでもスポーツ走行が楽しめるモデルをと、FLのフレームにスポーツスターXLのサスペンションを組み合わせた新しいスタイル「FX スーパーグライド」を発表。現代のダイナ・ファミリーに通ずるモデルで、当時の人々にとって斬新なスタイルだったことから、現在のFXCWロッカーやFLSTSBクロスボーンズに用いられる「ファクトリーカスタム」にカテゴライズされた。特徴的なのが「ボートテイル」と呼ばれるリアフェンダー(画像参照)で、XLHから流用したスポーツスタイルだった。
この年、車両デザインを手がけていたウィリー・Gがさまざまなスタイルのハーレーを生み出した。ハーレー初のカフェレーサーモデルXLCRは、現代でも根強いファンがいるほど。そして後世に伝わるモデル「FXS ローライダー」が誕生。発売と同時に大きな人気を誇り、ハーレーの歴史のなかでも群を抜いたロングセラーモデルとして現代に受け継がれている。
ベルトドライブを装着した最初のモデルがこの「スタージス」だ。チェーン部分から発せられるノイズが減少し、整備性が大幅に向上した。何よりハーレー乗りの聖地として知られる地名が付けられていることから、車両に対する期待感がうかがえる。
1970年代後期、AMFのハーレーに対する意欲の薄さが如実に現れるようになり、それが品質の低下を招いてユーザー離れを引き起こすことに。危機感を抱いたハーレーの役員13人がAMFから株を買い戻し、再び独立することに。