FLSTSB クロスボーンズ
現行モデルで唯一スプリンガーフォークを採用するモデル。単なるヴィンテージに留まらない、現代的なデザインとの融合が人気だ。

国内トップに君臨する数々の有名ビルダーをも従える(?)陰の支配者とは、まさにこの人のことをいう……という書き方をすると偉そうで横柄な人間と連想されるが、そうではない。神奈川県央にあるUnited States Naval Air Facility Atsugi(合衆国海軍厚木航空施設)の正門近くにカスタムショップ「サムライ」を構えるタメさん。トレードマークは、麦わら帽子とビーチサンダル。人当たりの良さと気さくな会話で、業界人から一般ユーザーまで幅広く多くの人間に慕われている。しかし、タメさんの素性を知っている人はあまりいないのではないだろうか。日本ハーレー界の大御所、サムライのタメの奇想天外な半世紀と、内に秘めたオートバイ論を語ってもらった。

タメ●もともとは模型飛行機を作ることに夢中だったんです。エンジン付きで、ワイヤーをつけて自分も一緒にグルグルまわるUコンという飛行機でした。戦闘機のことがいっぱい出ていたミリタリー雑誌に影響されたんでしょう。そんな風に模型飛行機のエンジンをイジっているうちに「オートバイの方が面白いんじゃないかな」と思いはじめて…それが12歳の時でした。
タメ●当時は今のような免許制度はなく「許可証」というものがあり、14歳から原付に乗れたんです。それが1960年の12月くらいに変わってしまって…それまでは道路取締法というものだったのですが、道交法(道路交通法・現在の法律)に変わってしまってね。原付に乗れるのは16歳からになってしまいました。あと4ヶ月のところで許可証がとれなかったんです。「それならバイクを触るしかないな」と。
タメ●そう、自分で触ったバイクは家の庭で乗っていました。自宅は東京大学のすぐそばにあって、庭が130坪くらいあったので、50ccでグルグル回るくらいの広さはあったんです。
タメ●親が何の商売をやっていたかはよくわからないんです。東大農学部の横にあったバイクショップの片隅に売れないバイクがいっぱいあって、1台3000~4000円で売っているのをよく買ってもらっていました。
タメ●僕のお祖父さんは、日本でハーレーを初めて輸入した財閥の創業家で家庭教師として雇われていました。その家の方たちが凄い乗り物好きだったらしく、その影響でウチの一族も乗り物には全然抵抗がなかったんです。
タメ●兄が都立高校の自動車科に通っていて、必要な工具がなかったら学校から持ってきてくれていました(笑)。だから、家には一通りの工具が揃っていたんですよ。
タメ●バイクに乗れるようになると、自分で触ったバイクであちこちにツーリングへ行ったり、古い外車を直したりしていましたね。18か19の時からはレースを始めました。昔はレースと言っても、解体屋で「これはイケそうだ」という車両を手に入れて、自分で改造するのが当たり前。初めはガスデン(日本最古に近いメーカー)の250KB型。それをチューニングしてモトクロスレースをしていました。マツダの軽3輪を買って、それにバイクを積んで荒川の河原でよく練習しましたね。
タメ●バイクレースが世間的にメジャーになってくると、FRPで外装を作るとお金が稼げる時代になってきたんです。それが1969年くらい、僕が23歳の時。もともとFRPをやっていたので仕事を頼まれることが増えてきて、自然と商売っぽくなりましたね。その頃はFRP屋なんて近所にありませんでしたから。安いメグロ250などをベースにしたサイドカーのボディなどを作っていました。
タメ●たしか71年の2月が4月だったかな。イージーライダーが封切りになってすぐに見に行って…むちゃくちゃな衝撃を受けました。今の人が見ても当時の衝撃はわからないだろうけど…。それ以来、チョッパースタイルのタンクを作ってくれとかフェンダーを作ってくれとかいう人が凄く増えてきました。それで自分でもチョッパーを作って、第2回モーターサイクルショーに出展したんです。ベースはホンダの「SL90」。自分でフレームを切り、パイプを曲げてリジッドフレームにしたチョッパーでした。
タメ●1971年に家族で神奈川の逗子に引っ越ししたんです。当時の逗子のあまりの田舎さにビックリしましたね。それまでは、有楽町生まれで東大のすぐそばで育ち、東京しか知らなかったですから。「何もない。もの凄い田舎だ…どうしよう?」って(笑)。東京では部品が欲しければ、御徒町(上野の近くの問屋街)に行けば何でも売っていましたからね。
タメ●初めはショップではなかったんですけれど、すぐにマグロの三崎漁港で有名な神奈川県の三浦に共同経営で「ダイダラボッチ」というショップを作り、そのあとに葉山で「ジローズ」。その後に米軍の厚木基地がある鶴間に引っ越して「コスモポリタン」という名のショップをはじめました。当時の鶴間は以前と違って、パンチパーマに45度サングラスの怖い人たちがいる街で、最初はびっくりしましたね(笑)。
タメ●その前のショップのときからよく来ていましたよ。葉山の時は横須賀基地が近かったですから。当時のアメリカ人でハーレーに乗っている人はほとんどいなかった気がします。ホンダのCBやカワサキのZ、スズキのGTなんかが人気でしたね。基地ごとにモーターサイクルクラブ(MC)があって、Gジャンの袖を切り、背中にクラブのカラーをつけた、ムチャクチャなヤツが多かったです。
タメ●基地の外国人は特権みたいなものがあって、車検はどんな車両でも平気だし、飲酒運転しているヤツも多かった。酔っぱらって全裸でバイクに乗って、河原を走り回るヤツもいました。70年代はそんな連中がいたんですよ。まだ、ベトナム戦争を引きずっている奴が多かった。そういう連中と仲が良くて、タンクの塗装とかエアブラシは全部僕がやってあげたんです。
タメ●当時新車で販売していたショベルヘッドのことを、彼らは“トラブルヘッド”って言っていましたよ(笑)。ハーレー乗っているのは日本人の方が多かった。外国人のハーレー乗りが増えたのはエボリューションエンジンになってからです。
タメ●アメリカ人を基地へ送っている時に、この場所を見つけました。不動産屋と話してみたら、たまたまハーレー好きで、すんなりと借りることができたんです。それが1985年のことでした。
タメ●基地の連中から見ると、僕は禁欲的に見えていたみたいで「おまえはサムライだ」と言われていました。それが由来です。朝から必ず仕事をしたり、怪しいクスリを勧められても断ったりしていましたから。「オートバイを触るのがうまくなるならやる。それ以外はやらない。セルフコントロールが大事なんだ。」と、言ったら「サムライ」だって(笑)。
タメ●コスモポリタンをやっていた頃から、並行輸入でハーレーが安く入るようになっていたんです。今のダイナにあたる、FXEというモデルが120万円ほど買えるようになっていましたから。その頃はヤマハのXS650に乗っているお客さんが多かったんですけれど、少しずつハーレーに乗る人が増えてきましたね。
タメ●そうです。今これだけハーレーがあるのは、やっぱり「乗って面白いから」が一番にくるでしょう。バイクは面白くなきゃいけない。ホンダのCB750が出た頃は日本車でもそう感じさせてくれるバイクが多かった。でも、80年代になって、速いけど全然面白くないバイクが増えてきたんです。低回転から高回転までパワーがあって乗りやすいのは、自動車でイイと思うんですよ。
タメ●乗りづらくて癖があること。「オレが機械をコントロールしているんだぞ!」ってところがイイんです。点火時期も手動のほうが面白かった。最近のハーレーも、ノーマルは好きではないですね。エボリューションもツインカムも、あちこち触った方がもっと面白くなりますよ。
タメ●そうですね。以前、ヤマハTX500のエンジンをバラして、バランサーを外したことがあります。そうしたら凄いバイブレーションで、荒々しいフィーリングになりました。ハーレーもバイブレーションがないとダメ。ハーレーに乗っている人でバイブレーションが嫌だっていう話しは聞いたことありませんから。ツインカムもバランサー外してみようかな? 僕は改造屋ですから、そんなことを考えて実行してみたくなるんですよ(笑)。
タメ●お客さんが「こういう風にして」と言うことから外れ過ぎないこと。あくまでお客さんをサポートする立場ですから。カスタム案は提示しますが、3歩先まで行ってしまったらダメ。せいぜい一歩か半歩くらいの案に止めます。派手で見栄えがいいカスタム車両を製作したのに、お客さんが求めるイメージとは違っていると長く乗ってもらえない。そんな光景をさんざん見てきましたから。
タメ●77年のイージーライダース誌に載っていたカスタムされたショベルヘッドを見たのがきっかけでした。派手さはないけどかなり手が入ったカスタムで、それがカッコ良かったんですよ。あまりのショックで何日も立ち直れなかったほど。それ以来、「なんだ、派手にしない方がカッコ良いんじゃないか」と思うようになりました。昔は屋根が付いた3輪のチョッパーみたいに派手なバイクを作ったこともあったんですけれどね(笑)。
暖かい日差しの元で、いつものようにくわえタバコ&ビーサンのタメさんに話をお聞きした。過去の取材や酒の席などで、サムライに至るまでの話を幾度となく聞いていたが、聞く度に知らないエピソードが出てくるなど、タメさんの昔話は何度聞いても面白い。相手が誰だろうと変わらぬスタンスで対応するタメさんは、僕にとっては人生の大先輩的な存在だ。これからも日本のハーレー界の重鎮として、業界をまとめ続けてください。私と同い年の若い奥さんと二人で、末永くカスタムに情熱を注いでください。今度お邪魔するときはクーラーボックス満タンのビールを持って行きますね!(佐々木孔一朗)
現行モデルで唯一スプリンガーフォークを採用するモデル。単なるヴィンテージに留まらない、現代的なデザインとの融合が人気だ。
前回まででオイルの基本的な知識から、オイルフィルターの重要性までのご説明は一通り終了しました。今回はオイル管理を怠るとどんなダメージがあるのか、なぜそんなことが起こるのか、そこにテーマを絞ってお話しようと思います。
35歳。工具メーカー、HDディーラーを経て、現在はスポーツスター専門店「Sporty Garage」を主宰する。20歳の頃に購入したエボスポーツを皮切りにスポーツスターの世界に夢中になる。3台のアイアンスポーツを経て、現在はKモデルを所有。
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32歳、ROUGH & ROAD 本社営業主任。XLH883、エボリューションのFXDを経て、現在は2002年式FXDXTを所有。9年前に入社したラフ&ロードでは、当時は唯一のアメリカンモデル乗りということで、当初は変わり者扱いされていたという。
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自賠責と任意保険、どちらも重要な保険で加入している人がほとんどだろう。ライダーにとって両保険にどんな役割があるのか、再度確認してみよう。
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61歳、東京都出身。本名は中島昌人。かつての人気お笑い番組で“アッと驚くタメゴロー!”と叫ぶヒッピーの格好をしたハナ肇に風体が酷似していたことから、タメさんと呼ばれはじめ、今に至る。「サムライ・カスタムサイクルズ」代表。
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今回のテーマはメーター。見た目の雰囲気を大きく左右するパーツではないが、メーターのような細部のパーツまでこだわることで、カスタムの完成度はグッと引き締まる。
いよいよバイクシーズン到来! うだるような暑さが過ぎ、ジャケットなんかを羽織ってバイクで流すには最高の季節ですね。オシャレなライダーの方は、思う存分オシャレを楽しんでいらっしゃることとも思います。
41歳、北海道札幌市在住。発売と同時に購入したHONDAレブルをベースにハンドメイドでチョッパーを製作、その馬鹿さ加減から地元では有名に。'98年にFXDを購入後、ショベル、パンと乗り継ぐ。「道ばた侍」発起人、RIDING PARANOIA / MC所属
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